倉敷市の教会で開催された演奏会が、1人の学生の心を動かしました。それは、1928年ドイツ製・ベヒシュタインのピアノを修復する、クラウドファンディングの始まりでもありました。
「素晴らしいピアノと、倉敷美観地区を活かして、多くの人が音楽に触れられる“場所”を作りたい」
そう語るのは、プロジェクトの発起人・大原碩人さん。倉敷経済の礎を築いた故・大原孫三郎の玄孫に当たります。

一橋大学の大学生ですが、「いろんなことを、もっと知りたい」と好奇心が立ち、自分の幅を広げるため、2021年4月から1年間休学。倉敷での様々なイベントに参加して、見識を深めていました。
“倉敷のまち”の一員としてプロジェクトを起こし、「ピアノの修復は、“まち・音楽・ひと”を繋げるための第一歩」と夢を抱く碩人さんを、取材しました。

ピアノの音と家族が重なる思い出の「まち」

岡山県倉敷市にある、倉敷美観地区。そこに位置する旧大原家住宅は、江戸時代後期の豪商屋敷で、1971年に重要文化財に指定されています。2018年に「語らい座大原本邸」として一般公開されるまで、大原家の代々当主や家族が、実際に居住していました。碩人さんもその1人です。

語らい座大原本邸(旧大原家住宅)

「僕は幼稚園から高校1年生まで京都で住んでいたのですが、倉敷に帰省した際は、祖父と曾祖母が住んでいた本邸で、家族と共に暮らしました。食事の際、祖父を呼びに行くのが子どもたちの仕事だったのですが、暗い廊下が少し怖くて、気合いを入れていた思い出があります」

母や姉の帰省時の楽しみは、この本邸にあるベヒシュタインのピアノの演奏。ベヒシュタインとは、世界三大ピアノの一つと称されるピアノブランド。大原家で受け継がれてきた1台は、いつどこから来たのか明確な記述は残っていません。

語らい座大原本邸(旧大原家住宅)の、1928年ドイツ製・ベヒシュタインのピアノ

「幼かった僕は、ピアノより遊んで欲しかったのですが...…今振り返れば、あの場所でぼんやりとピアノ演奏を聞ける、非常に贅沢な時間でした」

ベヒシュタインのピアノの音色は、家族の思い出と重なり、碩人さんにとっての「音楽の原体験」のひとつとなりました。

語らい座大原本邸(旧大原家住宅)の、1928年ドイツ製・ベヒシュタインのピアノ

「音楽」の体験がプロジェクトへと花開く

碩人さんの音楽との関わりは、幼い頃の家族とのピアノ体験や、子ども向けのオーケストラ演奏会を聞きに行っていたこと、そして大学で始めたアカペラのサークル活動など。「自らチケットを買ってクラシックコンサートに行くような習慣はなかった」そう。

しかし、2021年9月に倉敷市の教会で開催されたピアノとバイオリンのコンサートで、心を動かされました。

「演奏者が楽しそうで、肩肘張らずに自由。場に居合わせた皆の心が、音楽で繋がっていると感じたんです」

碩人さんは、気軽に音楽に触れ合える場所を作りたいと考えます。そこで「語らい座大原本邸」にあったベヒシュタインのピアノを思い出したのです。

語らい座大原本邸(旧大原家住宅)内の様子

「語らい座大原本邸」の奥にひっそりと置かれたままの、ベヒシュタインのピアノ。一般公開に伴って家族が暮らすことがなくなってから、ピアノに触れられる機会もありませんでした。「どうにかしたいよね」という何気ない会話は重ねていたものの、家族間で、ピアノの将来に関する具体的なプランはありませんでした。

「なら、自分がやればいいんだ」

”音楽の力”に突き動かされた碩人さんは、ピアノを受け継ぐ「担い手」として立候補。イベントで知り合った岡山大学の学生・中澤拓也さんと共に「倉敷大原家のベヒシュタイン活用委員会」を設立しました。外見こそ綺麗ですが、非常に傷んでいたピアノを修復するためのクラウドファンディングを立ち上げます。

語らい座大原本邸(旧大原家住宅)の、1928年ドイツ製・ベヒシュタインのピアノ

「語らい座からピアノの音が流れて、美観地区を歩く人たちの耳に自然と入るようになればいい。音楽に興味を持ち、楽しいと思ってくれる人が増えればいい」

クラウドファンディングの目標金額200万円は、発足からわずか9日間で達成。「金額という数字という以上に、感情のこもったものをいただいていると痛感しています。夢や支援に共感・応援してくれるということの意味が、今回のプロジェクトを通じて分かりました」と、碩人さんは振り返ります。

ピアノは3月に東京へ運ばれ、修復作業へ入りました。修復後は、このピアノを用いた記念コンサートが予定されています。また演奏会などのイベントや、語らい座内でのピアノ展示も、企画中です。

倉敷の“まち”の一員として

今回の“まち・音楽・ひと”を繋げるプロジェクトには、数多くの「倉敷のまちに対して、愛を持って活動している人たち」の影響がありました。

年齢や立場に関わらずフラットに接し、碩人さんをまちのために行動する仲間として迎えてくれた人たち。碩人さんは「倉敷の“まち”に集う“ひと”の魅力と凄さを再確認し、“まち”の一員として動いて行きたいと考えるようになった」と語ります。

「倉敷は、江戸時代からの商人の街。縦の時間軸と、横の空間軸が混じり合う場所。そこに生きる人たちは、この“まち”を面白くしていこうとしています。歴史を重んじながら未来を考える人たちが、一体となって活動する姿は、刺激的でした」

さらに、倉敷経済の礎を築き多くのものを積み重ねてくれた先代への感謝と、大原家に生まれた者としての自分の責任を実感。「理屈ではなく、体で分かったんです」と、熱い思いを語ります。

3月に復学のために一旦は倉敷を離れましたが、「倉敷が好き」というシンプルな気持ちが、今の碩人さんの原動力になっています。

「倉敷のいいところを地元の人にも外から来た人にも知ってもらうため、これからも面白いことをたくさんやっていきたい。いろんな人の琴線に触れるものをたくさん作っていけたらと思っています」

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