荒牧順子さん(以下荒牧さん)は、ご自身で立ち上げた「株式会社ドアーズ」と、非営利団体である「一般社団法人SAGAこどもホスピス」の2つの組織の運営に携わっています。
ドアーズでは児童発達支援や放課後等デイサービス、居宅介護などの事業を展開しています。さらに、保育園や小学校に通う医療的ケアが必要な子どもへ自治体などから依頼を受けて、看護師を派遣する事業も行っています。
現在、2つの組織の運営に携わっている荒牧さんですが、その前は大学病院のNICUや小児科で看護師として働いていました。そこからなぜ、起業に至ったのか、また現在の活動などについて聞きました。
ご家族だけが頑張るのではなく、一人の支援者として支えていきたかった
荒牧さんは現在、「株式会社ドアーズ」と「一般社団法人SAGAこどもホスピス」の代表として活動しています。起業前は大学病院のNICUや小児科で看護師として勤務し、病気や障がいを抱える子どもと向き合いながら、懸命に支えるご家族と多く出会いました。
そうした現場で、医療や制度の限界を痛感した荒牧さんは「ご家族だけに負担を背負わせず、自分も支援者として関わりたい」と考えるようになり、起業に至ります。
会社の理念については、次のように語ります。
「病気や障がいの有無にかかわらず、一人ひとりが地域社会の一員として力を発揮できるよう支援したい。子どもはもちろん、ご両親やきょうだい児も自分らしく暮らせる社会の実現を目指しています」
佐賀県の就園支援コーディネーターとして医療的ケア児の保育園・幼稚園への受け入れを調整するほか、研修講師やダブルケアラー支援団体「DCNETWORK」の副代表としても活動。学会発表や地域連携も積極的です。
ホスピスでは預かり支援、バスケットボールの試合観戦イベント、リラクゼーションなどを通じ、ご家族に「ほっと一息つくことができる時間」を届けています。
荒牧さんが大切にしているのは「大変な状況にある人にも、ほっとできる時間や“自分らしさ”を感じてもらえるよう寄り添うこと」です。
令和4〜7年3月までは、佐賀県の医療的ケア児支援センター長も務めました。今後は県外でも支援の幅を広げたいと話しています。
「SAGAこどもホスピス」について
荒牧さんは「最近になって『こどもホスピス』という言葉を耳にする機会が増えましたが、その定義や対象像はまだ明確とは言えません」と話します。
「SAGAこどもホスピス」最大の特徴は、医療的ケア児と家族が日中だけでなく宿泊もできる「預かりの場」であること。
「ご家族が離れて過ごす時間も、ご本人のQOLと同じくらい大切です」と語ります。
※QOL…クオリティ・オブ・ライフ(QOL)は「生命の質」、「人生の質」、「生活の質」などと訳され、一般には生きる上での満足度(快適さ)をあらわす主観的な概念。すべてを含めた生活の質を意味します。
もう一つの特徴は、地域や社会との“つながり”を重視している点。地元プロバスケットボールチーム「佐賀バルーナーズ」と連携し、医療的ケア児と家族を試合に招待。会場ではこどもホスピスのブースを設け、アート作品の展示や寄付活動を行うなど、自然な形で地域との接点を生んでいます。
「応援に行けば、呼吸器をつけた子どもたちがいる。そんな“非日常”が“日常”になるような空気が、佐賀に育ちつつあります」と荒牧さんは実感を語ります。
一方で、「街中で医療的ケア児と出会っても、どう接していいかわからない」という声もあります。しかし、バスケ観戦のような場で自然に出会い、顔を合わせるうちに構えず関係を築けるようになります。荒牧さんは「そうやって『気づいたら近くにいた』という関係性を地域で育てることこそ、私たちの目指す地域づくりです」と語ります。
最近では企業や自治体からも「応援したい」との声が増えてきました。荒牧さんは「地域や応援してくれる方々と一緒に、社会全体で子どもと家族を支える仕組みをつくっていきたい」と願っています。
こどもホスピスの設立について「“設立できた”と胸を張れるのは、まだ先のこと」とし「大切なのは、医療的ケアに対応できるスタッフと運営体制を持続し、利用者が『来てよかった』と思える場をつくり続けること。それが実現して初めて“設立できた”と言える」と考えています。
