6年間の不妊治療を乗り越え、ようやく娘さんを授かったミコフォトさん。しかし出産時、娘さんは仮死状態で生まれ、すぐに低体温療法を受けることに。さらにMRI検査では、麻痺が出る可能性があると告げられました。
それから7年後、現在の娘さんの姿をSNSに投稿し、小学校でリレーの選手に選ばれたことを報告します。
そこで、ミコフォトさんに娘さんが生まれたときのことや7年後の出来事について聞きました。
6年の不妊治療を経て授かった命
ミコフォトさんは長男さんを授かりましたが、なかなか二人目に恵まれず、6年間にわたって不妊治療を続けていました。4年間通ったクリニックでは結果が出ず、転院後すぐに妊娠が判明します。
しかし、心拍確認後に流産となり、さらに胎児の組織から生じる可能性がある病変が見つかったため、約半年間の経過観察が必要になりました。その後、ようやく娘さんを授かることができました。
年齢・体力・金銭面のすべてで「これが最後」と覚悟して臨んでいたため、妊娠がわかったときは嬉しい反面、以前の経験から手放しでは喜べなかったといいます。
そうした不安を抱えながら始まった妊娠生活でしたが、赤ちゃんがお腹を蹴るようになったとき「なんて元気な子だろう」と、ミコフォトさんは嬉しく思ったそうです。蹴る力は長男さんの倍ほど強かったのだとか。
高熱の中で迎えた出産…娘に起きた“まさか”の出来事
妊娠中は、初期に少し出血があったものの、成長も順調、何の心配もなく過ごせていました。
出産の前日の早朝、38度を超える高熱に襲われたミコフォトさん。検査の最中に陣痛が始まり、高熱で意識がもうろうとするなかでの出産になりました。原因はわからないまま、自然分娩でしたが最終的には吸引分娩に。生まれた赤ちゃんは仮死状態でした。
ヘトヘトだったミコフォトさんは「そういえば泣き声を聞いていないな…」と思ったほどで、赤ちゃんが慌ただしく連れていかれた理由もわからなかったといいます。処置を終えてベッドに戻ると、医師から「娘さんは仮死状態で、低体温療法を行う必要がある」と告げられ、同意書への記入を求められました。
「本当に訳がわからず不安でしたが、不妊治療でも結果を出してくれた病院なので、信じてお任せしようと思いました」と当時を振り返ります。

そして、低体温療法が終わり、脳の検査をした結果「麻痺が出る可能性がある」と告げられました。
突然の現実を前に、ミコフォトさんは“どの家庭にも予想できない出来事が起こり得る”と実感したといいます。
「なりたくてそうなる方はいません。それぞれの家族が、大切なわが子のために現実と向き合い、前へ進もうとしています。私も、授かるまでにたくさん悩んだのに、また新たな課題が訪れてしまったと感じて、当時はどう受け止めればいいのか分からず、立ち尽くしてしまいました」
当時の率直な気持ちを、そう振り返ってくれました。
7年後、リレーの選手に選ばれた娘
娘さんは特に目立った麻痺や障がいも見られず、生後2週間で退院することができました。


その後は、障がいの可能性があったため、約3ヶ月に一度、小児科で発達の検査を受けることに。月齢ごとの課題は毎回しっかりクリアし、1歳4ヶ月のときには「特に問題ないので、卒業で大丈夫です。何かあったら来てください」と言われ、小児科を卒業しました。
その頃からミコフォトさんは「あれ?もう心配しなくていいのかも。普通に過ごしていけるのかも」と思えるようになります。退院後も、娘さんは特別な治療やリハビリを行うことなく過ごしていました。
それから7年後のこと。娘さんはリレーの選手に選ばれます。

ミコフォトさん自身は運動が苦手なタイプ。そして、長男さんも運動は中の中くらいだったので、リレーの選手なんて別世界の話だと思っていたそうです。
「まさか娘が運動で活躍タイプ?!」と驚くと同時に「生まれたときにあんなふうに言われていた娘が選ばれるなんて、嬉しさでいっぱいでした」と語ります。

現在も娘さんは毎日元気に過ごしており、幼稚園年中で体操、年長でピアノ、小学校1年生でスイミングを始め、どれも楽しく続けているそうです。歌ったり踊ったりすることも器用にこなします。
「お友達も先生も大好きで、ママには甘えん坊ですが、小学校も楽しく通っています」と語ってくれました。
のびのびと、そして笑顔の毎日で…
ミコフォトさんは、普段からSNSを活用しており、Instagramには娘さんの写真と熟考した長文を、Threadsにはふとしたことをサラッと載せています。
「載せるぞー!」と意気込んだわけではなく、今回の投稿もふと載せただけでしたが「ここまで話題になるとは思わず、本当にビックリしています」と語るミコフォトさん。

今後、娘さんにはのびのびと、そして毎日笑顔で過ごしてほしいと語ります。
また、家族旅行などの「家族の思い出」をもっともっと作っていきたいとも。それは、なかなか二人目を授かれず、兄妹で10学年も開いてしまい、いざ娘さんが生まれてお出かけできそうなタイミングでコロナ禍になってしまい、実現できなかったからでした。
ミコフォトさんは、娘さんの誕生をきっかけにカメラを本格的に始め、フォトマスター検定1級を取得し、撮影や講座などさまざまな活動をしています。Instagramでは、その活動のお知らせやミコフォトさんが撮った素敵な写真がたくさん見られます。
投稿には、娘さんと同じく仮死状態で生まれ、低体温療法を受けた子どもを持つ人から多くのコメントが寄せられました。同じ経験をしている人の多さに驚かされたといいます。
娘さんの元気な姿はたくさんの人に希望や力を与えたのではないでしょうか。今後、ぜひ家族旅行を実現させて、ミコフォトさんに素敵な写真を撮ってほしいですね。

