むくむ足に違和感 その後、病院に行くと…まさかの診断。 つらい一面もSNSで発信し続ける理由に迫る

むくむ足に違和感 その後、病院に行くと…まさかの診断。 つらい一面もSNSで発信し続ける理由に迫る
足によって人生は変わらない(@yasuoka_sakurakoさんより提供)

「原発性リンパ浮腫」という病気を聞いたことはありますか?
生まれつきリンパ管が未発達だったり、うまく働かないことでリンパ液の流れが滞り、手足に慢性的なむくみが現れる病気です。

高校3年生で「原発性リンパ浮腫」と診断され、現在も18年にわたり病気と向き合い続けている安岡桜子さん。彼女に、日常生活やSNS発信を始めた経緯について話を聞きました。

「原発性リンパ浮腫」と診断され…

高校3年生の春、安岡さんは新体操で3年連続のインターハイ出場を目指し、朝から晩まで練習に打ち込んでいました。
ある日、いつものように柔軟をしていたとき、ふくらはぎにハイソックスの跡がくっきり残っているのに気づきます。

さらに、3時間の練習後もその跡が消えていないことに違和感を覚え「これだけ動いたのに、まだむくみが残っている…」と、体の異変を感じて病院を受診しました。

17歳のときに「原発性リンパ浮腫」と言われ…(@yasuoka_sakurakoさんより提供)

安岡さんはその後、「原発性リンパ浮腫」と診断されました。
診断直後は「自分の人生が終わってしまうのでは」と感じるほどの大きな喪失感があったといいます。さらに、当時17歳で「治療法がないため長く付き合っていく必要がある」と医師から説明を受け、不安や悲しさで涙が止まらない日もあったと振り返ります。

治療法はないと…(@yasuoka_sakurakoさんより提供)

さらに、医師からは「むくみを最小限にするには寝たきりでいてください」「蚊に刺されないように素足は禁止」「サウナやプールも禁止」「運動も禁止」「24時間の圧迫が必須」といった“禁止事項”ばかりを告げられました。

17歳の安岡さんにとっては受け入れがたく、人生が終わったような気持ちになったと話します。

その後、リンパ浮腫専門の病院に入院し、2週間の集中治療で毎日マッサージと、弾性包帯(バンテージ)で圧迫を24時間続ける治療を行いました。病院の同室には6名のリンパ浮腫患者さんがおり「同じ病気の方と出会ったのは初めてのことだったので、同じ気持ちをシェアできたのはとても嬉しく、励まし合いました」と振り返っています。

生きるだけで足はむくむ

安岡さんは「座っていても立っていても、私が私を生きているだけで足はむくみます」と話します。思うように体が動かない日があり、痛みを覚えることもあるといいます。

下肢が大きく腫れるため(ご本人談では“通常の2倍ほど”に見える日も)、選べる服はロングスカートやワイドパンツが中心に。靴や靴下の選択肢も限られ、特にソックスのゴムの食い込みには注意しているそうです。

「締め付けが強いと悪化につながることがある」と医師から指導を受け、弾性ストッキングはオーダーメイドを使用。価格は1着あたり約5万円が目安で、現在は補助制度が整いつつある一方、数年前は原発性への適用が難しい場面もあったと振り返ります。

愛おしいと思えるように(@yasuoka_sakurakoさんより提供)

夜は、バンテージ(弾性包帯)を巻くのが日課。慣れてきた今は、5分もかからずに終えられるといいます。

巻く際は、足先から上に向かうほど圧を弱めるなど、段階的に力加減を変えるのが安岡さんの工夫。血流やリンパの流れを妨げないよう、同じ力で巻き続けないことを意識しているそうです。
一方で、むくみが強い日に力を入れ過ぎると、夜中に痛みで目が覚めて外さざるを得ないこともあると振り返ります。

