度重なる症状の再発、救いになった1本の電話

高校に入学したハルさんは、学校生活やアルバイトを行い、楽しい日々を過ごしていた。しかし、高校2年生で起立性調節障害の症状がまたしても再発。心にも大きく影響を及ぼした。

「高校2年生が人生で1番つらかったです。中学のときと同じで、『もう治ったやろ』と思っていたんですね。でも、やっぱり体調が沈んでしまいました。高校1年で楽しい時間を過ごしたからこそ、『また、しんどい生活に戻るのか』と絶望してしまって。本当につらくて、ほとんど記憶が残っていません。生きているのが嫌で、毎日泣いていました。自傷行為もして、自殺未遂までいきましたね」

心身ともにどん底に落ち込んだハルさん。学校に行けなくなり、全日制から通信制の高校に編入するも、ほとんど通えずに3年生で退学した。

それでも、この時期に救いになる出来事があった。1本の電話がハルさんの元に届いたのだ。

「大分におじが住んでいるんですが、電話をかけてくれたんですね。『そっちに行ってもいい?』と聞いたら、『おいで』と言ってもらえて。『誰も私を知らない場所でやりなおしたい』と思ったんです。両親に対する罪悪感がストレスになっていたので、大分ではすごく解放された気持ちになって、メンタルが回復しました。小学生と保育園のいとこもいて、一緒に話したり遊んだりもしました。心がほぐれていきましたね。元気がでたときに、『大学に行きたい』と思うようになって。大阪に戻ることができました」

大分に住んでいた4か月間を経て、回復したハルさん。無事に高卒認定を取得し、大学への進学に成功した。

「一人一人が前向きになれるように」理解を広めるための団体を設立

講演会の様子

大学に進学したハルさんは、3年間を順調に過ごした。しかし、就職活動にさしかかり、再び体調を崩すことになる。

「体調が悪くなって、またメンタルもやられてしまいました。人と話したり、人と関わったり、世界に出ること自体に恐怖が出てきました。動悸や冷や汗が止まらなくなり、呼吸ができなり、コンビニにも行けない状態になってしまったんです。『また来るか』と落ち込みました。大学にも通えなくなったので、就職を後回しにして、体調を戻すのに専念するしかありません。起立性調節障害の浮き沈みは、本当につらいです」

3度目の大きな波に呑まれたハルさん。その後、体調が回復して、なんとか大学を卒業できた。そして、『何ができるか』と考えた時に、起立性調節障害で苦しむ人の助けになりたいと思うようになった。

そして、現在は、「BreakThrough」という団体を立ち上げ、起立性調節障害について、YouTubeでの配信や講演活動、相談会、学校に向けた研修会などを開催している。

「今後は、学校の現場で困っている人に直接寄り添っていければと思います。私自身、先生たちに寄り添ってもらえて気持ちが楽になりました。わかってくれる人が1人でもいるって、心強いんですよね。一人一人が前向きになれることに携わっていけたらと思います」

「しんどいと言えない起立調節障害がある学生は多いです。苦しんでいる人たちに、『しんどい、つらい、助けては口に出していいんだよ』と伝えていきたいです」

ハルさんは、今日も起立調節障害と闘っている。

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