まだ始まったばかりで誇れる成果はないとしながらも「だからこそ目の前の一人ひとりと丁寧に向き合い、地域とともに育てる姿勢が大切」と話します。
荒牧さんは、制度の狭間にある課題にも「今ここに必要」と感じたら即行動し、多くの人と連携しながら社会を変えていこうと努めてきました。制度では支えきれない現実の中「誰かが動かないと」との思いを共有する仲間と共に、佐賀に“安心して過ごせる場”を広げようと力を合わせています。
「ホスピス=終末期」というイメージがある中で「私たちが目指すのは『命を守る場』『生きる時間を豊かにする場』。そのために、学び、つながり、変化を恐れず挑戦を重ねていきたい」と締めくくります。
制度の「はざま」で苦しんでいる方がまだまだたくさんいる…
「医療的ケア児や重度の障がいがある子どもを育てるご家族の多くが、制度の“はざま”で苦しんでいます」と語る荒牧さん。
障害福祉サービスや訪問看護などの医療支援は徐々に充実してきた一方、これらのサービスを利用するには自治体による「支給決定」が必要です。しかし、特に年齢が低い子どもほど決定のハードルが高く、利用までに時間がかかるケースも少なくありません。
「退院直後の預け先が見つからない」という相談も多く寄せられています。
さらに、障がいの診断がない病気の子どもや、在宅治療中のご家庭など、制度上サービスの対象外となる場合も。
「一人ではどうにもならない」という家族は確実に存在すると荒牧さんはいいます。
こうした“制度では支えきれない”部分にこそ、こどもホスピスの存在意義があると荒牧さんは考えています。
「SAGAこどもホスピスでは、医療的ケア児に限らず、きょうだい児やご家族全体を受け止められるような“駆け込み寺”のような場を目指しています」
気軽に話せる、休める「ちょっと寄れる場所」があること。
それがご家族の安心につながり、子ども自身の「自分らしく生きる」ことを支える。こどもホスピスには、そんな役割があると荒牧さんは信じています。
看護師として「組織の一員としてできることに限界がある」と痛感
「正直、若いころは看護師にだけはなりたくありませんでした」と荒牧さん。母が看護師として忙しく働く姿を見て「自分には無理」と思っていたといいます。
高校卒業後は臨床検査技師として病院に勤務し、夫の影響で自衛隊にも入隊。その後、出産を機に育児の大変さを実感し「困っている家族を支えたい」と看護職を志すようになります。
「それまで避けていた看護師という道が、初めて自分の心に入ってきた瞬間でした」
娘さんが1歳のときに佐賀大学の社会人入試に合格し、2歳のときに入学。看護師・保健師の資格を取得し、NICUや小児科で働く中で、医療だけでは解決できない課題に直面しました。
「制度や組織の中だけでは限界がある」と感じた荒牧さんは、自ら会社を立ち上げ、人工呼吸器を使う子どもも預かれる場所づくりに挑戦。
「誰かがやるのを待つのではなく、必要としている人がいるなら自分がやるしかない」と、その覚悟で歩んできたといいます。
「こどもホスピスの設立も同じです。制度の隙間で困っている家族がいる。そのための場を、誰かがつくるのを待っていても始まらない。『自分がやるしかない』と思った瞬間が、私の始まりでした」
荒牧さんにとってこどもホスピスは「必要だけど誰もやっていないこと」への、自然な延長線上にあった一歩なのです。
会社を立ち上げたものの…
会社を立ち上げた荒牧さんが最も苦労したのは、経営の知識や経験がゼロだったこと。
「病院では看護師として働いてきましたが、経営はまったく別のスキルが必要。本当にたくさん失敗し、悩みました」と振り返ります。
なかでも課題だったのは、医療的ケアに対応できる専門人材の確保。福祉の現場は薄利で人件費の負担が大きいため、信頼できる仲間に声をかけ、大学病院時代の看護師たちと体制を築きました。
「今も経営者として未熟さを感じますが、多くの専門家や金融機関の皆さんに支えてもらって続けてこられました。本当に“人”に恵まれてきたと感じています」と話し、人材育成にも力を入れています。