「強さはその日の体調で変わるので難しい。もっと楽にケアできたらと思う一方で、今は自分に合わせやすいのはバンテージで、生活に欠かせない存在です」と話します。

「ここがどん底、あとは上がるだけ」

安岡さんは、17歳で病気を発症してから約19年、この病気とともに生きてきました。その中で、多くの出来事や転機を経験します。

「思い返すと、本当にいろんなことがありました。一番最初に『ここがどん底、あとは上がるだけだな』と思えたのは、世界を旅したときだったかもしれません」

新体操を諦め、大きな喪失感に包まれていた20代前半。安岡さんは、アルバイトで貯めたお金を握りしめ、思い切って海外へ飛び出しました。アメリカ、イギリス、フランス、シンガポール、オーストラリア、中国など、さまざまな国々を旅した中で、安岡さんの視野は大きく広がっていきます。

「世界は本当に広くて、自分の悩みや考えがちっぽけに思えました。自分の足が太いからなんだ?まだこうして世界中を歩ける。こんな景色を見る目もある、耳もある、口もある。手もあるし、考える脳もある」

上にのぼるだけ(@yasuoka_sakurakoさんより提供)

そして、失ったものばかりを数えていた日々から「自分にあるもの」に目を向けるようになりました。その気づきが、安岡さんにとって最も大きな転換点だったといいます。

さらに月日を重ね、結婚や出産を経験した30代では「病気との向き合い方が大きく変わった」と話します。

「10代の頃は“なぜ私だけ”という気持ちでしたが、今では“病気になったのが私でよかった”と思えるようになりました。家族に“代わってあげたい”と言われた当時はわからなかったけれど、今ならその想いが痛いほどわかります」

病気になったからこそ得られた死生観や、人への思いやり、自分を大切にする姿勢。そのすべてを振り返り「もし病気にならない人生と選べるとしても、私はこの人生を選ぶと思います」と語ってくれました。

「痛みも発信していい」SNSで“ありのまま”を伝える決意

安岡さんがSNSで自身の病気や日常を“ありのまま”発信しようと決めたのは、ベトナム出張中のある出来事がきっかけでした。

仕事関係でベトナムを訪れた際、長時間のフライトや慣れない環境の中で足のむくみが悪化し、これまでにないほど腫れ上がってしまった安岡さん。限界を感じながらも、周囲には普段通り明るく振る舞い、元気な自分を演じていました。

そんなとき、現地でアテンドしてくれた方に思わず「足が痛くて…」とこぼしてしまいます。するとその方は「弱さを見せるのは恥ずかしいことじゃない。相手の弱みを知ったとき、人はもっと頑張ろうとか、助けたいと思えるのでは?」と、やさしく言葉をかけてくれたのです。

その言葉に心を動かされた安岡さんは、帰国後すぐに撮影をしてSNSに投稿。その動画は900万回以上再生され(2025年8月現在)、多くの共感の声が寄せられました。

それは安岡さんにとって、驚きと同時に「誰かのために、私の痛みや病気になったことそのものが意味を持った」と実感できた出来事でした。

夜のルーティンを行う安岡さん(@yasuoka_sakurakoさんより提供)

これまで我慢していた「痛い」という気持ちを素直に伝えられるようになり「できない自分」「弱い自分」「完璧ではない自分」も受け入れ、“ありのままの自分”を生きられるようになったことで、心がとても楽になったと語ります。

いつか治ってほしい(@yasuoka_sakurakoさんより提供)

会社設立に込めた想い

2024年9月、安岡さんは株式会社ikiteruを設立しました。
「私たちは人生を一度きりしか体験できません。どう生きるのかを一人ひとりが本気で考え、動き始めたら、きっと日常は変わるはず。右足が太いことは、大したことではないのかもしれない」と思いを語ります。

今後は、会社経営を通じて個々の能力や才能に光を当てる事業を展開し、「一人でも多くの方が自分の力に気づき、『生きてる』世界をつくっていきたい」と話します。

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