香川県の南西部、徳島県と県境を接するまんのう町。灌漑用としては日本最大のため池で、町名の由来にもなった満濃池が横たわる水の郷に、その人はいました。森近明夫さん(76)。

聞くところによれば「このとうもろこしは、あと1日置いたらもっと甘い」「いまの時期に花が咲いたら、48日後には実がなる」と、まるで予言者のように農作物を数値管理する「理系農家」なんだそうです。

いただいたミニトマトを口に含むと、甘みが弾けた

定期的に高松市内のマルシェイベントや産直市に出店している明夫さんをご自宅まで訪ねたのは、11月初旬。不慣れな道に迷っていたところ、明夫さんはなんと庭木に登って剪定の真っ最中でした。

枝の間から響く元気な声に招かれるがまま応接間へ。自身の生い立ちや農業という生業にかける思いについてじっくり話をうかがうと、数字にこだわる確かな理由が見えてきました。

農業歴は「生まれたときから」

生まれも育ちもまんのう町という明夫さん。生家は農業と土建業の両輪で生計を立てており、香川県初のコンクリート橋梁や、軍施設の施工を担ったというから驚きです。

自身の農業との関わりは「生まれたときから」。3、4歳のころには田んぼに水を引き、畑の草を刈りといった調子で、両親の背中を見ながらごく自然に農業に親しんできました。

妻とともに3棟のビニールハウスでの小規模栽培に励む

本格的に農業経営に着手するようになったのは、高校卒業後の昭和30年代後半。当時としては希少だった農耕用の牛をいち早く導入し、新たな耕作地を開墾、1.5ヘクタールあったみかん畑を2ヘクタールの大きさにまで拡大させました。

さらには24歳のときに香川県を襲った大雪を機に、より安定した収入源を確保しようと肉牛6頭の飼育を開始。まだ畜産業が盛んではなかった時期だけに、多大なリスクを伴う選択ではあったものの試行錯誤を重ね、自ら「定年」と決めていた60歳のころには、夫婦で200頭を飼育するまでになったといいます。

人工授粉の作業も欠かさない

年齢を重ねた現在は、体力的な負担も考えミニトマト一本。週末ともなれば、地元の信頼できる農家から集めた野菜や果物、コンテナにして約80箱を満載した軽トラックを走らせ、高松市内の産直会場に出向いています。

そんな自らを地区の「当番」と表現する明夫さん。年齢を感じさせないバイタリティの源泉とは、いったい何なのでしょうか。

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