2018年7月5日から7日にかけて降り続いた豪雨により、倉敷市真備町川辺地区では末政川の決壊で約1700世帯のうちほぼすべてが全半壊の浸水被害に遭った。あれから4年。今、当時を振り返って思うこと、その後の町や人の変化、今後の川辺について、川辺地区のボランティア団体「川辺復興プロジェクトあるく」の槙原聡美さんに話を聞いた。

あの日のこと。そして被災後は…

「大量の泥と砂埃のなか、この先どうなるんだろう。そんなことすら考える余裕もありませんでした」

まさかの災害。それはあの日、水によって家を奪われたすべての人が感じたことだろう。川辺地区には高台や公的な避難所がなく、多くの人が迫り来る水の恐怖に襲われながら自宅で垂直避難せざるを得なかった。水が引いた後は、川辺を離れて生活しながら、真夏の日差しのなか黙々と片付けに追われる日々。人々が顔を合わせる機会もなく、会えば疲れ切った体で生活再建の意欲すら失いかけた表情の人たちばかり。そこにはそれまで築き上げてきたコミュニティーの姿はなかった。

これではいけないと、川辺地区まちづくり推進協議会でボランティアとして関わっていた槙原さんは、多くの企業やボランティアの力を借りて8月から炊き出しを始めた。温かい食事を求めて、夕方になると何百人も集まり、みんなで食べたりおしゃべりしたり。子どもたちも楽しく遊んでまた仮設住宅に帰っていく。「あの場はまさに生きる力を蓄える場所でした」と槙原さん。

炊き出しに集まった川辺住民たち

日替わりで大勢のボランティアが炊き出しを行った

「あるく」を核に新たなコミュニティーづくり

発災直後から、LINEグループ「川辺地区みんなの会」を作り、被災後の片付けの仕方から支援状況、炊き出し日時などまでさまざまな情報を発信していた槙原さん。その後、2018年10月には「川辺復興プロジェクトあるく(以下、あるく)」を立ち上げ、川辺小学校の校庭に事務所を構える。

「あるく」には「みんなとともに歩む」の意味が込められている

「明日のことすら見えないその日暮らしの毎日だったので、地域のみんなと一緒に、ゆっくりでもいいから前に進めたら」という思いで、つけた名前が「あるく」。川辺地区の人々が安心して生活ができるよう住民のよりどころとなり、人々がつながりを維持しつつ、災害に強い絆づくりを目指して活動することを目的に掲げ、以来、人々が集う場所、支援を受けるための拠点として川辺地区に欠かせない存在となっていった。

「災害ですべてがゼロとなり、どう復興していくか考えたとき、大切なのは人と人のつながりだということに気づいたんです」

拠点ができると次々に支援や外部ボランティアが集まるように。生活が少し落ち着いてくると、外部講師を招いて小物づくり、寄せ植え、表札づくりやヨガ教室、スマートフォン初心者講座やお金に関する勉強会なども開催。防災については、自分たちができることをできる人たちが集まって考える「川辺みらいミーティング」や防災カフェでさまざまなことを話し合い、実行してきた。
こうしてあるくが企画した多くのイベントを通じ、つながりの結び直しや生きがいづくりを図ることは被災後の不安やストレスの軽減にもつながり、参加者たちの表情は少しずつ変わっていったという。

住民が顔を合わせる機会と健康づくりに役立つヨガの会

一方でSNSやメディアを連絡網代わりにフル活用して川辺の現状をアピール。さまざまな支援や物資を届けてもらったり、川辺を離れた人たちに町の状況を知ってもらったり。SNSを使えない人には「あるく通信」を作って郵送した。

コロナで立ち止まり、考えた

ところが2020年7月、新型コロナによる緊急事態宣言が発令。
「被災からまる2年経ち、川辺に再び住み始めた人たちもいてせっかく戻りつつあったコミュニティーなのに、いったんすべて白紙に戻ってしまいました。イベントの開催は見送られたり中止になったりと、思うように進まなくて。準備の担当者はクタクタでした」そんなとき、まちづくりに大切なものは何かを改めて考えさせられたという。
「イベントを開くことが目的ではなく、あくまで住民同士の絆を深め、住民が互いに助けあえる関係を築くことが大切だと気づきました」

