10年前の2011年3月、東日本大震災、そして福島第一原発事故とこれまで経験したことのない未曽有の事態が発生した。当時、福島県やその近県で子育てをする家族は目に見えぬ放射性物質への不安の中で生活していたが、遠く離れた香川県で何かできないかと始まった活動があった。

その名も「福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト」。2011年以降、休まず継続してきた発起人の渡辺さと子さんと共にこの10年を振り返る。

活動の源泉は「なんとかしなければ」という使命感

「10年はすごく長い。小学生だった子どもたちが20歳、大学生になる時間ですもんね。大きくなって、ボランティアとして帰ってきてくれるんですよ」

こう話す、渡辺さと子さんの柔らかい笑顔が印象的だ。

地域の子どもたちとの交流(写真提供:NPO法人 福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト)

この10年間、東日本大震災の支援を続けているNPO法人「福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト」。その名の通り、福島やその近隣の被災地の子どもたちを、香川県に迎えるという支援活動を継続して行っている。

震災当時、原発事故の影響により屋外で遊べない子どもたちが大勢いることを知った渡辺さん。

「なんとかしなければ」

そんな思いで立ち上げたボランティア団体である。

渡辺さんをはじめ、集まったボランティアの仲間たちは、最初からスペシャリストという訳ではない。多くの子どもたちを預かって、「何か事故があったらどうする?」「お金は足りる?」不安なことはたくさんあった。当時は助成金のことも何も知らず、とにかく街に立って募金を集めた。「被災地には行けないけど、ここでも出来ることはあるのね。」と多くの人が募金に協力してくれたと言う。

2011年の夏、1台のバスを借り上げることができ、福島へ向かった。子ども29人と保護者10人に、自然豊かな香川で11泊12日過ごしてもらったことが初めの一歩だ。

以降毎年、瀬戸内海に浮かぶ島やキャンプ施設、ホームステイ先などでの保養活動を通じて、福島と香川が繋がっていく。

夏はカヤックに挑戦(写真提供:NPO法人 福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト)

手打ちうどん体験も行った(写真提供:NPO法人 福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト)

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2020年は保養活動が中止になることもあったが、2021年3月には原発事故で福島県の村に残された犬や猫の写真展「Call My Name~原発被災地の犬猫たち~」を高松市で開催し、3日間で559人の来場者を集めた。

福島の犬と猫の写真から自分事として考える

「わんちゃん、ねこちゃんが好きな人が見てくれて、ああそうなんだ、飯舘村でこういうことが起きているのね、というのを知ってもらうことはすごく意義がある」

「他人事ではないよ、自分たちの事として考えたいね、というのを伝える機会にしたい」

日を追うごとに増加した来場者数からも、それぞれが自分事として再認識する写真展となったことだろう。

孤立してどこにも相談できない、をなくしたい

「個人で何でもできるわけではないが、集まった人が人をつなげ、出来る人が出来ることをやっている」

淡々としていても常にバイタリティー溢れる渡辺さんの話を聞くと、ボランティアを難しく考え過ぎてもいけないということを感じさせてくれる。

パネルを使って丁寧に説明してくれる渡辺さん

活動の中で大切にしていることは、とにかく「孤立してどこにも相談できない」という状況を作らせないことだ。福島や関東圏から移住し、遠く離れた香川県で新しい生活を始めた人々は、子育てや就職などで分からないことや困難なことと多く出会う。

「辛かった。話せる人がいなかった」

普段、子どもの前では弱音を吐けない母親たちが、同じ境遇の人たちの前では本音で話し始めることも。3.11の頃になると気持ちがつらくなったり、「福島」ということを言い出せなかったり。つらさをずっと抱えて移住先で生活する人もいる。

同じ福島県、同じ地域、たとえ家族といえども、原発事故や保養、移住についての考え方はそれぞれ異なり、また置かれている事情も異なる。だからこそ、渡辺さんは「こうすべき」と言うつもりはなく、一人一人に寄り添った活動をすることを決めた。

この10年間、一人一人に寄り添ってきた

子どもの成長が見られることが何よりもうれしい

保養に参加できるのは中学生までとなっている。

小学5年生の時に初めて保養に参加し、以降も何度か参加していたが高校生になると参加できなくなってしまった子がいた。そこで、その子は立場を変えて「ヤングボランティア」として参加することにしたのだ。「やさしいお兄ちゃんが来た」と子どもたちは大喜び。その後、心理学を勉強しようと大学生になっても、アルバイトを休んで7泊8日の保養にボランティアとして参加した。

「こんないろいろな経験ができるところは他にはないから勉強になるんです」

「僕は参加者の子どもの気持ちも分かるので」

アルバイトを休んで来ていることを心配した周囲からの声掛けに対する回答である。いつの間にか成長していたことに気づいた瞬間だった。

貴重な消防士体験(写真提供:NPO法人 福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト)

自分事として考えてもらえるために伝え続ける

「『何の得にもならないことをよくやっているね』と言われる」と笑う渡辺さん。

「福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト」の活動の柱は、「保養」と「移住者支援」。しかし、渡辺さんが考える最も大事なことは「ずっと自分事として考えてもらえるために伝える」活動だ。

写真展や講演会、映画上映会などを通じて、風化させずに香川の人であっても福島で起こったことを他人事ではない、自分事として考える機会にしたいという。

「今ある生活を全部捨てて、根こそぎ引っこ抜かれるようにして他の場所に行くことは、どんなことなんだろうと」

「おいで」でやっているから

10年という月日が経過しても、活動報告すると寄付金を振り込んでくれる人や、ホームステイを受け入れてくれる家庭はまだ存在しているが、当初と比べるとやはり寄付金や助成金は減少しており、活動も厳しくなりつつある。

しかし、
「福島の原発事故のことに関しては10年で片付けられる問題ではなく、活動はずっと続けていきたい」
「福島の子どもたちと香川とのつながりを何とか続けていく工夫をしていきたい」
と、真っすぐに将来を見据えながら渡辺さんは言う。

プロジェクトのネーミングの由来を聞くと、「私が考える名前は長いんです。それだけ聞いたら分かるという感じ。福島の子どもたちを香川に招くというプロジェクトだから」

「『おいで』でやっているから」と。

今後の渡辺さんの温かくも工夫を凝らした新しい活動がとても楽しみである。

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