高校時代、背中の痛みで動けなくなった女性。しかし原因は不明のまま…症状から9年、やっと告げられた病名と現在の様子を聞いた

高校時代、背中の痛みで動けなくなった女性。しかし原因は不明のまま…症状から9年、やっと告げられた病名と現在の様子を聞いた
門傳佑子さん①(門傳さんより提供)

徐々に全身の筋肉が動かしづらくなるという「スティッフパーソン症候群」は、非常に稀な進行性の神経性疾患と言われています。

スティッフパーソン症候群にはさまざまな型があり、そのなかでも1~2%の型で、世界的にも極めて稀な状態だと診断された門傳佑子さん。

門傳さんは症状が出てから診断されるまで9年かかり、つらい治療も乗り越えてきました。現在は治療を続けながらも「病気があっても諦めずにできることがある」とSNSで発信するなどの活動を続けています。今回は、活動を続けていく思いについて聞いてみました。

「スティッフパーソン症候群」と診断されるまで

高校生の頃、門傳さんは強い背中の痛みにより動けなくなる症状を経験しました。当時の検査では「第四・第五腰椎分離症」が見つかり、症状が落ち着いたことから経過観察となります。

その後、大学4年生の春には右足首の不全麻痺が起こりましたが、原因は特定されず、国家試験を控えていたこともあり「心因性ではないか」と言われていました。

転機となったのは、就職から2ヶ月ほど経った頃に起きた喘息のような発作です。治療をしても改善せず、大学病院へ転院。その頃から麻痺のような症状が次第に強まっていきました。

発症から3~4ヶ月後、神経内科での検査により、手足や呼吸に関わる筋肉の力が低下していることが判明し「若年性ALS(筋萎縮性側索硬化症)」と診断されます。

門傳佑子さん①(@yuko_raredisease24さんより提供)

しかし、退院して間もなく、自分の意思とは関係なく身体が動いてしまう不随意運動や筋肉の硬直、脱力といった症状が現れ始めます。再度検査を行った結果、スティッフパーソン症候群の診断基準となる抗体が確認され、喘息のような症状が出てから約1年後、正式に「スティッフパーソン症候群」と診断されました。

その後も、スティッフパーソン症候群では説明のつかない症状が続いたことから、門傳さんは疑問を抱くようになります。自ら調べた情報をもとに別の大学病院へ相談した結果、喘息のような症状が出てから約2年半後に「重症筋無力症」と診断されました。高校生の頃に感じた背中の痛みから数えると、9年の月日が経っていました。

先が見えないつらい日々

若年性ALSと診断された当時、門傳さんは「身体が動かなくなる」という強い絶望感に包まれていました。一方、スティッフパーソン症候群と分かったときには、治療を続ければ社会復帰できるかもしれないと希望を持ったといいます。

しかし、体質との相性から治療や薬の調整は難しく、先の見えない日々が続き、社会復帰を思い描くこともできないほどつらい時間を過ごしました。

門傳佑子さん②(@yuko_raredisease24さんより提供)

正確な診断がついたとき、門傳さんは安堵した一方で、症状が周囲に理解されにくく、受け入れ先もほとんどない現実に直面し、精神的な苦しさを抱えるようになりました。

スティッフパーソン症候群には複数の型がありますが、門傳さんは全体の1~2%とされる「傍腫瘍性型」。さらに、がんは未発症という点も含めて極めて稀なケースだといいます。加えて重症筋無力症も合併しており、世界的にもほとんど例がない状態だと説明を受けたそうです。

治療の先にあった結婚と出産「支えはわが子の成長」

診断後、門傳さんは免疫療法を開始しました。なかでも最もつらかったのが血漿交換です。頭痛や吐き気、めまいなどの副作用が強く出る治療もありましたが、血漿交換では収縮期血圧が40台まで低下し、意識を失う事態に。血圧はすぐに回復せず、数ヶ月にわたり寝たきりでも50~60台が続き、昇圧剤を使用しても改善しませんでした。

3~4ヶ月後、80~90台を保てるようになったものの、現在も服用を続けなければ血圧は維持できません。昇圧剤を使っていても50台まで下がることがあり、この治療を機に血圧のコントロールが難しくなったといいます。

その後、門傳さんは結婚と出産を経験しました。妊娠中は比較的症状が落ち着いたため、胎児への影響を考え、薬を最低限まで減らして生活していたそうです。しかし妊娠中期後半からは症状が強まり、薬を増やさざるを得ませんでした。出産時は刺激による発作を避けるため、腰椎麻酔ではなく全身麻酔を選択。新生児科が待機し、麻酔や薬による胎児への影響に万全の体制が取られました。

現在は薬による対症療法を続けながら、週5~6日の訪問看護、隔週の在宅医療、2~3ヶ月に1度の大学病院受診を行っています。病気と向き合う日々のなかで、門傳さんの大きな支えとなっているのは、お子さんの成長だそうです。

病気を診るのではなく、その人自身を見てほしい

門傳さんが自身のことをSNSで発信しようと思った最初のきっかけは、気管切開した後でも声が出たことでした。言語聴覚士の資格を持っていることもあったため、気管切開していても声が出ることを力にして、多くの人に少しでも希望を与えることができればという思いから発信を開始。

現在は、病気があっても諦めずにできることがあること、さまざまな活動を行っていきたいということから発信を続けています。

門傳佑子さん③(@yuko_raredisease24さんより提供)

今後の目標は、講演会や講師など多くの人にいろいろなことを伝えられる場に立てるようになることです。
「世の中には診断がつかない病気や診断されていてもほとんど知られていない病気、理解されにくい病気に悩んでいたり苦労したりしている人もたくさんいます。しかし、病気を診るのではなく、その人自身を見てほしいと思っています」と明かします。

また「病気があってもできることがあること、できることをやれる環境がもっと世の中に広がっていってほしい」という願いも語ってくれました。

さまざまな症状を抱えながらも活動を続ける門傳さんの姿は、病気と向き合う日々の現実を伝えています。その経験や言葉は、同じ病気や悩みを持つ人にとって、病気との向き合い方へのヒントになるのではないでしょうか。
提供元:@yuko_raredisease24さん(TikTok)

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