ベリーのような華やかな香りと赤みのある果実が特徴的なブラッドオレンジ。まだまだ日本での生産量は少なく希少ですが、地中海性気候で比較的にあたたかい香川県の小豆島では、ブラッドオレンジを特産品にしたいと、実都農園の向井亮二さん・愛さん夫妻が栽培に挑戦しています。

実都農園の向井亮二さんと愛さん

向井さん夫妻は、耕作放棄地をなくしたいと、2016年から小豆島で農業をはじめました。柑橘を中心に、キウイやブロッコリー、スイートコーン、ニンニクなどの野菜を育てています。

実都農園のロゴのシンボルとなっている花寿波島

小さな2つの島が並ぶ無人島「花寿波島(はなすわじま)」の近く、山側の道を歩いていくと、黒いネットになにやら果実らしきものが包まれた畑が見えました。山からはまだ2月の冷たい風が吹き降ろし、眼下には凪いた瀬戸内海が一面に広がる、その場所に植えられているのがブラッドオレンジでした。

ブラッドオレンジ(タロッコ種)の畑。実都農園では、タロッコ種とモロ種の2種のブラッドオレンジを栽培しています。

幼い頃に遊んでいたみかん畑がなくなっていく

亮二さんの母方の実家は香川県善通寺で、柑橘とキウイの農家でした。そのため、幼い頃は盆正月には帰省で田舎に帰ると、畑でよく遊んでいたと言います。しかし、中高生の頃には、次第にまわりの農家がどんどん農業を辞めていきました。

「気づいたら、もう、みかんの木がみんな切られていたんですよ」

亮二さんは、みかん畑が荒れ地になっていくのを目の当たりにして心を痛めていたと言います。

高校卒業後は愛媛大学の農学部に進み、柑橘の機能性成分の研究をしました。この頃にブラッドオレンジを食べた美味しさから、いつかは自分で育ててみたいという気持ちが芽生えていたそうです。

耕作放棄地をなんとかしたい気持ちがあり、生産者になって少しでも農地を維持できたらと、農業を軸に就職活動をするようになり、2011年に小豆島の農業法人に就職しました。営業職として3年勤めた後、就農の準備を始めました。

ほんのりと赤く色づいたブラッドオレンジ(タロッコ種)。収穫直後はまだ酸味が強いので、1か月程度貯蔵し、甘味を引き出してから販売します。

一方で、愛さんは小豆島生まれ、小豆島育ち。大学卒業後は1年ほど小笠原諸島に住み、ホエールウォッチングのアシスタントガイドをしていましたが、2009年に小豆島に戻ってきました。当時は、小豆島でネイチャーガイドをしたいと考え、まずは社会人経験を積もうと農業法人に就職しました。後になって、そこに亮二さんが入社し、2人は出会ったのです。

亮二さんの農家になる夢を聞いた愛さんは戸惑うことはなかったと言いますが、親からは「農業は食べていけない」と反対がありました。

しかし、2人の決意は固く、諦めることはありませんでした。

タバコ畑だった耕作放棄地を開墾

愛さんの祖父母や近所の人が持つ、耕作放棄地になっていた畑を借り、開墾作業を開始。昔はここでタバコや小麦、芋を育てていたそうです。木や草が生い茂っていた畑を開墾していると、近所の人や、80歳を超える愛さんの祖父が手伝ってくれることもあったと言います。

一年かけてようやく開墾を終え、ブラッドオレンジの苗木を植えました。実ができるまでに3年はかかるので、すぐに収穫できる野菜や、成木の柑橘園を借りて、ブラッドオレンジ以外で先に収益を出せるようにしたそうです。

やがて、ブラッドオレンジの実がなるようになりましたが、収穫量はまだ不安定です。ブラッドオレンジは寒さに弱く、冬の寒波や強風によって離層形成が起こり、自ら果実を落としてしまうこともよくあるのだとか。2021年は半分ぐらい落ちてしまいました。