結局、イベントは必要最小限に、防災はオンラインでのミーティングやLINEによる中継を行うなどできる範囲で活動。アーカイブの自由閲覧も利用するなど、来られない人のための手立てを考えることもできた。

川辺みらいミーティング。被災当時を振り返り、避難について考えた

被災から4年。今の川辺の状況は

2022年7月で西日本豪雨災害からまる4年。一度は川辺の外で生活していた人たちも現在は9割以上が戻ってきた。あるくも従来どおりイベントを開催し、住民同士のつながりづくりの拠点として稼動中だ。川辺みらいミーティングの活動をもとに、さまざまな地域団体や行政、NPOなどと連携して防災に関する啓発活動も行っている。

「被災して2か月経った頃、LINEグループでアンケートを取ったとき『川辺に帰りたい』という人が9割を超えていました。今まで築いてきたコミュニティーの中にいる方が落ち着くんですね。それはきっと川辺に対する愛着」

ただ、心の復興はまだまだだという。
「4年が経ち、町の様子はきれいになって河川工事も進み、一見落ち着きを取り戻しているように見えます。でも、出水期が近くなるとみんなソワソワし始めて、まだ不安は拭えていない気がします。家を修繕してもどこかに水害の爪痕は残っているし、今後もその名残を抱えて生活していかないといけない」

また、災害を過去のこととして捉えたい人がいるのも事実だ。
「それが風化につながるのかという思いもありますが、これも復興の一つの過程。いろんな考えの人を巻き込みながら進めていくには、あるくの取り組みや防災も、今後、目線を変えて進めなければならないのだと思います」

発足当初のあるくメンバーたち

被災者からみんなに伝えたいこと

被災後、子育て世代の母親たちとの会話でよく耳にしたのが、子どもの「怖い」が避難スイッチになったこと。そうした声や自分たちの経験をもとに作ったのが2020年10月発行の「防災おやこ手帳」だ。今回の災害の教訓を生かし、経験談から日頃の防災意識の大切さ、万が一災害にあった際の心得などまでを簡潔にわかりやすく解説。これまで第1弾、第2弾合わせて36,000冊(2022年6月末現在)を発行し、反響を呼んだ。

大きな災害に遭うのは一生に一度あるかないかかもしれない。でも、災害は忘れた頃にやってくる。槙原さん自身も被災前は何一つ準備ができていなかったそうだ。
「今思えば被災の前にできることはたくさんあったはず。特に子育て世代は日々の生活で精一杯だけど、課題を知っておくだけでもかなり違います。避難は自分の命だけでなく、大切な人を守るためということを忘れないで」と槙原さん。

防災おやこ手帳。わかりやすく簡潔にまとめられていて大好評

これからの川辺が目指す姿とは

「災害があったこと自体忘れてはいけないこと。それを教訓としてどう生かし、どう歩んでいくか。それを地域に発信し、みんなで考えて形にしていくのが大事」と槙原さんは力を込める。そのための未来に向けた取り組みも始まっている。万が一、水害が起きた場合の「黄色いタスキ大作戦」はその一つ。すでに各戸に配布済みのタスキを玄関に結べば、無事避難していることを示すサインとなる。西日本豪雨災害時にどの世帯が逃げ遅れているかの把握に時間がかかった教訓から生まれたものだ。また、今後ジュニア防災リーダーの育成も計画中だという。

「黄色いタスキ」は無事ですというサイン

そして、これからの川辺は——。
「個々で楽しく暮らしながら人のことも気にかけ、何かあった時には助け合える。そんな関係性ができている温かい地域が理想ですね。まちづくりの方向性は見えてきたし、今後も地域のみなさんと歩みを合わせ、心を寄せながら地域づくりや災害に強いまちづくりに努めていきたいです」 

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