「登校生とは呼ばないのに、なぜ不登校という言葉があるのだろう」。東京都内在住の高校1年生、名久井悠佳さんは中学校で不登校を経験し、「不登校という言葉をなくしたい」という思いからインスタグラムで情報発信を始めた。学校以外の居場所であるフリースクールを訪問して、全国47都道府県から1か所ずつ紹介する計画だ。

フリースクールを訪問して取材

「本当に高校生?とてもしっかりしてるね」。神奈川県鎌倉市のフリースクール「シーズアップ」で、代表の城田輝三さんが名久井さんを出迎えた。名久井さんは手短に挨拶すると、用意していた質問項目を見ながら、城田さんの話を聞いた。

フリースクールを訪問して代表の城田さん(手前)の話を聞く名久井さん

「開設理由」「学校に戻る子はいるか」「接し方で心がけていること」など11項目。さらに「スタッフの人材育成をしているとホームページにありましたが、研修資料を見られますか」とリクエストした。

名久井さんは都道府県ごとにフリースクールのホームページを読み込んで、訪問先を探す。不登校だった経験を踏まえて「ここはいい」と感じたらアポをとるが、そこが意外と難しい。訪問取材のマナーは父の康宏さんに教わり、取材後にインスタグラムで発信する内容は母の千佳代さんに確認してもらう。

城田さんは、名久井さんのリクエストに応えて研修資料を説明してくれた

「ホームページと実際の様子が違うこともあるんです。不登校の子にとって、そんなの困るじゃないですか。私の視点で、ホームページから分からない素敵なところも探しています」。名久井さんは、子どもから見たフリースクールの様子を発信する理由をこう話した。城田さんは「学校や社会を批判しても、実際に行動できる人は少ない。このまま頑張って」とメッセージをくれた。

訪問先のフリースクールでは、インスタグラム用の写真を撮影する。教室の雰囲気がわかる場所で名久井さん(右)は城田さんと写真に収まった

中学校で2年間の不登校経験

名久井さんは中学生の2年間、不登校だった。きっかけは部活動。先生から勧誘されて「在籍するだけでいい」という条件で入部した。打ち込んでいたバレエに時間を使いたかったので、一度は断ったが「内申書が良くないと都立のトップ校には行けない」「体育の成績も良くなる」などと言われ、幽霊部員になった。

しかし、現実はバレエのために部活を休むと、周囲から「なぜ来ないの」と言われたり、教室の出口で待ち伏せされることも。周りの空気を読まなければならない暗黙のルールが多いことも息苦しかった。

2020年3月に中学校はコロナで休校になり、名久井さんはそのまま不登校になった。学校再開の朝、登校したくても体が動かなかったのだ。

名久井さんは不登校の経験を話せるようになった。「塾や居場所を提供してくれた人に感謝しています」という

「不登校だった私が前向きになれたのは、塾がきっかけです。『不登校です』と説明したら、塾の先生が『いいじゃん!』と言ってくれて」。自宅にこもっていた名久井さんは、夕方からの塾に通い始めた。

周囲に合わせるよりも、自分の意思を持って行動したい名久井さん。幼稚園は楽しかったのに、小学校、中学校になるにつれて楽しくなくなるのは、なぜだろう。答えを見つけるために、児童心理学を学びたい気持ちが芽生えた。

名久井さんは本を読んだり、ネット情報を集めて不登校について考えたという

「学校に行かない選択をした子は、自分の頭でいろいろ考えていて、自分でレールを作っていく必要があり、多くのことを考えていると思います。そんな子に『不』の文字を使うことに、納得できないんです」

母の「今でしょ」が背中を押す

名久井さんは「将来、児童心理学を学んでフリースクールの発信をしたい」と両親に宣言した。すると、千佳代さんは「やるなら今でしょ」と背中を押した。「娘はパッと思いついたことはできるタイプ。大人になってからでは、今の熱量がなくなるのではないか」と感じたという。

2022年5月に北海道から取材をスタート。2件目、3件目と進める過程で、名久井さんは「私はこれがやりたいんだな」と気づいたという。質問項目は少しずつ完成度が高まった。交通費など活動資金は、名久井さんの思いを聞いた祖父が出してくれた。

フリースクールで自分のストーリーを話す名久井さん(提供)

茨城県那珂市の「自由の学校」を取材した際は、「イベントで悠佳さんのことを話しませんか」と依頼された。「え?はい。やってみます」。急いでプレゼン資料をまとめて、不登校の子どもや家族を前に「不登校という言葉をなくしたい」という気持ちを発表した。

文部科学省の統計によると、2021年度に不登校だった小中学生は24万人を超えており、増加傾向が続く。コロナの影響もあると分析されているが、現状の学校システムに合わない子や学校の改革を望む子どものシグナルだと受け止める識者もいる。

フリースクール全国ネットワーク代表の江川和弥さんは「名久井さんの思いは、まっとうだと感じます。不登校という言葉への抵抗感は大人にもありますが、これまで大きなムーブメントにはなっていません。子どもたちが新しい言葉を生み出すような展開も面白いですね」と話す。

不登校という言葉が使われ始めたのは、1980年代後半から1990年前半にかけて。それ以前は、登校拒否と呼ばれていた。この言葉の歴史は、まだ浅い。

自分の体験を踏まえて不登校について語る名久井さん。「困っている子の力になりたい」

名久井さんが目指しているのは「困っている子の力になる」こと。不登校という言葉に代えて、新しい呼び方はあると考えているのだろうか。

「言葉をなくしたくても不登校そのものは、なくならないと思います。私はフリースクールだって、私立学校に通うのと同じだと思っているんです。学校以外の居場所も社会に認めてほしい」。これまでフリースクール8か所を訪問して発信した。大学受験までに47都道府県を周り終えたいと思っている。

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