10歳息子が突然泣き出し、左半身に異変→救急車で運ばれるも…医師「救命を最優先に」その後、10歳に課された試練とは

10歳息子が突然泣き出し、左半身に異変→救急車で運ばれるも…医師「救命を最優先に」その後、10歳に課された試練とは
10歳で脳出血に(@shibamama0317さんより提供)

@shibamama0317さんの息子さんは10歳のとき、夜に突然泣き出し、顔面麻痺などの症状が現れました。

救急車で搬送されたものの、病院到着後に容態が悪化。
「救命を最優先に手術をします」と医師から告げられたといいます。

その後の息子さんについて、お母さんの@shibamama0317さんに話を聞きました。

突然息子さんを襲った病

2024年3月の日曜日の夜、@shibamama0317さん家族はいつも通り食卓を囲んでいました。ところが突然、息子さんが「何か変…」と泣き出し、口からはよだれが流れ落ちます。

慌てて抱きかかえると、しがみついている手は右だけ。寝かせて万歳をさせても左手だけ上がらず、左足も上げられない状態でした。

@shibamama0317さんはリハビリ職に携わっていたこともあり、すぐに脳で何かが起きていると気づき、救急車を呼びました。搬送先の病院もすぐに決まり、「病院に着いてすぐに処置してもらえれば、後遺症もあまり残らないかもしれない」と思っていたと振り返ります。

息子さん①(@shibamama0317さんより提供)

急変した息子さん、緊急手術へ

検査後、処置室で息子さんと少し話すことができたという@shibamama0317さん。救命医から、脳出血を起こしていることを聞かされました。

その後、脳外科医から「今から緊急手術になると思うので書類を作ります」と説明され、いったん待合室へ。しかし、すぐに呼び戻されました。

駆けつけると、先ほどまで話していた息子さんが目の前で急変。
「お父さんも電話で呼んでください!」と言われ、慌てて旦那さんを呼びました。

医師からは「おそらく再出血を起こしている。まずは延命を第一目的として行う手術だということで了承してください」と告げられ、@shibamama0317さんは頭が真っ白になりました。

「寝たきりになるかもしれない、麻痺が残るかもしれない…といろいろなことを想定しました」と当時を振り返ります。

先ほどまで話していた息子さんは、目線も定まらず小刻みに震えていました。@shibamama0317さんが言われるままに書類へサインをしている間にも、息子さんは瞳孔が散大し、挿管され、髪をバリカンで刈ってCT検査へ向かったそうです。

@shibamama0317さんと旦那さんは、息子さんと一緒に手術室へ向かうエレベーターに乗り、名前を呼びながら「頑張って!」と声をかけることしかできなかったと振り返ります。

息子さん②(@shibamama0317さんより提供)

手術を経て、リハビリの日々へ

5時間に及ぶ手術が行われ、術後、医師から左半身の麻痺と高次脳機能障害が後遺症として残る可能性を告げられました。リハビリ職でもある@shibamama0317さんは、脳の画像から後遺症が残ることは分かっていたため、「どの程度まで回復するだろうか…」と考えていました。

実際に、息子さんには顔面や手、足に左半身麻痺と軽度の高次脳機能障害が見られたとのこと。

治療では、脳出血の出血点が見つかれば血管内治療かガンマナイフによる治療を行う予定でした。しかし、血管造影やCT、MRIなどの検査を重ねても出血点を特定できず、現在も未治療の状態だといいます。

手術後は8ヶ月にわたる入院生活の中で、リハビリにも取り組みました。立ち上がりや歩行訓練、上肢への刺激を促す訓練や基礎訓練などを行い、回復期病棟のある病院へ転院してからは、オーダーメイドの装具を使った歩行訓練にも取り組んだそうです。

また、院内学級がなかったため、高次脳機能面の訓練と並行して、言語聴覚士による学習支援も受けました。

リハビリに取り組んで(@shibamama0317さんより提供)

リハビリを支えた家族や周囲の人たち

リハビリに懸命に取り組む息子さんの姿を見て、@shibamama0317さんは、その辛抱強さに驚いたといいます。

手術後は自分の置かれている状況が理解できず、泣きながらリハビリをしていた息子さん。しかし、回復期病棟に移るころには、つらさで泣くことはなくなり、うまくできない悔しさから涙を流す姿を見るようになります。

「だからこそ、とにかく一日一日機能が回復することを、ただただ願っていました」と@shibamama0317さんは語ります。

左手が動き始めたとき(@shibamama0317さんより提供)

そんな日々を支えたのは、家族だけではありませんでした。息子さんを家族のようにかわいがってくれた友人家族や、仕事を調整して支えてくれた職場、同じ時期に入院していた同年代のお子さんと、お子さんのお母さんとの交流も、大きな支えになりました。

当時、息子さんが楽しみにしていたのが週末の外泊でした。外泊すると、お隣さんがさまざまな企画を用意して楽しませてくれたそうです。

外泊できないときには、リハビリの合間に病院の外まで来てくれ、一緒にアイスクリームを食べたり話をしたりすることも。
「息子にとって、それが本当に嬉しい出来事で、頑張る原動力になっていたようです」と話していました。

現在は卓球に打ち込む息子さん

発症当時は小学5年生だった息子さんも、現在は中学1年生に。麻痺の影響で技能教科では配慮が必要なため、見学することもあるといいます。

一方、高次脳機能障害の影響で学力が著しく低下したり、授業についていけなくなったりすることはなかったとのこと。中学校と必要な配慮について取り決めを行い、友達と一緒に同じ学区の通常学級に在籍しています。

回復した息子さん(@shibamama0317さんより提供)

現在はパラ卓球にも挑戦している息子さん。退院後、卓球の障がい者協会に加入し、月2回の活動を続けていました。その後、もう少し卓球をしたいという本人の希望から地域のクラブを見学。監督から「十分同世代と戦える」と言ってもらい、同年代のクラブや中学校の部活動にも所属しました。

現在は多い週で週5回、卓球に打ち込んでいます。目標は、部活動やクラブの一員として県大会で戦えるようになること。そして、パラ卓球では全国障害者スポーツ大会の県代表になることです。

パラ卓球に挑戦(@shibamama0317さんより提供)

今後について@shibamama0317さんは、「卓球や今後ほかにもやりたいことが見つかったとき、親として、リハビリ職としても周囲に働きかけて、理解が得られるような環境作りなど、その都度必要なサポートをしていけたらと思っています」と話していました。

発症から2年。これまでを振り返った@shibamama0317さんの投稿には、「頑張ってるね」「素晴らしい成長と努力」といった声が寄せられています。
突然の発症からリハビリを経て、現在は卓球に打ち込む息子さんの歩みが伝わる投稿でした。

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