不登校の一因にもなっている起立性調節障害。発症すると、自律神経のアンバランスにより血圧や脈拍に異常が生じ、身体が潰されそうな倦怠感で朝起きられなくなる。思春期の頃に発症しやすく、症状の重い人は闘病期間が数年以上に及ぶ。夜には症状が軽くなる傾向もあり、「サボり」と誤解されることも多い病気だ。

ハルさんは、そんな起立性調節障害の当事者だ。中学1年生で発症し、10年に及ぶ闘病を続けている。また、起立性調節障害の理解を深める団体の代表を務め、YouTubeでの配信、講演活動、相談会、学校に向けた研修会などを開催している。その症状はどのようなものなのか? そして、どのように病気と向き合ってきたのか? ハルさんに話を聞いた。

病気で家庭と学校という居場所を失う

ハルさんが学校に行けなくなったのは、中学1年生の夏だった。倦怠感と頭痛と吐き気に苛まれ、起きていることもままならなかった。脳外科でMRI検査を受けるも、異常なし。それまでソフトボール部で元気に活動していたのに、予兆なく重い不調におそわれた。1週間経っても、2週間経っても、原因不明のしんどさはおさまらない。ベッドに縛られ、不安に覆われる日々が続いた。

ある日、母親がインターネットの検索で、ハルさんの症状と合致する病名を探し当てる。当時、大阪に2か所しかなかった専門医のひとつで診察を受け、正式に起立性調節障害の診断が降りた。しかし、診断が下りても、体調はよくならない。生活はガラッと変わっていった。

「起立性調節障害になった当初は、何もできませんでした。起き上がれるのが夕方で、夜になると家族も寝てしまいます。『家族が寝るから静かにせなあかん』と思って、大人しく過ごすしかありません。もともと私は学校が好きで、友達と騒ぐのが大好き。楽しみがなくなって、苦しかったです。次第に、私の様子を見ていた母親のメンタルも落ち込んでいって。それを見た私も『申し訳ない』と強く思うようになり、自責が止まらなくなりました。そして、私と母親の距離をとったほうがいいと家族で決め、父親と2人で暮らすようになりました。ただ、父親は仕事があるので昼間はいません。友達とも話せませんし、孤独でしたね」

発症から1年。中学2年生からハルさんの体調は、頑張れば学校に通えるくらいにまでよくなった。「病気が治った」と思ったハルさんは、「家に1人でいるのは嫌。友達と一緒にいたい」という思いから、遅刻をしつつも学校への通学を続けた。しかし、中学3年生で再び体調が悪化。学校には少ししか行けなくなり、心の不調にも陥った。

「朝、起きれず夜しか動けない身体に戻りました。無理をしすぎたんでしょうね。期待した分、絶望しかありませんでした。夜に学校の前に行って、明かりのついていない校舎をぼんやりと眺めて帰る。そんな日々を過ごしているうちに、うつになりました。食欲もまったく湧かなくて、ゼリーすら食べられません。朝起きれない、着替えられない、ご飯を食べられない、お風呂に入れない。当たり前の生活がなにひとつできなくなりました。体調も悪く、精神的にも辛い。学校生活を奪われて、1度は生きることを諦めました」

心身ともにどん底に落ちたハルさん。それでも、自分の楽しみである学校には、1時間だけの出席などを行いながら、できる限り通い続けた。しかし、心が安定しない。希望を見いだせない日々を送る中、投げやりになっていく。そのときに、救いになったのは学校の先生たちの寄り添いだった。

「1番心に残っているのが、屋上近くの窓のふちに腰掛けていたときのことです。投げやりになっていた時期で、『落ちてもいいや』と思っていました。そのときに、先生が私と同じように腰掛けてくれたんですよ。同じ目線で話を聞いてくれて。そこから死にたいという気持ちは少なくなりました。他の先生も、私が泣いたり過呼吸になったりしたときに、話をしっかり聞いてくれました。とても嬉しかったです」

その後、友達の後押しもあり、入学後の生活が心配で行く予定のなかった高校を受験。無事に合格し、高校生活を始める。

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