縄文土器や石器、時には縦穴住居までを自ら手作りする。そんな縄文造形作家が横浜にいる。平田篤史さんだ。1962年横浜生まれ。きっかけは学校の裏山で偶然みつけた縄文土器だった。そこから魅力に取り憑かれて50年以上。彼の活動に迫った。

「私の縄文との出会いは、小学1年生の時でした。入学式のまさにその日。学校の裏山が宅地開発をしていて、ちょうどなにかが崖から顔をだしていたんです。それを掘り起こして、きれいに洗ったら不思議な文様が出てきました。綺麗だし、見たことの無い文様で、がーんと衝撃を受けました。」

平田篤史さん(津南町農と縄文の体験実習館「なじょもん」より提供)

それから平田さんは、自ら縄文土器を作ろうとした。山から土を持ってきて、これはどうかと試行錯誤の日々。当時、縄文土器や石器の作り方が分かる学芸員はほとんどおらず、博物館に行っても教えてもらえなかったという。そこで、自ら研究すること数年。小学校6年生の時には、土器も石器も自力で作れるようになった。

「とにかく土器や石器づくりに熱中していましたね。心配した親は、一度私を精神病院に連れて行こうとしたくらいです。中学生になってからも、変わりませんでした。私は例の裏山が遺跡なんじゃないかと思い、横浜市の教育委員会に発掘してほしいと言いに行ったんです。でも、子どもの話を誰も相手にしてくれません。そこで、顧問の先生と相談して、自力で発掘することにしました。ちゃんと報告をまとめて発表までしましたよ。そしたら、その後横浜市の教育委員会もちゃんと発掘してくれましたね。」

縄文土器と平田さん(津南町農と縄文の体験実習館「なじょもん」より提供)

平田さんの個人的な縄文文化の探究はその後も続いた。大学在学中の映画興行会社での制作関連のアルバイトをしていたご縁で、卒業後はフリーでゴジラなど特撮映画の造形物を制作するなどの仕事に携わるようになった。また、芸能事務所を立ち上げた知人の誘いでお笑い芸人としても活躍するなど多彩な仕事をしていた。

「20代後半から、自分で作った土器や石器で個展を開くようになりました。当初は自己流でしたが、博物館に通って専門家の方と議論しながら、縄文文化の再現に取り組みました。近年、実験考古学という分野が確立されてきましたが、先取りしていたように思います。黒曜石体験ミュージアムの大竹幸恵さんや、函館市立博物館の佐藤智雄さん、なじょもんの佐藤信之さんには大変お世話になっています。」

実はアイヌ民族文化財団が嘱託するアイヌ文化活動アドバイザーでもある平田さん。アイヌ文化にも詳しく、アイヌの英雄であるコシャマインを祀るコシャマイン慰霊祭の実行委員会の共同代表を務めるなど、各地で活躍している。中高生の頃からアイヌ文化にも関心があったという。

「ある時アイヌ文化と縄文文化の関連性に気づき、25歳頃から本格的に学ぼうと北海道に通うようになりました。徐々に人間関係が出来てきて、お祭りに呼んでいただいたり、アイヌ語や踊りなどを教えていただいたりするようになりました。縄文文化とアイヌ文化の連続性は、いまや学問的にも注目されつつあります。」

アイヌの儀式を行う平田さん(津南町農と縄文の体験実習館「なじょもん」より提供)

現在、縄文造形作家としての活動や、アイヌ文化活動アドバイザーとしての活動、講演やワークショップで年初には1年間のスケジュールが埋まってしまうという多忙さだ。平田さんの活動は、AI時代に、あえて自らの手でものを作り、試行錯誤をしながら自然と向き合うことの面白さや大切さを多くの人々に伝えているように思う。

「私は本当に、個人的な探究心でこの活動をしてきました。とにかく面白いと。でも、最近思うんです。先人たちが伝えてきた文化を、私の所で止めてはいけないと。そんなことも考えるようになりましたね。」

こだわりの材料のために全国を訪ねる(津南町農と縄文の体験実習館「なじょもん」より提供)

現在、新潟県津南町にある博物館「なじょもん」での縦穴住居の復元に取り組む平田さん。これまで培った技術だけでなく、現時点ではわからないことを、アイヌ文化に伝わる技術も応用すれば、わかることがあるかもしれないという実験的な取り組みでもあるという。夏休み期間は、平田さんが講師を務める縄文やアイヌ文化に関する体験ワークショップを毎日開催中とのこと。気になる方はぜひ平田さんの縄文ワールドへ足を運んでみてはいかがだろうか。

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