大学院で物理専攻。政治家に挑戦。日本、シンガポール、カンボジアで起業。そして、カンボジアに大学設立。そんな異色の経歴を持つ起業家がいる。猪塚武さんだ。
これまで数々のチャレンジをしてきた彼は、昨年故郷香川県さぬき市で新しい挑戦を始めた。これまでの半生と、新たな挑戦について伺った。

「同級生はわずか9人。これでも、6学年の中では一番多かったです。ここより田舎は無いんじゃないかという地域で生まれ育ちました。遊ぶところも無ければ、塾も無い。一人で遊ぶしかないので、考える時間が多かった子ども時代だったと思います。でも、体が大きくて勉強ができたので、自然とリーダー役を任されることが多く、自分自身は望んでいなくとも、児童会長とか学級委員とかをやっていました」

県立津田高校に進学。勉強に熱中したところ、先生方が猪塚さんの質問に答えられないほどずば抜けた成績に。そこで、物理学科に進んでアインシュタインを目指せと言われて早稲田大学理工学部に進学した。そこで初めての挫折をする。

「ずっと賢い賢いと言われてきて、大学入学後の最初のテストでビリになってしまったんです。それがけっこうきちゃいましたね…。それと、東京に出たら彼女を作るぞって思っていたんで、それも相まって大学時代はだいぶ遊んでしまいました。サークルに4つ入って、バンドでボーカルをやって、テニスもスキーも…。楽しい大学生をしました」

早稲田大学時代の猪塚さんと友人たち

就職活動の時期になり「そういや大学に勉強しに来たんだった」と思いかえした猪塚さん。バブルの絶頂期だったため、就職した方がお得という時代だったが、東京工業大学理工学研究科に進学し、応用物理学を専攻した。

「でも、大学院で教授とそりが合わなかったんです。そんな時、大前研一さんという方が平成維新の会という政治団体を設立していました。彼は、早稲田理工、東工大理工と私と同じ経歴で、非常に興味を持ちました。平成維新の会に関わっている同世代のマッキンゼー出身者に出会ったのですが、本当に能力が高くて。その人はその後Twitterの社長になりました。それで、自分も政治家になろうと。そのためにはコンサルに行こうと思い、退学してアクセンチュアに入社しました」

香川2区から出馬した際の選挙ポスター

アクセンチュア退社後、大田区から都議会議員選挙に挑戦した猪塚さん。しかし、支援者も少なく、あえなく落選してしまう。

「もう一度選挙に出ようとしても、誰も応援してくれませんでした。仕方ないのでフリーランスになったところ、たくさん仕事が舞い込んできました。当時、アクセンチュアの新卒では一番プログラミングができましたし、スーパーコンピュータを扱っていたので、そんな人材がフリーランスって珍しかったんですよね。そこで、デジタルフォレスト社を起業し、香川に戻ったところ、いまのようなテレワークの時代ではなかったので、仕事がまったく無くなりました。そうして暇になってしまった時につくったアフィリエイトプログラムが日本初でした。今度はまた問い合わせが殺到しました」

「そのタイミングでもう一度政界にチャレンジしようと香川2区から衆議院議員選挙に挑戦して落選しました。そしたら、評判が一気に悪くなって会社が倒産しかけましたね。投資家からもめちゃくちゃ怒られて、反省してまずはビジネスに専念することにしました。妻からも次選挙に出たら離婚するって言われましたしね(笑)でも、だんだんビジネスをしている中で、自分はこっちの方が向いていると思いました。楽しかったですしね」

その後、2006年には日本一のアクセス解析ソフトの会社となり、業績好調だった。しかし、Googleが競合企業を買収してクラウドにして無料にしてしまい、突然市場が無くなり一瞬で最悪の状況に転落した。その結果、リーマンショックもあり2009年にNTTコミュニケーションズ社に売却することになる。

NTTコミュニケーションズ社に売却した際の写真

「自分は社長だったので、この責任は自分にあると思いました。なぜそうなったのか分析していくと、英語ができないのは罪だったと気づきました。株主のお金を危険にさらしたのは自分が英語ができなかったから。世界を知らないのにお金を集めるって駄目なんじゃないかと。そのタイミングで、娘が中学受験に失敗して大きなショックを受けていました。私も娘も環境を変える必要があると感じ、シンガポールに移住することにしました」

シンガポールでビジネスを行う中で、世界中の起業家と出会った猪塚さん。サウジアラビアの王族に中東の可能性を学び、インドのマハラジャのスケールの大きさに衝撃を受けた。そうして世界をまわる中で、日本の課題も見えてきて、様々なアイデアが浮かんできた。

世界各国の起業家と交流する猪塚さん

「メルカリの山田さんが世界一周をしてビジネスアイデアを思いついたように、世界をまわるとアイデアが浮かぶというのは本当だと思います。日本で狭い世界でずっといるような人は世界一周したらいいと思いますね。私はこれからの時代英語とITをいかに学ぶかということが課題だと感じ、学園都市をつくろうというように考えました」

世界を回る中で、カンボジアの水があったという猪塚さん。そこで、カンボジア人がやらないことをやろうということで、2014年に全寮制で英語でITを教えるキリロム工科大学を設立した。世界中から人材が集まる画期的な大学となった。

キリロム工科大学の学生たち

「当時は非常に珍しいモデルでした。でもいまではカンボジアの国立大学にコピーされちゃいましたね。でもいいんです。コピーされるということは、優れているということですよ。あとは、やっぱりカンボジアの教育はカンボジア人がやるべきです。そこで、私は次のフェーズに移ってきていると思いました」

「キリロム工科大学のカンボジア人の卒業生を見ていると、非常に優秀で将来的に日本人の上司になることに疑いがないんです。過去に、マッキンゼー日本支社の社長がカンボジア人だったこともありますしね。理由は英語なんです。高校くらいまでは世界レベルでも、大学教育で抜かれちゃうんです。でも悲しいじゃないですか。日本人ってカンボジアをたくさん支援してきましたよね。その結果、カンボジア人が日本人の上司になりましたって。共に成長して競い合えるようになるのがいいですよね。そこで故郷香川の子どもたちのために英語教育を行いたいと思い、さぬきピアラーニングハブを廃校になった小学校を改装して2023年5月に設立しました。なかなかグローバルスタンダードを、地元で広めることには苦戦していますが、地道に小さいことから始めていきたいと思います」

カンボジア人エンジニアたちと香川県知事を表敬訪問

現在、ミネルバ大学などの海外大学で学ぶ日本人学生や、AIなどの時代の潮流をゆく企業の経営者の出会える交流企画や、地域の外国人住民と関わるイベントなどを開催している。また、英語が学べるシェアハウスなどの英語に囲まれた環境も提供している。世界の最先端を香川で見せるというコンセプトだ。
時代の変化はいつも辺境から生まれてきたと言われている。猪塚さんがここより田舎は無いと思ったこの地からはじまる改革が非常に楽しみだ。

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