岡山県真庭市の「御前酒」蔵元の辻本店と、「大正の鶴」蔵元の落酒造場が、初の共同醸造プロジェクトとして、それぞれの仕込水を交換した酒造りを行いました。

統一ブランド「HACCOS(ハッコウズ)」を掲げた、落酒造場の「大正の鶴」は一足早く1月17日に発売、辻本店の「御前酒」もまもなく完成し、4月21日の発売を予定しています。

“発酵”をテーマとした統一ブランドが生まれた背景や、仕込水を交換するという前代未聞の酒造りの秘話を、杜氏と蔵元の3人に聞きました。

“暴れ馬”のような硬水で仕込む

酒の8割は水でできています。味は主に米や麹(こうじ)で決まり、口に含んだときに鼻に抜ける「含み香」や余韻は、主に水が決めます。その“魂”とも言える仕込水を交換する挑戦的な試み。どのような経緯で始まったのでしょうか。

真庭市にある2つの蔵元は、同じ一級河川・旭川水系の伏流水を、仕込水として使用します。しかし、同じ市内といっても水質がまったく異なるそうです。

落酒造場の仕込水(左)と辻本店の仕込水(右)。水の交換は、タンクローリーやトラックにタンクを積んで行き来して運びました(提供:まにわ発酵’s)

「北房にある落酒造場は鍾乳洞をはじめとする石灰岩地域にあります。使用する仕込水は硬度130ppmの中硬水。普段はその中硬水と岡山産「朝日米」で醸造しますが、辻本店さんと話をしているうちに、軟水で仕込んだらどうなるんだろうという純粋な好奇心から始まりました」と、落酒造場五代目蔵元兼杜氏の落昇さんは話します。

たまたま互いの仕込水を飲み比べる機会があり、同じ伏流水でも、まったく異なるものだと発見したといいます。

2021年11月、特別純米酒「大正の鶴 HACCOS 2022」の仕込み作業を共同で行った様子(提供:まにわ発酵’s)

日本の水は軟水が多く、酒造りも全国的に軟水が主流。硬水を使う酒蔵は珍しいといいます。硬水に近いほど、カルシウムなどミネラルが豊富なため発酵が進み、アルコールが出やすいなどコントロールが難しいといいます。「暴れ馬のように発酵する水」と落さんが表現する中硬水。

その “暴れ水”を使った酒造りを現在進めているのが、辻本店の杜氏・辻麻衣子さんです。

辻本店は、岡山が誇る酒米「雄町」を使い、室町時代に確立された仕込方法である「菩提もと造り」を脈々と守り続ける酒蔵です。普段使う仕込水は硬度32ppmの軟水ですが、麻衣子さんは2月初旬、落酒造場の中硬水を使い、小さいタンクで「もと仕込み」、続いて「本仕込み」を行いました。

日本酒の前段階、醪(もろみ)の様子を見る麻衣子さん。フツフツと泡が出て、酵母は元気。いよいよ完成間近です。

硬水での初の醸造について、櫂(かい)で混ぜると、軟水のときよりもかなり重く感じたと話します。

「寒い時期だったので心配して保温マットや電球で温めたら、びっくりするくらいに沸きました。落さんに聞きながら、水の配分を変えたり、温度を調整しているところ。数日前からバランスよく仕上がってきました」(辻麻衣子さん)

様子を見ながら絞り、720mlで3000本を製造し、全国の特約店や海外でも販売します。

地元デザイナーによるラベル。落酒造場の緑と辻本店のネイビーと、それぞれのコーポレートカラーが混じり合ったデザインです。手ぬぐいは勝山ののれんを手がける染色家・加納容子さんによるもの(提供:まにわ発酵's)

同世代のライバルかつ“ワンチーム”

プロジェクトを前に、2人の杜氏はお互いの蔵を行き来し、打ち合わせを重ねました。ともに40代と同世代の杜氏である落さんと、麻衣子さん。杜氏になった背景は異なりますが、心意気は同じ「美味しい日本酒を造りたい」ということ。

落さんは東京農大農学部醸造学科を卒業後、百貨店に就職。実はお酒は弱い体質で、蔵元の跡継ぎながら、日本酒にあまり良いイメージはなかったといいます。しかし、学生時代に“しびれるくらい”美味しい日本酒との出会いを経て、自らの手で美味しい酒を造りたいと杜氏になることを決意。“土地に寄り添う”酒造りにこだわり、情熱を注いできました。

酒造りのライバルでもあり、「まにわ発酵’s」のワンチームで発酵文化を盛り立てていく仲間でもあります(提供:まにわ発酵’s)

一方、麻衣子さんは、杜氏になる予定は当初まったくなかったと話します。

「学生時代は外国に憧れ、大学では国際政治を専攻。外のことを勉強しているうちに、自分のルーツが知りたくなり、勝山へ戻りました。酒造りを手伝いながら、実家ではこんなにおいしい酒を造っていたのかと感動し、先代の杜氏から6年学びました」(辻麻衣子さん)

一昔前ならありえない貴重なデータ公開や技術交換も、2つの蔵で行いました。「いつもと違う水を使うことで、自分の蔵の水の良さにも気づくことができるし、新しい気づきもたくさんありました」と麻衣子さんは話します。

酒造りの“心臓部”と言えるデータを公開しながら、打ち合わせする様子(提供:まにわ発酵’s)

「御前酒は軟水を生かした酒造りをしているし、大正の鶴は硬水を生かした酒造りをしていることがわかりました。醸造の方法も水に合わせた工夫が見られました」(辻麻衣子さん)

発酵のプロが集まる「まにわ発酵’s」

今回のプロジェクトは、真庭市で発酵食品の製造を生業とする企業7社が2012年に結成した「まにわ発酵’s」がベースとなっています。

麻衣子さんの弟で、辻本店七代目蔵元の辻総一郎さんに成り立ちについて聞きました。

「真庭市は南北に旭川が流れ、その水を使った酒蔵や醤油蔵など醸造に関わる発酵文化が古くから栄えた歴史があります。最近は、真庭市に移住してきた方や地元の方がチーズやクラフトビールなど “洋の発酵”にも取り組んでいて、和と洋の発酵とで一緒に何かできないかと考え、『まにわ発酵’s』を立ち上げました」(辻総一郎さん)

酵母や菌など微生物をイメージしたという「HACCOS」のロゴマーク

「まにわ発酵’s」に名を連ねるのは、「辻本店」と「落酒造場」のほか、1888年創業時から変わらない蔵と杉桶を使い自然発酵にこだわる「河野酢味噌製造工場」、蒜山産ヤマブドウを中心にワイン造りを行う「ひるぜんワイナリー」、シチリアの製法で作るチーズ工房「IL RICOTTARO(イルリコッターロ)」、ジャージー牛を20年がかりで品種改良し、飼料まで手作りする酪農家のチーズ工房「蒜山ラッテバンビーノ」、真庭初のクラフトビール醸造所「美作ビアワークス」。

これまでにも、ワークショップやイベント、それぞれの蔵や工房をバスで巡る「発酵ツーリズム」を実施してきました。

「今回、2つの蔵で共同醸造を初めて行いました。今後は、日本酒だけでなく、ビールやワイン、味噌、醤油、チーズなど、発酵食品がクロスオーバーして、より魅力的な商品が生まれないかなと考えています」と総一郎さんは意気込みを話します。

業種を超えた真庭市の「発酵クロスオーバー」。消費者の心を捉えるようなワクワクするような新しい食との出合いに期待が高まります。

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