サッカーJ2・徳島ヴォルティスのスペイン語通訳に就任した小澤哲也さんが、人生の大きな転換点を迎えたのは、4年前のことだった。

スペインで味わった選手としての挫折

現在35歳の小澤さんは“日本のサッカー王国”とも呼ばれる静岡県の出身。選手として、県内の強豪校の一角になりつつあった藤枝明誠高校に進学した。在学中に全国大会へ出場することはなかったものの、同校は毎年のようにオランダ遠征に赴き、オランダでプレーするOBも輩出するなど、当時から欧州を強く意識する環境に身を置いていた。チームの主将としてプレーした小澤さんは国体の静岡県選抜にも選出され、Jリーグのクラブからの練習参加や、大学のスポーツ推薦の話も複数件あったほどだ。

そんな小澤さんが高校卒業後の進路として選択したのは、スペインだった。

「チャレンジ精神が強い自分は日本でプレーする意思がなく、よりレベルの高い欧州でプロを目指していました。その決断には、今でも全く後悔はありません」

卒業式の翌日には渡欧。中学時代に所属した城内FCの指導者の紹介により、ポルトガルとの国境に近い、スペイン北西のガリシア州ラ・コルーニャにある5部相当の地域リーグのクラブに所属。同州の強豪デポルティーボ・ラ・コルーニャの本拠地リアソールにもよく足を運び、本場のレベルを体全体で感じた。

トレーニング以外の時間は、専ら独学でのスペイン語の取得に充てた。しかし、2年が経過した頃、「プロ水準であるスペイン2部のレベルに到達できる可能性がない」ことを悟り、日本でプレーする意思がない小澤さんは、当時21歳にして、選手としての引退も決断した。

失意のまま帰国した小澤さんは、病院の人事を担当する総務職に就き、意図的にサッカーからは距離を置いた。日本代表の試合もJリーグも全く観なかった。

それでも、結婚して子どもも産まれた頃、ファンとしてサッカーを楽しむことができるようになってきた。直後には地元の小学生チームを指導する機会にも恵まれた。

「自分はサッカー以外に何も興味がありませんでした。オーダーメイドのスーツを作る仕事や保険の外交員もしましたが、サッカーほどの情熱を注ぎ込むまでには至りませんでした」

日本男子サッカー史上初の女性監督をサポート

転機が訪れたのは2019年の初頭だった。この年から初めて日本のアマチュアサッカー最高峰リーグ「JFL」に昇格してきた「鈴鹿アンリミテッドFC」(現・鈴鹿ポイントゲッターズ)が、日本男子サッカー史上初の、女性監督の就任を発表した。ミラグロス・マルティネス・ドミンゲス、愛称ミラと呼ばれる33歳のスペイン人だった。

2019年から鈴鹿アンリミテッド(現・鈴鹿ポイントゲッターズ)の指揮を執ったミラ監督(右)と小澤さん。(2019年6月)

ネットニュースでそれを知った小澤さんは、記事内でクラブが通訳を募集していることを知り、衝動的に電話をかけた。スペイン語は堪能でも通訳の経験など一切なかったが、練習にテスト参加した際もその情熱をアピールし続け、見事に採用された。

「経験のない自分は最初の数か月、選手たちやクラブに迷惑をかけ続けていました。ミラにも『私のレベルに達しなかったら、通訳を替えてもらうように言うわよ』とも宣告されました。そんな時、当時所属していた日系ブラジル人のエフライン・リンタロウ(現・FC大阪)と藤沢ネットの2選手が、スペイン語に近いポルトガル語が理解できるので、何度も何度も助けてくれました。彼らの心の温かさも十分に感じていた自分は、とにかく勉強し続ける毎日でした」

ミラ監督の就任初年度にJFL得点王を獲得したFWエフライン・リンタロウ選手(左)。写真提供:鈴鹿ポイントゲッターズ(2019年12月)

