ある日いきなり「突発性難聴」という診断を受けてしまった靍田桃萌(つるたももえ)さん。病気を打ち明けようと思った理由や、その背景には一体何が合ったのでしょうか?
突然片耳の聴力が低下する「突発性難聴」をご存じでしょうか。原因不明で、前触れなく発症することが多い病気です。
三度のミスコンに出場し、元ミスコンファイナリストとして活動する靍田桃萌(つるたももえ)さんは、これまでSNSでダンスやメイク、日常の様子を発信してきました。そんな彼女が今回、初めて自身が「突発性難聴」であることを公表しました。
突然、片耳が聞こえなくなった朝
高校3年生のころのある日の朝、頭がぼーっとするような、耳が重たいような感覚が靍田さんを襲います。さらに、数分経っても耳鳴りがおさまらず、片耳が聞こえていないことに気づきました。


靍田さんはすぐに大きな病院を受診し、突発性難聴と診断されました。症状や予兆はまったくなく「本当に予想外の出来事で、その朝は驚きしかありませんでした」と振り返ります。
診断を受けた当時は、将来への不安が一気に押し寄せ「これまで普通にできていたことが、できなくなってしまうかもしれない…」と落ち込みました。

治療についてはステロイドの点滴、内服が中心。入院をしていたときは寝る前に水素吸入をして、症状緩和に努めていました。
当時について、靍田さんは「家族や友人は、よい意味で以前と変わらず、必要以上に重く受け止めずに接してくれていると感じていました」と話しています。
病気も“自分の個性のひとつ”と考えるように
靍田さんは、突発性難聴になってから心ない言葉を受けたこともありました。しかし、この経験を通して「五体満足で生きていること自体がどれほどの奇跡なのか」を強く感じるようになったそうです。

「耳以外は健康なので、以前よりも自分の体への感謝が増えました」と、病気を“個性のひとつ”として前向きに受け止めるようになりました。
SNSではこれまでどおり大好きなダンス動画を投稿。片耳が聞こえない状態でも「両耳が聞こえる人と同じような感覚でリズムを取れていると思う」と感じているといいます。
また、左耳に聴力障害があるため、日常生活では右側から話しかけてもらうことをお願いするなど、コミュニケーションが円滑になる工夫をしています。友人や職場の人にも事前に自分から状況を伝え、互いに気持ちよく過ごせるよう心配りをしているそうです。
突発性難聴の現状を変えたい
靍田さんが突発性難聴となってから、約6年が経過しました。その間、治療法や保険の適応が十分ではない現状に気づいたといいます。
「世界中で多くの人が悩んでいるのに、なぜこんなにも支援が遅れているのか…。この現実を変えられるのは、経験した人だからこそだと思っています」と話します。
これまでダンスの活動や、三度のミスコン出場など表に立つ機会が多かった靍田さん。
その発信力を生かし「突発性難聴で苦しむ人を少しでも救いたい。制度も整えていきたい」という思いが強まり、今回SNSで病気のことを公開しました。

もっと理解される社会へ
今後は、突発性難聴の人がより生きやすい世の中を絶対に作りたいと力強く語る靍田さん。そのためには、難聴に対しての理解を、より多くの方がするべきだと考えています。
「“片耳が聞こえないだけじゃん”と軽く受け止めている人も多くいらっしゃると思いますが、片耳の聴力がないことがどれだけ不便なことか、聴力がないことに加えて、耳鳴りも一生あると言われているので、それがどれだけしんどいことか。経験したことのない人たちがわからないのは当たり前のことだとは思いますが、だからこそなるべく理解をしてもらいたいと思っています」
さらに「実現までには課題もありますが、健康な耳の人にも突発性難聴の状態を体験してもらえる機会をつくったり、当事者の声を集めたりして、突発性難聴の人が生きやすい社会に近づけたい」と教えてくれました。

やりたいことを諦めないでほしい
同じように病気と向き合う人へ、靍田さんは「突発性難聴だから、難病があるからといって、やりたいことを諦めないでほしい」と伝えています。
自身の活動を通して前向きな姿を発信することで「やりたいことを、やりたいときに、やりたいだけできる人生を歩める人を増やしたい」という思いも明かしてくれました。
自分自身の片耳を手で塞いでみると、音が聞き取りにくくなることが体感できます。手を離せばすぐに戻りますが、突発性難聴の方々は、この聞こえづらさと日々向き合っています。こうした状況を知ることで、身近なところから少しずつ理解が広がり、必要なサポートについて考えるきっかけにつながるかもしれません。