実を寒さや鳥獣害から守るネルネットの資材費や、果実ひとつひとつにネルネットをかぶせる人件費を考えると、みかん栽培より倍の経費がかかると言います。それでも、2人のブラッドオレンジへの思いは強く、小豆島の特産品にするべく挑戦を続けています。

ストッキングのような素材のネルネット

耕作放棄地の再生が進みつつも、離農する高齢者の方が多い現実

「特産品にするためにはブラッドオレンジを育てる仲間を増やさないといけない。そのために、まず自分たちがしっかり栽培できるようにならないといけないねとは2人で話しています。食べたことがない方もたくさんいらっしゃいますし、見た目に抵抗を感じられる方もおられます」と愛さん。

実都農園で栽培した柑橘や野菜は、農協への出荷と個人販売の2本柱で販売しています。柑橘に関してはほぼ個人販売。現在の全体の売り上げの8割は島内で、業者よりも個人の顧客が多いのだとか。SNSや、直接のやりとりを通して、出来るだけ顧客の声を聞くことを大切にしています。

今では向井さんたち以外にも、農業をやりたい人が増えてきて、実都農園のある三都半島内では耕作放棄地だった場所が畑に再生され、以前より綺麗になってきたことを2人は感じています。

小豆島で昨年、新規就農をした人が収穫の手伝いに来ていました。

「でも、全体で見たら、高齢で農業を辞めていく人の方が断然多いと思います。その受け皿がどこになるのかが問題です。今頑張れている高齢者が、これから、もう5年、10年したら、大分しんどくなってくると思うので」(亮二さん)

柑橘は値がつきにくい現状があります。

「個人売りでようやくまあいいかなというくらい。島は土地が狭く、大規模産地のようには耕作面積を持てないので、なかなか柑橘栽培だけでは収益を上げることが難しいです。だから、兼業で会社勤めをしながらやったり、オリーブに改植したり、耕作放棄地になったりする流れになったんだと思います」(亮二さん)

「だから、どうしても柑橘畑が減っていく一方なんですよね」(愛さん)

「柑橘だけじゃなくて、野菜と併せてやっていけたらいいなと思っています。柑橘の品種や園地の条件によっては、全然利益が上がらないものもあるけど、僕たちがしなかったら、もう誰もしないだろうと思うところもあるので、維持して繋げていけたらいいなという気持ちですね」(亮二さん)

農業をする仲間を増やしたい

コンテナに入れた時に果実同士で傷つけ合わないように、ヘタの二度切りを行います。

今後、小豆島で農業をする同世代の若い人たちがもっと増えて欲しいと2人は話します。

「そうなった時に、サポートできるような立場になりたいです。みかん畑や野菜畑を増やして、もっと生産量が増えたら、地元の人の雇用を増やせて、地元に還元できるかもしれません。いつも地元の皆さんに支えていただいているので、ちょっとでも恩返しできれば」(亮二さん)

一方、愛さんは島の子どもたちに農業体験などで、土に触れ合うきっかけづくりをしていきたいと言います。

「私自身が子どものときに、島にいても農業をしたことがなかったし、興味もなかったので、今の子どもたちには土に触れる楽しさを味わってもらえたらいいなと思います」(愛さん)

向井さんたちの娘2人も、よく畑で遊び、収穫も手伝ってくれるそうです。愛犬のさくらちゃんも、のびのびと畑を駆け回っていました。子どもたちや犬にとっては、とっておきの遊び場にちがいありません。

後日、収穫のタイミングに訪ねると、当初、就農に反対していたという愛さんの父の広志さんも手伝いに来ていました。「生きがいができた」と、終始、みんなと会話が尽きることなく作業をつづけ、和気あいあいとした収穫風景。「今年はこの上の耕作放棄地も開墾し、里山を作りたい」と広志さんは意気揚々と語っていました。

誰もやらないことでも、楽しそうに取り組んでいたら、仲間が増えていくのかもしれない。向井さんたちを見ていると、そんな風に感じました。

そのまま食べてもおいしい果実(ブラッドオレンジ・モロ種)を贅沢に絞ってみると、真っ赤なジュースになりました。

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