風疹により、母親のお腹の中で両目の眼球がうまく形成されなかった山田菜深子さんは、先天性の全盲。フリーライターとして活躍しており、リアルな日常をコラムや動画で配信することで、“できることが少ない”という視覚障害者へのイメージを変えようとしている。

フリーに転身した理由

幼少期の山田さん

山田さんは、幼い頃から自身の持病に対してネガティブな気持ちを抱くことはなかったが、「周囲の人とは違う」と感じることはあったそう。

義眼をつけるようになったのは、4~5歳の頃。義眼には見た目だけでなく、眼窩(眼の周囲の組織)の成長を促すという役割もある。

幼稚園卒業後は、自宅から距離がある県内で唯一の盲学校へ。寮生活をするようになり、環境が変化したことから、活発だった山田さんは人と話すのを嫌がる無口な子になった。

内気だった頃

盲学校卒業後は大学へ進学し、社会福祉を学んだ。そして、障害者雇用枠で教育関係の一般企業へ就職する。

「在宅勤務という形でした。主にしていたのは、文字起こしや会議の議事録作成。もともと、ひとりで黙々と作業をするのが好きですし、自宅で働けるのはすごくよかった。耳で色々な人の声を聴くという普段からしていることを仕事に生かせたのも嬉しかったです」

だが、仕事が全くない日があったり、責任ある仕事を任せてもらえず仕事の幅が広がらなかったりしたことから、自身の働き方に疑問を持つようになる。

「私は、あまり必要ないんじゃないかと思うようになってしまいましたし、やりたい仕事をしたいという気持ちが強くなりました。会社に所属すると、やりたいことよりも、できることを探していかなければならないので働き方を変えようと思ったんです」

明るく変わっていく自分

そこで、8年間勤めた会社を退職。昔から書くことが好きだったため、フリーライターとして活動し始めた。現在は、自身の日常や視覚障害者ならではのあるある話をコラムで配信。リアルな暮らしを伝えている。

「YouTubeも配信しています。チャンネル開設は、退職前でした。執筆した電子書籍の宣伝をするために始めたのですが、今はこちらでも視覚障害に関する情報を公開しています」

動画編集を行っているのは、視覚障害者関連の団体で知り合った弱視の夫。夫婦二人三脚で視覚障害への理解を広めようと活動する中、山田さんは少しずつ、自分が変わっていくのを実感したという。

「会社員の頃と比べて、明るくなれました。自分が発信したものに対して優しいコメントをくださる方がたくさんいらっしゃるので元気をもらえます。それに、私の発信で元気になったと言ってくれる方がいることも、自分の元気に繋がっていますね」

視覚障害者のイメージを変えたい

山田さんは、視覚障害はできることが少ないというイメージをもたれやすい現状を変えたいと思っている。

「歩いている時に声をかけていただくことがよくありますが、そういった際に『目が見えないの? かわいそうに! 家に帰ったらお母さんがご飯作ってくれるんでしょ?』などと言われたことが、強烈に印象に残っているんです」

視覚障害者はスマホを使えないのではないかと思われることも多いが、山田さんいわく、スマホは日常に欠かせない必需品だという。

「今までは人に読んでもらわないと紙に書かれている文字が読めなかったけれど、カメラで映すと読み上げてくれるようなアプリがあり、すごく便利です」

スマホは世界を広げてくれる大切なアイテム

世間が思う視覚障害へのイメージと当事者の日常には、大きなギャップがある。優しさからの手助けはもちろん尊いものだが、山田さんは過剰な気遣いは逆に健常者と視覚障害者の間に距離を作るのではないかと考えている。

「困っている時に助けてほしいという発信を私たちからすることもあるので、難しい問題ですが、ひとりでもできることは多くあります。例えば、いつも通る道が工事中で迷ってしまったり、買い物に行った時などに周りの状況を教えてもらえたりするのはありがたいです。買い物は欲しいものを買うだけでなく、その場での出会いも楽しいと思うので(笑)」

今後は、今以上に視覚障害に関する発信を積極的に行い、視覚障害にあまり興味がない人やよく分からないと思っている人に、リアルな日常を伝えていきたい。そう意欲を燃やす山田さんの夢は、“書くことで世界を変える“だ。

YouTube配信中の様子

「今の社会は、こうじゃないと……みたいな風潮が強いけれど、色んな人がいていいと思うんです。ちょっと生きづらいと感じている方が生きやすいと思えるようなきっかけを発信していきたい。ひとりひとりが生きやすくなるように、じわじわと世界を変えたいなと思っています」

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