京都に住むフランス人として、日本での暮らしや文化の違いについて、YouTubeやInstagramで発信しているフロリアンさん。
最近では、日本での暮らしの中で感じたことや、価値観の変化を自分の言葉でまとめた書籍『なぜフランス人の僕が、日本を「天国」と呼ぶのか ― 京都で10年暮らして見つけた「奇跡のような日常」』を出版しています。
来日当初、「日本の味付けは正直、少し物足りない」
そう感じていた一人のフランス人がいました。
けれど、その感覚は、1か月、1年と日本で暮らすうちに、静かに変わっていきます。
味覚の変化は、単なる“慣れ”ではなく、価値観そのものの変化でもありました。日本とフランスの違いを語り続ける彼の発信の中から、一つの投稿にフォーカスして、その背景にある思想をひも解きます。
「当たり前」が揺らぐ瞬間を、言葉にしてきた人
フロリアンさんは、京都を拠点に、日本とフランスの文化や価値観の違いについて発信を続けています。
YouTubeやInstagramで語られるのは、派手なカルチャーショックではありません。
・生活のリズム
・人との距離感
・秩序や安心感
・日常に溶け込んだ小さなルール
日本で暮らす中で、「当たり前だと思っていた価値観が、国が変わるだけでまったく違って見える」
その体験を、丁寧にすくい上げてきました。
治安の良さ、街の静けさ、清潔な空間。
日本では日常に溶け込んでいるそれらが、彼にとっては「特別な価値」だったといいます。
だからこそフロリアンさんの発信は、日本を一方的に称賛するものではありません。
違いに戸惑い、考え、少しずつ理解していく、その過程そのものを伝えてきたのです。
なぜこの「和食弁当」の投稿なのか
数多くある投稿の中で、今回注目したのは、
日本の和食弁当を食べる様子を記録した一本の投稿です。
来日したばかりの頃、フロリアンさんはこう感じていました。
「正直、味が薄すぎると思った」
フランスの食文化に慣れ親しんできた彼にとって、日本の味付けは物足りなく感じられたのです。
ソースを足したくなる。何かが足りない気がする。
その感覚は、とても率直で、自然なものでした。
ところが…
1か月後、1年後。
同じような和食弁当を前にした彼の言葉は、変わっていきます。
「味が薄い」から、「味わい深い」へ
日本での生活を続ける中で、フロリアンさんは少しずつ気づいていきました。
・素材そのものの味
・出汁の奥深さ
・足さないからこそ引き立つ風味
「味が薄い」のではなく、“主張しすぎない”味付けだったのだと。
今では、ソースをかけなくても十分に美味しく感じられる。
それどころか、日本の味付けの繊細さこそが魅力だと感じるようになったといいます。
この投稿が印象的なのは、
味覚の変化を誇張せず、時間とともに起きた変化として淡々と描いている点です。
否定から始まり、理解へと向かう。
そのプロセスは、食の話にとどまりません。
味覚の変化が映し出す、日本での暮らし
フロリアンさんが日本で感じてきたのは、
「引き算の美学」や「調和を大切にする感覚」でした。
室内で靴を脱ぐ文化。
清潔で使いやすいお風呂。
街の安全性や、静かな公共空間。
どれも派手ではありませんが、丁寧に積み重ねられた心地よさがあります。
和食の味付けと同じように、日本の暮らしもまた、
最初は気づきにくく、でも慣れるほどに手放せなくなるものなのかもしれません。
この投稿は、そんな日本での生活の本質を、
「味覚」という身近な切り口で切り取った一本でした。
「当たり前」は、変わっていくもの
フロリアンさんは、日本を「第二の故郷」とは呼びません。
今では、日本こそが人生の中心であり、一番の故郷だと感じているといいます。
派手な成功や劇的な変化ではなく、
日々の中で少しずつ積み重なっていく気づき。
今回の投稿が伝えているのは、
「当たり前だと思っている基準は、案外簡単に揺らぐ」という事実です。
あなたが「普通」だと思っている感覚も、
別の場所では、まったく違って見えるかもしれません。
その変化に気づけたとき、
日常は、少しだけ違って見えてくるのではないでしょうか。
