香川県観音寺市の瀬戸内海に浮かぶ伊吹島は、人口431人(2021年12月時点)、周囲6.2キロの小さな島。西日本有数のイリコの産地として知られ、「伊吹いりこ」といえば、讃岐うどんの出汁をはじめ、多くの飲食店が使用している島自慢の食材だ。2022年も6月中旬から漁が解禁になり、秋口まで島はイリコ漁で活気づく。

伊吹島のアメリカ芋。昨年収穫した芋を種芋用に保管し、春に植え付けた。

伊吹島元気隊が芋で島おこし

そんな伊吹島には、知られざる特産品があった。明治時代から島の人がずっと食べ続けてきた「アメリカ芋」と呼ばれるさつまいもの一種、白芋だ。品種は七福(しちふく)。この芋こそが「イブキホワイト」。その経緯についてはのちほど説明する。

3年前からアメリカ芋の栽培活動に取り組んでいる「伊吹島元気隊」のメンバーのひとり、三好洋市さんに話を聞いた。

「水に恵まれず、平地がなかった伊吹島では、稲作ができないために長い間、麦や芋を食糧にしてきました。物流が盛んになった現在では、もちろん島に米は届いていますが、今でも古い家には“芋坪”と呼ばれる、芋を保管するための床下貯蔵庫があって、毎年芋を保管し続けています」
実際に現役の芋坪を見せてもらうと、想像以上の広さに驚いた。

古い家の玄関口には、床板をめくるとまるで地下壕のような芋の貯蔵庫「芋坪」がある。写真=おおにしちひろ

この家は玄関を入ってすぐの仏間の下が芋坪。この画像2点は同じ家。写真=おおにしちひろ

戦後の食糧不足は改善され、島は人口減少と高齢化が進み、アメリカ芋を栽培する人は年々減少していた。そこで、「この芋は伊吹島に残さないかん」と動き始めたのが、観音寺市公認の市民活動団体「伊吹島元気隊」だ。メンバーは島在住者や出身者の50〜70代の7人。島の清掃活動など島を元気にする活動をしている。その中のひとり、三好洋市さんは、現在は岡山県在住だが、毎週末、中学生までを過ごした、実家がある伊吹島に帰り、芋の栽培や来島客のための準備に取り組んでいる。

2022年2月末に、伊吹島元気隊のメンバーで種芋を植えた。

5月には種芋から発芽した芋の苗を植え付けし、本格的な栽培が始まった。

種芋から3か月。青々とした芋の葉がしっかり育っている。

瀬戸芸・秋会期は「イブキホワイト」でおもてなし

2022年は3年に一度のアートイベント「瀬戸内国際芸術祭」の開催年。伊吹島は秋会期(9月29日〜11月6日)の会場となることが決まっている。伊吹島元気隊では「たくさんの来島客を迎えるこの機に、ぜひ、イブキホワイトを知ってもらい、食べてもらいたい」と、例年よりも1か月ほど早く種芋を植えたという。

誕生したばかりの「イブキホワイト」のロゴと明治時代から伝わるアメリカ芋=イブキホワイト。

さて、なぜ「イブキホワイト」なのか?
アメリカ芋は明治時代に日本人がアメリカから持ち帰り、その後、稲作ができないあちこちの島に持ち込まれ広まった。産地として有名なのは、香川県のお隣、愛媛県の新居大島や、東京都の新島、伊豆大島など。もとは同じアメリカ芋だったかもしれないが、100年以上の歳月をかけてその土地の気候風土の中で伝承され、その土地独自の芋になっている可能性は高い。

そこで、伊吹島元気隊では、伊吹島の白芋は「イブキホワイト」として、他の産地のものとは区別することにしたそうだ。

蒸してから乾燥させた干し芋「かんころ」(手前)。地元の主婦は茹でてペーストにしたものを冷凍保存していた(奥)。

伊吹島では昔から、アメリカ芋を焼いたり蒸したり、「かんころ」と呼ぶ干し芋や「おねくり」という、かんころと小豆を混ぜたおやつなどで食べていたという。
「おやつというより、昔は食べるものがないから、それでお腹を満たしていたわけですよ」と三好さん。
では、今の時代ならどう食べるか? 伊吹島元気隊では地元の飲食店にも参加してもらい、昨年の芋をサンプル提供していろいろな加工品を試作してもらっている。

高松のプリン専門店「レチェフラン」ではイブキホワイトの白いプリンを試作中。

三豊「ケーキ工房れいくんち」ではワッフルを試作。名前は「島ワッフル」に決めている。

伊吹島元気隊が今年の春に植えたイブキホワイトの苗は約3000本。9月初旬には、およそ1500キロの芋の収穫を見込んでいる。さて、どんな姿で登場するのか? 瀬戸芸、秋会期の伊吹島では、ぜひ、アート作品とともに、イブキホワイトを探してみては? 間違いなく「イリコだけじゃない伊吹島」が味わえるはずだ。

伊吹島元気隊の三好洋市さんは伊吹クリーンセンターの北にある「大きなイス」の制作者でもある。

サングラスの奥の瞳はやさしかった三好さん。瀬戸内国際芸術祭では仲間とともに独自のおもてなしを考えている。

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