26歳の頃、胸に違和感。その8年後…医師「余命2ヶ月です」 女性を襲った病とは。 40歳になった現在、SNSでの発信を続ける理由にせまる

26歳の頃、胸に違和感。その8年後…医師「余命2ヶ月です」 女性を襲った病とは。 40歳になった現在、SNSでの発信を続ける理由にせまる
寝たきりになったことも(@mimi._.popoさんより提供)

26歳の若さで乳がんがわかり、34歳のときには余命約2ヶ月と宣告されたミミポポ(@mimi._.popo)さん。大変な時期もありましたが、乳がんが見つかってから14年が経ちました。さまざまな経験をしたミミポポさんは「生かされていることに感謝し、毎日を楽しく過ごすことを意識している」といいます。そこで、乳がんのことや治療などについて聞きました。

26歳で乳がんに

ミミポポさんは26歳のとき、たまたま右胸の内側に小さなしこりを見つけます。そこで病院を受診し、念のため細胞診を行った結果、乳がんであることがわかりました。

「26歳という若さで乳がんになるなど想像もしておらず、現実を直視してただただ恐怖でした。後にも先にもあれほど怖かったことはありません」

毎日、心臓を締めつけられるようで、何を食べても味がせず、恐怖のあまり母親と一緒に寝てもらい、道で泣き崩れてしまうこともありました。

乳がんと診断された後、東洋医学や代替療法を選択します。一時的にしこりが1.5cmから6.8mmまで縮小したものの、その後は再び腫瘍が大きくなり、30歳のころには胸からがん組織が露出する「花咲乳がん」に進行してしまいました。

34歳で余命2ヶ月と宣告(@mimipopo_さんより提供)
寝たきりになったことも(ミミポポさんより提供)

34歳で余命宣告

腫瘍はさらに大きくなり、34歳のときには握りこぶしを超えるほどに。全身に骨転移が広がり、骨がもろくなったあと、歩けず寝たきりの状態になりました。

激痛と花咲乳がんによる出血で、体を1mmも動かせないほどのつらい日々が続き、余命は約2ヶ月と宣告されます。

骨はもろくなり(ミミポポさんより提供)

宣告を受けたとき、恐怖よりもむしろ「もう頑張らなくていいんだ」という安堵と、死を身近に感じる状況への不思議な納得感があったといいます。
一方で「私はここで終わらない」という確信も強く、絶望よりも「ここから良くなる」という前向きな気持ちのほうが勝っていたそうです。

また、それまでは食事療法など「健康のために良い」とされることを優先していましたが、宣告をきっかけに「無理のない範囲で好きなものを楽しむ」という意識に変化。
このころから、病気に縛られず日々を楽しむことを大切にするようになったといいます。

主な症状と治療

ミミポポさんの闘病は、乳房にしこりを感じたことから始まりました。
その後、病状が進行する中で出血や痛み、体力の低下など、全身にさまざまな症状が現れるようになったといいます。

26歳で乳がんを告知されて以降は、代替療法なども取り入れながら治療を継続。
34歳のときには病気の進行を告げられたものの、その後は抗がん剤を中心とした標準治療に切り替え、現在もホルモン療法や骨のケアなどを続けています。

抗がん剤による体調の変化もありますが、ウィッグでおしゃれを楽しむなど、自分らしく前向きに日々を過ごしているそうです。
また、ワクチンの投与を継続し、訪問看護師のサポートを受けながら生活を送っています。

ウィッグでおしゃれを(ミミポポさんより提供)

「治療後は一時的に吐き気でダウンすることもありますが、基本的には元気に過ごせています。全身の骨は脆いと言われていますが痛みなく歩けていることはお医者さんも驚いています」

ミミポポさんが心がけているのは、無理をせず希望を諦めないこと。余命宣告を経験したことで、日常のすべてが奇跡だと気づき「今こうして生かされていることに感謝し、毎日を楽しく過ごすことを意識している」と話していました。

「今のあなただからこそ伝えられる希望や勇気がある」という言葉に…

SNSを始めようと思ったきっかけは、余命宣告を受けて寝たきりだったころのこと。そのとき、身体は大変な状態でも命の終わりを感じることはなく、毎日希望にあふれて笑っていたといいます。

ある日、家に来ていた訪問看護師さんに「今のあなただからこそ伝えられる希望や勇気がある」と言われます。この言葉によって「病気の私」ではなく「希望を諦めない私」としてありのままの姿を発信し、誰かの心の灯りになりたいと思いから、ブログでの発信を始めることにしました。

発信を始めて誰かの力になれることを知り、また反対に力をもらえたことから、病の経験を苦しみで終わらせず、必ず糧に変えていきたいと強く思うように。やがて同じ困難に立ち向かう仲間とつながり、ICUに入った大変な時期も仲間たちの応援に励まされ、乗り越えることができました。

ミミポポさんにとってSNSは自分の経験や学びや気づきを共有し、この命を無駄にせず、病の経験を喜びに変えていきたいという強い思いを実現するかけがえのない場所となりました。

「必ず希望はある」というメッセージを発信し続けたい

ミミポポさんは現在40歳となり、余命宣告から6年が経ちました。
今後は「ただこの与えられている日々を感謝し、楽しく過ごしていきたい」と語ります。

「乳がんの経験から学んだことや気づいたことは、病の経験を喜びに変えるための糧にします。いつまでも「乳がんの私」を発信し続けるつもりはなく、乳がんを経験した「表現者としての私」として、日々感じることや思うことを表現し続けていきたいです」

何気ない日常は(ミミポポさんより提供)
奇跡の連続で(ミミポポさんより提供)

挑戦したいことは、同じ経験をした人たちとオンラインやリアルな場でつながり、お互いを励まし合える温かいコミュニティを育てていくこと。
「どんな状況でも希望を見失わないこと。そして、今こうして元気に過ごしている姿を通して“必ず希望はある”と伝えていきたいです」と話します。

生きていることは決して当たり前ではなく、日々を大切にできること自体が大きな喜び。
その言葉からは、“今を生きる”ことへの感謝と、前を向いて歩む強さが感じられます。

 

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