「音楽史に埋もれていた女性作曲家を多くの人に伝えたい」。11歳で国際的なコンクールに優勝した若きピアニスト、三好那奈さんは、マイノリティの体験をピアノに乗せて発信している。知られざるアフリカ系アメリカ人初の女性作曲家、フローレンス・プライス(1887~1953年)を演奏する16歳を取材した。

埋もれていた女性作曲家プライス

香川県三豊市の宝光寺で2023年7月23日、小さなコンサートが開かれた。本堂にグランドピアノが運び込まれ、三好さんのピアノに80人ほどが聞き入った。父親の哲学さんが司会を務め、三好さんが演奏曲への思いを語る。

技巧的なテクニック重視ではなく、エモーショナルな演奏を心がけている三好さん

「次の曲は、『ウィメン・イン・ミュージック』というカーネギーホールでの音楽イベントで演奏され、再注目された作品です。私も昨年、初めて知りました」と、哲学さんが紹介した。続けて三好さんが解説する。

「奴隷だった人々の歴史は厳しく、虐げられていました。北部に逃げた奴隷たちは、『ウェイド・イン・ザ・ウォーター』という黒人霊歌を川に入って歌い、体の匂いを消すことができたので、白人が放った野犬から逃げ切ることができました」

そして、会場のほとんどの人が初めて耳にするプライスの「ピアノソナタホ短調1楽章」が演奏された。

奴隷の苦悩を表現した曲だが、柔らかなハーモニーとダイナミックなリズムが調和して聴こえる。ピアノに向かう三好さんの指は、滑らかに鍵盤を走った。

《ファッファー、ドレドファソラッラー》

黒人霊歌「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」のモチーフから、奴隷が川に胸まで浸かる中で、逃げる様子が脳裏に浮かぶ。「逃げ切った後は、花が咲いていて、空が晴れている。そんなイメージを浮かべながら弾きました」。三好さんの演奏が終わると、感動した聴衆から大きな拍手が湧いた。

コンサート終了後に、黒人霊歌「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」のモチーフを弾きながら思いを語る三好さん

「ポジティブに、ポジティブに」

三好さんは、東京都内在住の通信制高校生。都内や母親の故郷である香川県内を中心に、福祉施設や寺院などで小さなコンサートを開いている。「三好那奈という人間そのもののファンを増やしたい」という願いを込めたミニツアーだ。

3歳からピアノを習い始めた三好さん。初のコンサートは8歳の時に都内で、そして、12歳でカーネギーホールでの演奏を経験した。都内の公立小中学校に通ったが、授業は午前中で切り上げ、ピアノに没頭する日々を送った。教師たちも理解して、応援してくれたという。

そして、国際的なピアノ・コンクール優勝をきっかけに、審査員だったコスモ・ブオノ氏と出会う。三好さんが師事しているピアノ指導者だ。

年に何度かはニューヨークでブオノ先生(右)の個人レッスンを受ける(提供)

「よく褒めてくれる先生です。『ポジティブに、ポジティブに。小さなミスを気にせず、音でストーリーを語りなさい』という言葉をくれました。先生と生徒ではなく、アーティストとして対等に討論してくれます」

「例えば、ベートーベンは『こう演奏するもの』と決めつけず、私がどう考えるかを大事にしてくれます。提案はあっても『こうしなさい』とは言いません」

ただ、三好さんに演奏のイメージがない時は、すぐに見破られるという。「悲しみを表現したい」と言うと、ブオノ氏は「イメージがないんだね。どんな風に悲しい?」と質問し、2人は対話を重ねる。

米国のアフリカ人墓地国立記念碑を見学し、アフリカ系アメリカ人の歴史に想いを馳せた(提供)

どの曲も背景を学ぶことは必須だ。母の香織さんがサポートしており、プライスの演奏では奴隷の歴史の理解を深めた。三好さんは「ブオノ先生は『70歳でも勉強中だよ』と言って、学び続ける姿勢が大切だと教えてくれます」と話した。

ニューヨークにいるブオノ氏とは自宅から「スカイプ」で繋ぎ、週1回のレッスンを受けている。ウェブカメラを使って演奏を聞いてもらったり、英語で対話したり。プライスの存在もブオノ氏から教わった。ニューヨークフィル管弦楽団がプライスの曲を演奏したことを機に、再評価されるようになったという。

おばあちゃんの「ありがとう」原点に

実は、法光寺のコンサートでは、三好さんが音を間違えるミスタッチもあった。それでも、演奏に動揺はなかった。「感動をもたらす演奏がしたい」という思いが根底にあるためだ。

その背景には、三好さんが遭遇した”ピアノの奇跡”がある。香川県内の介護施設で小さなコンサートを開いた9歳の時の出来事だ。

大勢の入所者や家族が集まった会場で、高齢者もよく知っている「ふるさと」を演奏した。すると、入所以来ずっと寝たきりで、誰とも話すことがなかった一人のおばあちゃんが、笑顔で近づいてきた。

そして、小さな声で「ありがとう」と声にした。スタッフたちは「(三好さんのピアノが起こした)奇跡」と言い合ったという。その時、三好さんのピアニスト人生の扉が開いた。

16歳の誕生日に記念撮影した一枚。2年後のカーネギーホールでのソロ・コンサートが直近の目標だ(提供)

三好さんは18歳になる2年後、ニューヨークのカーネギーホール(2800人)でソロ・コンサートを開催することが目標。「みんなでカーネギーに行こう」と呼びかけている。

「クラシックでは、女性作曲家がまだ少ない。不思議ですよね」と、三好さんに聞いた。

「女性でも作曲家になるチャンスはあるはずですが、女性に求める役割やイメージは古いままだと思います。将来は、性別や人種などの紹介が作曲家のプロフィール自体から消えるかもしれません」

女性や年齢など属性にとらわれない、一人のピアニストがそこにいた。

三好さんはプライスの曲をこんな風に解説した。「希望を失わない力強さを強く感じます。それは、女性やルーツを超えた彼女の人間性です。この曲は社会に対するラブレターだと思います」

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