言葉への反応が薄い2歳の娘に違和感を覚え…小児科で告げられたまさかの診断結果とは。現在デフリンピック選手として活躍する女性へ話を聞いた

言葉への反応が薄い2歳の娘に違和感を覚え…小児科で告げられたまさかの診断結果とは。現在デフリンピック選手として活躍する女性へ話を聞いた
幼少期(堀さんより提供)

耳が聞こえない、聞こえにくい人のための国際大会「デフリンピック」をご存じでしょうか。

4年ごとに開かれ、競技中は補聴器などを外して競技します。3歳で難聴と診断された堀さんも、ビーチバレーで出場しました。

診断当時のことや大会への思いを、堀さんとご家族に聞きました。

難聴と診断された幼少期、家族の思い

家族が聞こえに違和感を覚えたのは、堀さんが2歳のころでした。言葉への反応が薄く、声を出すことも少なかったため小児科を受診しましたが異常は見られず、その後の聴力検査で難聴と診断されました。

診断を受けた両親は大きなショックを受け、自分たちを責め、気づくのが遅れたことを悔やんでいたといいます。

幼少期(堀さんより提供)

完全に聞こえなくなるのではなく、残っている聴力を生かして育ってほしいとの思いから、日本聾話学校に出会い、小学部から入学しました。口話や手話ではなく、残聴を活用して聞く力を育てる方針だったといいます。高校からは堀さん自身の意思でろう学校へ進み、手話を学びました。

現在も言葉の理解が難しいことがあり、知らない単語や言い回しも多いそうです。そのため家族は、会話の中でさまざまな表現を伝えながら、少しでも心に残ることを願って接しています。

聞こえにくさとともに歩んだ学生時代

堀さんは、難聴と自覚した時期は覚えていないものの、年長のころには聞こえにくさを感じていたようです。学生時代には家族のなかで自分だけが難聴であることから、3歳下の弟さんや近所の友人に対して羨ましいという思いを抱いていたこともありました。

小学5年生(堀さんより提供)

補聴器をつけているときは「周りの音や声も聞こえ、視野が広いというか、少し周りが明るく見えてくる感覚があると思います」と話します。一方でつけていないときは、大きい音を立てればその音だけ聞こえるのですが、基本はまったく聞こえません。

感じ方には個人差があり言葉にするのは難しいとしつつ、堀さんは「感覚的に視野が狭くなるようなイメージかもしれない」と表現しました。

聞こえないことで誤解されることも

堀さんは、手話を使わない特別支援学校に通い、主に口話でコミュニケーションを取っていました。言葉が分からないときや聞き取れないときは筆談を使用します。現在も、相手の口元が見えるほうが聞き取りやすいそうです。

小学生から高校生までの間、難聴でつらかったことは、複数人で会話をするときにうまく聞き取れず、話についていけなくなることでした。笑うタイミングがずれてしまうこともあったといいます。

また、会話を頑張って聞き取ろうとすることで疲れやすくなることもあったそうです。

現在も、会話の中で分からない言葉があると内容についていけなかったり、後ろから声をかけられても気づけなかったりすることがあります。そのため、無視していると誤解されてしまうこともあると感じているようです。

また、補聴器をつけたことによって「聞こえている」と思われてしまい、勘違いされることも大変だと話します。

ビーチバレーで「デフリンピック」に出場

堀さんは高校から「今までやったことのない新しいものに挑戦してみたい」という気持ちからバレーボール部に入部します。また、中学生のときに出会った他のろう学校の友人の存在も、入部のきっかけとなりました。

高校バレー部(堀さんより提供)
高校バレー部(堀さんより提供)

その後、堀さんはビーチバレーに取り組むことになります。

デフスポーツのビーチバレーでは、プレー中に声で指示を出し合うことができません。そのため、事前に決めたサインで意思疎通を図るなどの工夫を重ねています。
「お互いを信じることも大切です」と話す堀さん。

聞こえない選手同士がどう連携するのかという緊張感や、聞こえないからこその動きや判断。そうした点がこの競技の魅力の一つです。

デフリンピック:ハンガリー戦(堀さんより提供)

堀さんは、4年に一度開かれる聴覚障がい者の国際大会「デフリンピック」にも出場。出場が決まったときは喜びとともに、プレッシャーや不安も感じていました。

大会では想像以上に多くの人が日本中から応援してくれ、その支えを強く実感したといいます。応援は大きな力となり、最後まで笑顔でプレーすることができ「本当に感謝しています」と語っていました。

難聴者、ろう者への理解を

高校時代、堀さんは難聴ゆえに戸惑いを感じた出来事がありました。バスに忘れ物をし、最寄り駅の窓口で尋ねた際のことです。雑音で聞き取れなかったため、スマートフォンに打ったメモを見せようとしましたが、受け取ってもらえませんでした。

口頭で伝えるよう求められ、何とか聞き取りながら対応しましたが、それはとても心に残る経験になります。同時に、さまざまな立場の人がいることへの理解が、もっと広がってほしいと感じました。

堀さんはこれまで「デフリンピック」を知らない人たちに向けて、聴覚に障がいがあってもスポーツができることや、聴覚障がい者の国際大会があることを伝えてきました。自身が出演したイベントや一般大会への出場も発信しています。

デフリンピック:アメリカ戦(堀さんより提供)

今後は、耳が聞こえなくても「できることがある」「可能性はある」ということを、自信が持てない人や関心のある人に伝えていきたいと語ります。また、難聴者やろう者への理解が広がり「困っている場面を見かけたときにさりげなく手を差し伸べてもらえる社会になってほしい」そんな思いも明かしました。

今後は講演会も予定している堀さん。これから何かに挑戦したい人に向けて「多くのスポーツの中には、きっと自分に合うものがあると信じて続けてほしい」と、自身の経験を交え、自信や希望を届けたいと話してくれました。

難聴がありながらもスポーツに取り組み、デフリンピックに出場した堀さん。その歩みは、多くの人にさまざまな気づきを与えています。聞こえない、聞こえにくい人が安心して過ごせる環境づくりについて、あらためて考えるきっかけとなりそうです。

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