そんな苦難の時を経て、ミラ監督のサッカーは着実にチームに浸透していった。J1から数えると4部相当のJFLにおいて、鈴鹿はスペイン風のパスサッカーを披露した。相手に対策を講じられて苦戦する時期も迎えたが、ミラ監督は31歳にして欧州最上位の指導者ライセンス「UEFAプロ」を取得した確かな手腕を持っていた。

「試合で出たエラーをチームとして修正する術が常に的確でした。就任1年目にコーチを務めた岡山一成さんが『スペインリーグのベンチを1シーズン経験したようなもの』と表現されたように、お金を払ってもできないことを毎日経験できる環境でした。そして、ミラの笑顔や常にポジティヴな人柄に救われ、家族のような関係にもなれました」

ベンチ入りする小澤さん。ミラ監督は現在、メキシコの女子サッカークラブで指揮を執っている。(2019年12月)

2021年7月、ミラ監督が退任することとなり、2年半に渡って二人三脚で壮大なプロジェクトに取り組んできた小澤さんも、鈴鹿を退団した。

「ミラは鈴鹿を退任後も日本で指揮を執ることを優先してチームを探していました。そして、日本のクラブからも具体的なお話が複数あり、僕はそのコンタクトをとる際の連絡網になっていたんです。残念ながらそのお話は実現しなかったのですが、同時に通訳としての僕へのお話もいただくようになりました」

徳島で迎える今まで以上の大きな挑戦!

2022年6月、小澤さんはJ2のFC琉球の新監督に就任したスペイン人、ナチョ・フェルナンデス氏の通訳に抜擢。前月までスペインの名門バレンシアのヘッドコーチを務めたナチョ監督は、同国1部の中堅ヘタフェや強豪アトレティコ・マドリーなどでコーチ職を歴任し、直近のカタールW杯にも出場した選手も指導して来たビッグネームだった。

ただし、就任時の琉球はシーズンの半分以上を消化した時点で22チーム中の最下位。J2残留圏内の20位とも大きく離されていた中、ナチョ監督は現実的に勝点を積み上げる守備重視の戦術を採用した。終盤まで残留の可能性を残したものの、21位でJ3降格を喫した。

FC琉球時代、ナチョ監督(右)の指示を伝える小澤さん。写真提供:小澤哲也さん(2022年7月)

「本来のナチョさんは“ティキ・タカ”(ボールを止めて蹴る音から命名されたスペイン流のパスサッカー)を理想とするなど、戦術の引き出しが豊富な指導者です。ナチョさんも当初は日本で次の活躍の場を探されていたのですが、欧州へ帰る決断をされたため、僕も同じタイミングでいただいた徳島からのお話を受けることにしました」

こうして小澤さんの新天地は、徳島ヴォルティスに決まった。通訳として就くのは、日本代表MF久保建英選手が所属するレアル・ソシエダで11月まで分析担当をしていた、新監督のベニャート・ラバイン氏。指揮官としての経験は浅いものの、「世界一のクラブ」レアル・マドリーの下部組織でもコーチ職を歴任してきた新進気鋭の35歳だ。

徳島は3代続けてスペイン人が指揮官を務め、監督単位ではないクラブとしての確固たるサッカーが定着している。

「徳島には攻撃的なスペインサッカーが根付いていて、ソシエダとの提携も発表されました。ベニ監督とはオフの期間も毎日のようにミーティングをしています。今までの徳島のサッカーを踏襲しつつ、現状で足りない部分を進化させる形になるでしょう。サポーターの方々にも楽しみにしていてもらいたいですね」

徳島はJ1昇格経験が2度あり、現実的に昇格を狙えるクラブだ。小澤さんにとっても、これまで以上の大きな挑戦となる。

「一時期、心が死んでいた僕の人生は劇的に変わりました。ミラやナチョさん、鈴鹿や琉球、関わってきた選手たちへ恩返しをするためにも、今まで学んで来たことを生かし、最大限の努力をとおして頑張ります」

徳島ヴォルティスは1月9日から新体制として動き始める。ベニ監督とともに、小澤さんの新たな幕が上がろうとしている。

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