離島で栽培した小麦粉に瀬戸内海の海水からできた塩を加えて、手打ちうどんを食す。香川県丸亀市の離島「さぬき広島」で、地産地消のうどん作りに取り組んでいる移住者がいる。讃岐うどんで知られる「丸亀製麺」を展開するトリドールホールディングスの木村成克さんだ。木村さんが実践する離島の暮らしを覗いた。

多島美を眺めながら仕事

「仕事がある日は、オンラインで会議するのですが、自宅の軒先から海を見ながら参加します。瀬戸内海の多島美を眺めながらなので、話は半分くらい聞いてません」

木村さんは、冗談混じりに典型的な一日の様子を教えてくれた。さぬき広島は、丸亀港からフェリーで40分ほどの沖合にある。人口150人ほど。住民の8割ほどが高齢者だ。島からは、丸亀の象徴ともいえる飯野山の姿が美しく見え、「ここは讃岐うどんの聖地だ」と感じるという。

島の畑で育てた小麦を手にする木村さん

木村さんは、トリドールホールディングスに入社して14年目。これまでに、「丸亀製麺」で店長やマネジャーとして讃岐うどんを提供してきた経歴を持つ。現在はサステナビリティ推進部に所属し、社会貢献活動などを担当している。

さぬき広島を初めて訪問したのは、2019年。島に尾上邸という日本遺産を活用した宿泊施設が完成した際に、最初の宿泊客になった。フェリーに乗ること自体が非日常的な体験で、瀬戸内海の雄大な景色や尾上邸の立派さに魅了されたという。

尾上邸では、テーブルの上に食べきれないほどの料理が並んだ。東京から訪問した木村さんにとって、「ありえないほどのおもてなし」と映ったという。次に訪問した時は、自然と「ただいま」という言葉が木村さんから飛び出した。島の人も「おかえり」と返してくれた。

木村さんは「島の人の温かさが一番の宝です。実家よりも実家っぽく島を訪れていました」と振り返る。

島の人と交流しながら会話を深めていくと、島には若い力が不足しており、島の人も将来を不安視していることがわかった。木村さんは「自分が移住して少しでも力になれるなら。ここに移住したい」と思うように。島の人の人懐っこさや温かさに触れる度に、都会にはない人情を感じていた。

木村さんは2階建ての一軒家で暮らす。「周りはとても静かです」

「最初は、特に『何かがしたい』という気持ちはなく、軽い気持ちで移住しました」と木村さん。2022年3月に移住後、島の活性化につながる活動に取り組んでいる。島のイベント時にキッチンカーを出して、うどんを振る舞ったり、企業版ふるさと納税制度を使ってフェリー乗り場の待合所を整備中だ。

「島の小麦なら美味しいうどんになる」

そんな中、目玉となる挑戦が、2022年秋から始まった地産地消の讃岐うどんを作るプロジェクト。島でうどん専用の小麦「さぬきの夢2009」を栽培し、海水から塩を作っている。

「香川では小麦が採れるという知識が頭の片隅にあったので、島で小麦を栽培したら美味しいうどんが食べられそうだなという軽い気持ちからスタートしました」「島には、さまざまな名人がいるのですが、小麦栽培の名人である山脇千恵子さんから教わっています」

広さ一反ほどの畑を借りて、小麦栽培を開始。種まき後の麦踏みや雑草採りなど、すべて手作業で取り組んだ。山脇さんからは「自分で作ったものを大切にする心」を教わった。麦が一粒落ちても、山脇さんが「もったいない」と拾う姿から学んだという。

小麦の収穫作業も手作業で進めた(提供)

収穫した小麦は、木村さんが石臼を9時間かけてひいて、小麦粉の形に完成させた。そうして出来上がった島特製のうどんの味は格別だった。

「小麦の匂いが口全体に広がって、まるで小麦を食べているような体験でした。普段は発注したら当たり前のように届く小麦粉ですが、手作業で作ると本当に大変。小麦に対する思いが深まりました」。木村さんは、自ら育てた小麦で作ったうどんを「土から作ったうどん」と表現した。

島で採れた小麦からできた「地産地消のうどん」(提供)

この体験を通して、地産地消のうどん作りを社員教育に応用することを発案。2023年も11月に種まきをして、翌年6月に刈り取るスケジュールで小麦栽培を計画している。

うどんは島の人にも振る舞われたが、誰もが完成前から楽しみにしてくれていた。「もうすぐやな」と声をかけられる場面が多く、「次は私たちも手伝うからね」という声も上がっている。うどんプロジェクトが島のコミュニティを盛り上げてくれたことが嬉しかった。

「島の人と接していると、みんな優しくてホスピタリティの学びになります。島の活性化として始めたプロジェクトですが、うどんへの思いを深める会社の研修としても広げていきたいと思っています」

「不便さを楽しんで」

さぬき広島での暮らしは、1年半ほどに。この間の大きな変化は、健康診断の結果が軒並み向上したことだという。「素晴らしい景色を見ながら仕事ができるので、効果が出ているようです」と木村さん。表情も柔らかくなって、かつての同僚から「変わったね」と声をかけられることもある。

「島暮らしは不便よ。でも、不便さを楽しむのが人生なんよ。ないものはない。それを楽しめるようになるといいよ」

移住を検討していた頃、木村さんが島の女性からもらった言葉だ。雷に打たれたような気がしたという。この言葉が木村さんの背中を押してくれた。

小麦の収穫作業を一緒に進めた仲間と。師匠の山脇さんの姿も(提供)

今後しばらくは「島暮らしを続ける」という木村さん。移住を考えている人には「『気軽に来てみたらいいよ』と伝えたいです」と笑顔を見せた。その笑顔が、さぬき広島での暮らしの充実ぶりを物語っているようだった。

この記事の写真一覧はこちら