4歳からサッカーを始め、プロになる夢へと順調に進んでいた関根陸斗(@riikuutoo)さん。ところが、2つの病が関根さんを襲いました。
病気になり、人生が終わってしまったように感じたといいますが、自分自身と向き合うことができた関根さんは「本当の人生の始まりだった」と語ります。そして新たな夢を見つけ、そのためにもう一度サッカー選手に戻ることを目指しています。
そこで関根さんに話を聞きました。
大学生で襲った突然のバセドウ病、サッカー人生の危機
関根さんは大学3年生の夏の夜、全身の痛みとしびれに襲われました。脈拍は100を超え、熱も約39度あり、自力で動けない状態になります。

そのまま朝を迎えましたが、身体は動かず、血圧も上が70台と低く危険な状況だったため、家族が救急車を呼び緊急搬送。病院ではCTや血液検査などの精密検査を受け、治療室で点滴を受けました。
結果は「バセドウ病」。重症でそのまま緊急入院となり、放射線治療が始まりました。診断がつく前の半年間は、動くと倒れ込むようにぐったりしたり、気分が悪くなったりといった症状が続いていたといいます。
さらに医師からは「サッカーはもう難しい」と告げられました。4歳から続けてきたサッカーは関根さんの人生そのもの。大きな喪失感と絶望に襲われ、人生が途切れてしまうように感じました。
「目の前が真っ暗で、何も考えられませんでした。というか、考えないようにしていました」と振り返ります。

ドイツ挑戦の裏で襲った“原因不明の不調”
2年にわたるバセドウ病の闘病とリハビリを乗り越えた関根さんは、大学卒業間近に受けた社会人チームのセレクションで合格。就職内定も得ていましたが「サッカー選手を目指す」という強い思いから内定を辞退しました。
ところが練習初日に膝を骨折し、再びリハビリ生活へ。社会人として働きながら治療を続ける日々が続きました。
半年ほど経った頃、“ドイツでサッカー選手としてプレーしている自分”の夢を見たことをきっかけに「本気で挑戦しよう」と決意。翌日には会社と所属チームに退職と退団を伝え、2023年に単身ドイツへ向かいます。そこで現地チームと契約し、プロサッカー選手としてのキャリアをつかみ取りました。
その後、さらなる高みを目指してモンテネグロへ移籍。しかし、渡航直後から原因不明の体調不良に襲われました。
「渡航直後から身体に力が入らず、全身が重く固まったようで、無気力になり常に眠い状態でした。鉛を背負っているように身体が重く、夢の中にいるような感覚で、起き上がることさえつらかったです」と話します。
思うようなパフォーマンスが発揮できないまま帰国し、複数の病院を受診したものの原因は不明のままでした。
その後、帰国から2年後の2025年7月には、ブルネイ1部リーグ1位のKASUKA FCからオファーを受けて契約。プロの舞台に戻りました。しかし、さまざまな事情が重なり、わずか1ヶ月で契約解除に。それでも関根さんは再び夢に向かって立ち上がろうとしています。
2つの病から「自分と向き合えたこと」が大きな財産に…
バセドウ病と原因不明の病に向き合う関根さん。その症状は現在も続いています。
バセドウ病では脈が上がるため、歩くことさえ禁止され、友人との会話も心から楽しめず、毎日が苦痛でした。さらに「これからどう生きればいいのか」と考えられず、周囲にどう思われるかや、放射線治療で今後一生薬を飲み続ける可能性への不安も重なり「とにかく恐怖心でいっぱいでした」と語ります。
原因不明の病では、自分の状態が把握できず、先が見えない不安のなかで日々を過ごしました。加えて、周りからは健康に見えても、関根さん本人には苦しい症状があったこともつらかったといいます。
「サッカーにおいて、うまく動けないことでパフォーマンスが出せないことによる苦しみ、そしてそのプレーが周りからしたら僕のベストパフォーマンスと思われていたことが何より悔しかったです。なかなか理解されにくい苦しさがあり、いつ終わりがくるのかわからない苦しさは、今でもものすごくあります」
これまで関根さんは病気と100%向き合い、さまざまな検査と、西洋医学や東洋医学などあらゆる治療法を試してきました。しかしどれも原因がわからず、あまり効果は感じられなかったそうです。

一方、そのなかで大きな財産となったのは、自分と向き合えたことでした。
「自分が病気になった意味から始まり、自分は今までどう生きてきたのかを振り返り、生きるとは何か人生とは何か、自分は本当はどんな人生にしたいのか、どんな世界を創りたいのかを考えながら病と向き合えました」
「命を輝かせる世界を創る」という夢のために
病気を経験したことで、関根さんは自分にとっての幸せが「表現すること」にあると気づきました。サッカーだけでなく、SNSを通しても自分の喜びや幸せを発信できると確信し、たとえ周囲から非難されても発信を続けようと決意。
今も「原因不明の病を抱えながらでも幸せに生きられることを日本や世界に伝えたい」という思いが、日々の発信につながっています。

関根さんは、Instagram(@rikuto_sekine)、YouTube(@rikuto_life)、TikTok(@riikuutoo)で発信を続けています。
SNSの活動を通して関根さんが伝えたいことは、本当の意味で「人生は自由」ということ。それは「物理的に僕のように身体が思うように動かない状態であろうと、どんな状態であろうと、命はいつだって光り輝いているし、どんな人生にしたいかという方向性は、この瞬間からでも歩むことができるという意味での自由です」と話します。
「地球の歴史46億年の中の数十年の命だからこそ、今の状態や感情、思考をすべて受け入れ、自分の喜びのために生きることを伝えたい」と関根さん。
そのうえで「自分の世界観や生き様を表現し続ける人生にしたいです。まずは自分の喜びのために。その波紋が日本や世界に広がると信じています。そして最終的には、善悪や幸不幸の判断にとらわれず、一人ひとりが目を輝かせて生きる、多様な人生が重なる“グラデーションの世界”を目指したいと思っています」と明かしました。
二度の病、海外での挫折を経験した関根さんですが「命を輝かせる世界を創る」という夢のために、もう一度サッカー選手として海外に戻ることに挑んでいます。それは自身が「命を輝かせて生きている」ことを見せる必要があると考えるからです。原因不明の病を抱えながらも、関根さんの力強い思いとそのために挑戦し続けていく姿は、多くの人に勇気を与えるでしょう。

