精神疾患を抱えながら、闘病体験をヒントに現代アートに取り組むアーティストがいる。東京都在住の中谷優希さんは、パートナーから日常生活のケアを受けながら作品を発表している。香川県丸亀市の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の公募展「ミモカアイ」では、ケアを題材にした作品「シロクマの修復師」が準大賞に選ばれた。「ケアする人にもケアが必要」というメッセージを発信する中谷さんを取材した。

始まりは「シロクマみたい」の一言

中谷さんの受賞作「シロクマの修復師」は、絵と映像で構成されている

切り刻まれたシロクマの毛皮が壁面に貼り付けられ、モニターから不思議な映像が流れる。登場人物は、シロクマの被り物をした中谷さん。呪文のような言葉を唱えながら、室内を行ったり来たり。ミモカアイで準大賞に選ばれた「シロクマの修復師」は、絵画と54分の長編映像を組み合わせた作品だ。

動物園で檻の中を歩き回るシロクマを見ていた時に、家族からユーモアまじりに「あら、あんたみたいだね」という言葉をかけられて、インスピレーションを得た。調べてみると、シロクマの動きは常同行動と呼ばれることがわかった。対人関係に端を発したトラウマを抱える中谷さんは、シロクマに自分を重ねた。

「いまは健康な頃と同じように、一人で出かけたりできています」という中谷さん。症状がひどかった3年ほど前は、近所のスーパーに買い物に行くこともできなかった。誰かと会おうにも、フラッシュバックを引き起こすきっかけがどこに転がっているかわからない。パートナーの杉浦一基さんが、様子を見ながら同伴したり、友達と一緒に行動したりして発作的な症状が起きるのを抑制した。

「シロクマの修復師」の映像では、シロクマに扮した中谷さんがパフォーマンスする(提供)

3年ほどの闘病生活の過程で、中谷さんと杉浦さんは少しずつ精神疾患との付き合い方を習得していった。それは「シロクマの修復師」の映像でも表現されており、0番から12番までの短いメッセージが中谷さんによって朗読される。淡々とシロクマに扮した中谷さんが歩き回る動作に合わせ、2人が学んだことや分かち合ったことがメッセージとして発信される趣向だ。

例えば、5番目の「わたしたちは、これが症状であり、これは自分の人となりではないと、このふたつを理性的に分けることを行った」というフレーズは、こんな風に生まれた。

普段は穏やかな杉浦さんも、発症のため怒りをぶつけて部屋で暴れる中谷さんのケアが辛かった時期があるという。なぜ怒りが湧き上がるのか理解しようと苦心した。専門書を読んだりカウンセラーの助言を受けて、「症状と中谷さんの性格は別のもの」と考えられるようになったという。

10番目の「ケアには双方に暴力が伴うことを自覚し」というフレーズは、ケアする人がケアされる人を支配する構図になりがちであると警告する。そのため、杉浦さんは「ケアしすぎない」ことを心がけるようになった。小さな失敗は見守るように努めているという。

ケアが長引くと、杉浦さんの方が疲弊した。「もうダメ」と床に両腕をついてうなだれたことも。そんな時、中谷さんは普段受けているケアを返してみた。水を出してあげたり、外気を入れるために窓を開けたり、「大丈夫?」と声をかけたり。小さなケアのお返しが、2人の関係を対等に近づけた。中谷さんにとって、ケアをお返しする行為自体がケアになったという。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開かれたトークイベントには、中谷さんとケアをするパートナーの杉浦さんが登壇(右の2人)。中谷さんは「2人で登壇することでケアを示そうと思いました」と語る。

「ケアする人にもケアが必要」。中谷さんは、そんなメッセージを導き出した。すると杉浦さんは、大好物のドーナッツを「買ってきて」と頼んだりできるようになった。2人の間で、小さなケアが行ったり来たり。少しずつ中谷さんは回復していった。

「楽しい気持ちが戻ってきた」

2022年に制作した「シロクマの修復師」は、中谷さんにとって「作っていて楽しい気持ちが戻ってきた」作品だという。「他者の視線や評価が気になって、苦しかった時期が長かったんです。批判されない作品にするように、あらかじめ作品を武装していたと思います。でも、精神疾患の症状が良くなってからは、人がどう思うか気にならないようになりました」

トラウマの原因になった出来事や日々の辛い気持ちを聞いてくれる杉浦さんや家族の存在が、中谷さんの怒りの感情を吸収してくれたという。作品に怒りは表現されておらず、むしろ優しさが感じられると評価されている。

中谷さんは「星野源さんの『ギャグ』という曲に、『ギャグの隙間に本当のことを祈るように隠して』というフレーズがあるのですが、そんな表現を目指しました。重かったり辛かったりするテーマだから、ユーモアを入れるようにしているんです」と話した。

「楽しく作った作品で受賞できたことは嬉しい。美術やアートは、『健康ではない人』にも開かれていることを示せたと思います」

中谷さん(左)と杉浦さんは、2人で対話しながら考えをまとめている

作品のクレジットには、杉浦さんが「伴走」という役割で紹介されている。これまでの美術作品にはなかった新しい役割を中谷さんと杉浦さんが作り出した。同美術館の学芸員、鴻知佳子さんは「ケアが必要な対象者は社会に大勢いますが、普遍性のあるメッセージがまとまった作品。伴走として杉浦さんのサポートを記録したところも新しいと思います」と話す。

「シロクマの修復師」は、「ミモカアイ」展で2月26日まで他の受賞作品と共に展示されている。

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