「なにか門が開けたような感覚。くもりや淀みのないありのままの姿でいられる」
若き縄文アーティスト・兵頭百華さんは「縄文」との出合いをこのように表現します。
婚約者だった縄文造形家・村上原野さんとの死別を経て、兵頭さんは、出会えた悦び、哀しみ、祈り、自分自身への誠実さを土器作りを通して素直に表します。6月26日まで、岡山県新見市の「猪風来(いふうらい)美術館」で初の個展「兵頭百華 縄文土器展 めざめの軌跡〜土にふれる喜び〜」を開催。兵頭さんの思いを取材しました。

「縄文の美」を現代に蘇らせる

新見市の山あいにある美術館「猪風来美術館」を訪ねたのは、桜咲く4月初旬。美術館には縄文造形家の猪風来さんと、息子の原野さんによる縄文土器の模写のほか、縄文の心に現代の感性を乗せて創作した作品約300点が展示されています。縄文に特化した展示内容は全国的にも珍しく、最近の「縄文ブーム」もあり、全国からファンやアーティストが訪れます。

廃校を利用して2005年に開館した「猪風来美術館」。入り口では、美術館館長・猪風来さんの作品が出迎えてくれます。

縄文土器とは、土に砂を混ぜ発酵させた「縄文粘土」を使用し、輪にした紐を積みあげる「輪積み技法」で作る土器のこと。文様は指や竹べら、縄といったシンプルな道具のみで表し、生命や魂への祈りが込められています。そして、乾燥の工程を経た土器は、太陽と風と火の力だけを使った大地の野炉「縄文野焼き」で焼き上げられます。
「縄文は、1万6000年前から1万3000年間もの長きに渡って、日本列島で花開いた文化。私たちの先祖は、生命と魂に祈りを捧げ、その尊厳ある命をいただく煮炊きの道具である土器を作りました。これは世界でも最古級の土器文化であり、また『縄文の美』という独自の造形美を生み出しました」と猪風来さんは話します。

兵頭さんによる「人面把手付深鉢」の模写。別名「出産土器」。まさに生まれようとする子どもの姿(下)と、産みの苦しみの表情を浮かべる母の顔(上)が印象的です。

4月3日、兵頭さんはギャラリートークとともに、「縄文土器の発酵/酵素シロップのお茶会」も開催しました。
酵素シロップは、兵頭さんが制作した縄文土器を器として用い、料理研究家・井口和泉さんが椿の花や季節の野草を入れて白砂糖とともに発酵させたもの。個展来場者に振舞われました。

井口さんによる酵素シロップの製造の様子。発酵させた粘土を使う縄文土器と酵素シロップには「発酵」という共通点も(提供:井口さん)

縄文土器の中からヤマブドウの実が見つかった史実をもとに、「きっと縄文時代の人々も木の実などで果実酒を作って楽しんだのではないかと想像し、酵素シロップを考案する井口さんにコラボをお願いしました」と兵頭さんは話します。縄文土器と酵素シロップの“発酵”を結びつけた、兵頭さんならではの感性が光りました。

「見つけたなら、とことんやりなさい」

1999年、倉敷市生まれの兵頭さん。「学校は向いていなかったです。同じ時間に集まり、同じことをしなければならないことに違和感を持っていました」と学生時代を振り返ります。
時間や考え方を“拘束”されることに疑問を抱きながら高校を卒業。その後2年、家事手伝いをしながら、自分の”内なる声”を信じて興味のある場所へ出掛け、知見を深めました。
20歳の頃、兵頭さんはドキュメンタリー映画「縄文にハマる人々」の上映会と講演会を観に行き、そこで縄文に出合い、開眼します。すぐに、猪風来美術館を訪ね、“まるで何かに導かれたように”縄文の世界観にのめり込んで行きました。

「縄文土器作りが楽しくて仕方がない」と制作に没頭するようになった頃の兵頭さん(提供:兵頭さん)

土器作りの体験会から楽しそうにキラキラしながら帰宅した兵頭さんに、母・美枝さんは「見つけたんなら、とことんやりなさい」と言葉をかけ、背中を押してくれました。そこから制作に没頭。新見に通い、2年間で約40点の縄文土器を完成させました。兵頭さんの勢いは止まりませんでした。

村上原野さんとの出会いと別れ

水を得た魚のように、次々と技を吸収する兵頭さんを指導したのは、猪風来さんと原野さんでした。
原野さんは1987年、北海道の原野で誕生。自給自足をしながら竪穴式住居に家族と暮らし、父の創作を肌で感じた幼少期を過ごします。高専卒業後、一般企業に就職するも、縄文への情熱を抑えきれず退職。2010年から本格的に修行を開始し、徹底的な模写を通じて、縄文の心と技に磨きをかけていきました。

天才的な技量が際立つ原野さんの作品。英字紙「ジャパンタイムズ」で大きく紹介されるなど、縄文の心と技を見事に昇華させた独自のスタイルは国内外から高く評価されていました。

「境遇や考え方が似ていた」という兵頭さんと原野さんは出会ってすぐに意気投合し、互いの夢や将来を語り合うように。結婚に向けて話を進めていた矢先、2020年2月、原野さんは突然、くも膜下出血のため32歳の若さで死去します。

兵頭さんをモデルにして創作された原野さんの遺作「渦巻く翅(つばさ)のヴィーナス」。

全ての思いとともに生きていく

原野さんの死後、猪風来さんを中心に、原野さんを慕う人たちは「猪風来美術館後援会」を発足しました。

原野さんの仕事や生き様を形にするため、クラウドファンディングを立ち上げたところ、全国の241人から当初目標の3倍以上の資金が寄せられました。この資金は、「村上原野縄文造形作品集」をはじめ、英文での作品集制作、遺作展の開催、全国の大学や博物館、美術館などへ作品集を寄贈する活動の資金に充てられています。

原野さんとの出会いによって、「本来の自分を思い出させてくれ、そのままの自分が素晴らしい」と改めて感じることができたと、兵頭さんは話します。

炎や水、生きもの、草木を思わせるような縄文文様。文様は思いや祈りを表していて、土器と文様は切り離して考えることはできないのだそう。

猪風来さんは「縄文アーテイストを自称する人はたくさんいるが、兵頭さんは縄文の心と技の両方を体得した数少ないアーティストの一人。持ち前の純粋な心が“縄文の心”にフィットしたのだろう」と評価します。
「ふとした瞬間に、『原野さんがいたら、こんな話を一緒にしたいな』という思いはあります。簡単に思いを断ち切ることはできませんが、哀しみとともに、原野さんに出会うことができた悦び、感謝、祈り。こういった全ての思いとともに生きていきたい。作品を通じてそれを表現していきたいと考えています」と、兵頭さんはまっすぐな眼差しで語ります。

この記事の写真一覧はこちら