事業を始めてからは、障害福祉制度の限界や災害時対応、学校看護師の処遇など、制度の“隙間”にある課題にも数多く直面。
「できない理由を探すのではなく、どうすればできるかを考え、動いてきた」と語ります。
「制度を使う人の視点から行政や議員と対話を重ね、少しずつ現実に寄り添った制度づくりにつなげたい」と、荒牧さんは今も現場の声を届け続けています。
大切なのは「絶対にあきらめないこと」
「経営者としての自分は、まだまだ発展途上」と語る荒牧さん。
「今後も多くの壁にぶつかると思いますが、理念を共有できる仲間に支えられている今は、不安に押しつぶされることはありません」と感謝を込めて話します。
一方で、医療的ケア児やご家族をめぐる制度の課題は、いまだ多く残されていると実感。佐賀県での支援に取り組んできた経験を活かし、今後は全国に向けて支援の輪を広げたいと考えています。
荒牧さんが信じる課題解決の鍵は「絶対にあきらめないこと」です。
「限界にぶつかっても、支援者が“無理かも”と言ってしまえば、ご家族にとっては絶望を意味することになる」と話します。
だからこそ「どうしたらできるか?」を探し続ける姿勢を大切にしてきました。
荒牧さんは「限界突破」が自身のモットーだとも語り「それでも、あきらめないことでしか変えられないものがあると、私は信じています」と力強く語っていました。
「自分らしく過ごせました」という言葉にやりがいを…
こうした活動の中で、荒牧さんが感じるやりがいは数えきれません。
たとえば、バスケットボール観戦に招待した際、あるお母さんが「この子が生まれてから初めて、こんなに楽しめました」と涙ながらに語ってくれたこと。夜間のケアで疲れ切っていたご家族が「久しぶりに眠れました。これでまた頑張れます」と話してくれたこと。
フルタイムで働けるようになった方が「本当に助かっています」と晴れやかな顔で伝えてくれたこと…。
ご家族や子どもたちから「自分らしく過ごせました」という言葉を聞くたびに「この仕事をしていてよかった」と実感するそうです。
「どうしてそんなに頑張れるの?」と聞かれることもありますが、実は日々、ご家族の姿に励まされていると語る荒牧さん。
「私の方が力をもらっています。だから私は“頑張っている”というより、“頑張らせてもらっている”のだと思っています」と語りました。
医療的ケア児支援について
荒牧さんが描く未来は「どこに住んでいても安心できる社会」です。現在は、自治体間で支援体制やサービスに大きな格差があるのが現実です。
全国に設置された医療的ケア児支援センターも、役割や運営体制が明確とはいえず、地域に応じた実効性ある政策が必要だといいます。
「制度改正が検討される今こそ、現場の実態を踏まえた政策立案と、国・自治体・事業者それぞれの役割明確化が急務です」と荒牧さん。現場が安心して続けられる制度設計や予算のあり方が不可欠だと訴えます。
「困りごとの背景には、制度の仕組みや資源不足など、見えにくい課題が複雑に絡んでいます」と話し、どんな地域であっても「私たちができることがある」と思っていただけるように、より多くの人にその実情を知ってもらいたいと発信を続けています。
「必要とされる場所があれば、全国どこでも駆けつけます」と荒牧さん。
「この活動を通じてより多くの方にこどもホスピスのことを知っていただき、子どもたちとそのご家族の笑顔を支えていけるよう、全力で取り組んでいきます。ぜひ応援していただけたらうれしいです」と話してくれました。
「必要だけど、誰もやっていないこと」を前にしたときに「だからこそ自分がやる」という選択をずっとしてきたという荒牧さん。さまざまなことに挑戦し、活動している姿には心を打たれた方も多いのではないでしょうか。医療的ケア児支援については、まだまだ都道府県格差や自治体格差があるといいます。
地域の中に安心できる場があること。その大切さを、“こどもホスピス”を通じて私たち一人ひとりが考えていくことが求められているのかもしれません。


