2022年9月、デフリンピック2025年夏季大会が東京で開催されることが正式に決定した。デフリンピックは、4年に1度、世界的規模で行われる聴覚障害者のための総合競技大会であり、日本での開催はこれが初となる。

世界規模の総合競技大会には、オリンピック、パラリンピックがある。しばしば混同されやすいが、パラリンピックとデフリンピックとは全く別物。中には、「パラリンピックは障害者のためのスポーツ祭典だよね?なのに、聴覚障害者のアスリートはパラリンピックには出場できないの?」という疑問もあるかもしれない。

パラリンピック発足当時、聴覚障害者のスポーツ組織(国際ろう者スポーツ委員会)は、パラ組織委員会に所属していたものの、様々な事情で現在は離脱している。そのため、聴覚障害者のアスリートはパラリンピックではなく、デフリンピックに出場している。

(本人提供)

「背景事情も含め、デフリンピックのことは、まだまだ知らない人がほとんどですね。2025年の東京開催が、大きなきっかけになればと思い、日々練習を頑張っています」

こう話すのは、陸上のデフアスリートで、デフリンピック出場経験のある、山田真樹(やまだまき)さん。今回は、デフアスリートの日常や、表現者としての道についても話を聞いた。

デフアスリートとしての日常

(本人提供)

「自分はありがたいことに環境に恵まれていますが、中には、全て自己負担でデフリンピックに出場している選手や半分自己負担しながら参加する選手もいます。もっとデフリンピックが知られて、改善されていけたらと切に思いますね。デフリンピックはオリンピックやパラリンピックと違って、金・銀・銅ほどの成績を残しても、報奨金が出ないのです」

練習場所は、NTC(ナショナルトレーニングセンター)や専用体育館ではなく、公共施設などを利用しているそう。場所が日によって変わるので、間違えずに行くように心掛けているそうだ。

過去には出場辞退の経験も

2022年のデフリンピックは、ブラジルで開催。山田さんは、100m走に出場も力を出しきれず、7位入賞。
無念の思いをしつつ、次の競技に出る心の準備をする。そんな時、選手の中に新型コロナウイルス陽性者が11名現れたのだ。感染拡大の防止のために、日本選手団は5月11日以降のすべての競技について出場を辞退することに決定した。

「何も考えられなかったですね。張り詰めていた糸がふっと切れそうになりました。部屋に戻ってからベッドの上で放心状態でした。翌日、本来だったら出れる競技の日も、もうずっと天井ばかり見ていましたね」

(本人提供)

長い間、かけた練習の日々は一体何だったのか。仕方ないと思うしかない状況である。だが、ただ力が抜けただけだったと言う。

帰国してから3か月間全く行動できなかったという山田さんだったが、自身のコーチからの前向きな声掛けでなんとか前を向くことができたと言う。

山田さんは、2025年開催のデフリンピックに向け、日々練習をこなしているそうだ。

表現者としての道も…

そう話す山田さん、実はデフアスリート以外に別の一面を持つ。それは、パントマイムを使った表現者の道。

「今は陸上に情熱をかけていますが、現役として責務を全うしたら、パントマイムの道も考えています」

表現者として活動する山田さん(異言語Lab.より提供)

小学生のころ、時々通っていたパントマイムのワークショップがきっかけで、高校生の時には、ニューヨークで公演したこともあるそうだ。今でも自分がその場に立っていたことが「信じられない!」というように山田さんは話してくれた。

「パントマイムは音声でも手話でもない身体の表現です。自分は耳がきこえないので聴者の会話についていけず、もどかしい思いをすることが多かったんですね。しかし、パントマイムは全身で思いを伝える。それがとても面白いです」

キャストとして活躍中(異言語Lab.より提供)

「自分は立派な人間ではなくて、できることもちっぽけです。が、その中でできること、やれることがあるなら、とことん極めて行きたいと思っています」

にっこり微笑んで山田さんは語ってくれた。

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