「日本のウユニ湖」として、すっかり全国区の人気スポットとなった父母ヶ浜(ちちぶがはま)のある香川県三豊市。活気づく街では、次々と魅力的なゲストハウスが誕生しています。オーナーたちは皆、地元愛にあふれた人ばかり。彼らが語る宿への思いやこだわりを、数回にわたってお届けします。第5回は、瀬戸内の風景に惚れ込み、岐阜から移住して宿を営む深井さんご夫婦です。

憧れの瀬戸内に移住し、多忙な人生をリセット

宿の名前は「咄々々(とつとつとつ)」。耳に残る印象的な響きです。

「これは、“あらまあ!”という感嘆を表す禅語。かつて千利休は、茶会を開くたびに趣向を凝らしたしつらえやもてなしでお客様を驚かせたとか。偉大な茶人の粋にあやかって、私たちも楽しみながらお客様をもてなしたいと思っています」

こう語るのは、夫の志郎さんと共にこの宿を営む深井夏子さん。岐阜県で20年近く自家焙煎コーヒーの喫茶店を営んでいましたが、多忙な毎日で体調を崩したことをきっかけに、別の土地で人生をリセットすることを考えるようになったそう。自動車部品の設計を手がける志郎さんが、自分の仕事は場所を問わずできると後押してくれたこともあり、以前から憧れていた瀬戸内地方で移住地探しを開始。何年もかけて各地を巡った結果、知人のつてで出会った、三豊市の荘内半島にある海を見晴らす家を借りることになりました。

独学でコーヒー焙煎を究めてきた夏子さん。宿のダイニングで週3日のみ営業するカフェでも、淹れ立てのコーヒーが味わえます

縁もゆかりもない土地での再スタートでしたが、コーヒー焙煎を始めるうちに知り合いも増え、以前からやってみたかったゲストハウスへの思いが膨らみます。海の近くには宿ができる広さの家がなかなか見つからず、内地を探して出会ったのが、自然豊かな山裾にありながら、JRの駅からも徒歩圏の現在の家。広々とした庭や納屋も備えた、築30年ほどの立派な日本家屋でした。

尾(屋根の稜線)が8つ以上あることから「八尾(やつお)の家」と呼ばれる、香川県西部の伝統的な日本家屋のスタイルです

「海辺の景色に未練もあったのですが、和室をぐるりと取り囲む開放的な廊下にひと目惚れ。建物のよさを活かして、水回り以外は自分たちでリフォームしました」と夏子さん。1年近くかけて少しずつ手直しし、201912月に、母屋の一部を提供する農家民宿スタイルの宿としてオープンしました。

宿泊者用のダイニングとリビングは、回り廊下も備えた贅沢な空間。ダイニングのフローリングはDIYで、テーブルも志郎さんの手作り!(写真提供:咄々々)

寝室はふたつ。「蒼の部屋」は、吸い込まれるような蒼い壁が美しいベッドルーム(写真提供:咄々々)

もうひとつの寝室「朱の部屋」は和室。四季折々の草花をモチーフにした襖絵は、夏子さんと地元作家とのコラボレーション

三豊の魅力を、美味しいご飯と体験プログラムで満喫!

「咄々々」最大の魅力は、長年にわたって喫茶店で腕を振るってきた夏子さんが作る、とっておきの手料理。素泊まりもできますが、ほとんどのお客さんは食事付きのプランを選択するそう。三豊の旬の食材をふんだんに使った料理は、朝・夕ともに和洋のいずれかから選べます。

和の夕食の一例。器も盛り付けも美しく、食欲をそそられます(写真提供:咄々々)

「ひと皿ずつサーブしながら、食材の説明をしたり生産者の方の話をしたり。食事をお出しすることで交流のきっかけになり、心を開いてくださるお客様が多いですね」

たとえば、「山奥でパエリヤ専用の米を作っている農家さんがいる」「大きくてジューシーな三豊ナスは香川ならではの食材」といった話題から話が盛り上がります。

「今後は、仕入れ先の農家での収穫体験もできるようにしたいですね。そうやってストーリー性を持たせながら食べていただけると、お客様の記憶に残る旅になるんじゃないかと思います」

洋の夕食の一例。パエリヤの米を始め、地元の食材がふんだんに使われています(写真提供:咄々々)

ほかにも、ステイしながら様々な体験を楽しんでほしいと語るご夫婦。

「景色ではオーシャンビューの宿にかないませんから、うちならではの特色を打ち出したい。地元の方とのご縁を活かして、体験プログラムをどんどん作っていきたいです」と語る志郎さんも、本業から宿のほうへと少しずつ仕事をシフトチェンジしているのだといいます。

交流のある作家による草木染め教室や陶芸教室、山の会のベテランにガイドしてもらうトレッキングなど、プランは尽きません。才能のある若手や、趣味の枠を超えた達人の副業に発展すればうれしいと語る志郎さん。そうやって外から旅人を呼び込んで地元に還元したり、移住希望者と地元の人をマッチングしたりと、この宿を「人と人とをつなげる拠点」にすることが夢だと目を輝かせます。

「三豊の一番の魅力は人のよさ。開けっぴろげで優しい人ばかり。移住してから私たち自身もぐんとつながりが広がりました」と、うれしそうに語るふたりです。

宿の食事やカフェランチのパンは、志郎さん自ら焼いたもの。独学とは思えないほど小麦の味わいが豊かで個性的なフィリングのパンには、地元ファンも多い

今春からは、庭にピザ窯を始めとした“大人の秘密基地”をつくりたいとのこと、次々と新たな楽しみを生み出していく深井さんご夫婦は、「やりたいことが多すぎて、私たち自身が“あらあらまあまあ!”っていう感じですね」と笑います。心から宿の営みを楽しんでいるふたりのおもてなしに、お客さんもきっと、“咄々々”の連続になること間違いなし!

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