プチプチとした食感とほのかな磯の香りが魅力の海ぶどう。沖縄の特産品として有名ですが、東南アジアなどの亜熱帯地方でも収穫されています。沖縄の南西部、日本から近く馴染みが深い台湾も、そんな亜熱帯地方の島々の一つです。
与那国島から西へわずか100km、地理も気候も沖縄ととても良く似た台湾ですが、実は海ぶどうはあまり知られていない存在なのだそう。そんな海ぶどうを台湾・台東県の名産にしたいと心血を注ぐ、1人の台湾人男性がいます。

「日本人との出会い」で海ぶどう養殖へ

台湾南東部の台東県にある成功鎮は、日本統治時代に整備された漁港が残る港町。そこに暮らす陳韋辰さんは、海ぶどうの養殖を手掛けています。

台東、成功鎮の街並み(写真:五味稚子)

養殖を始めてから、成功に至るには様々な転機や苦労があったとか。そこには、切っても切れない日本との縁がありました。

20代になって間もなく、両親を続けて亡くした陳さん。台湾成人男性の義務である2年間の兵役期間を終えるとすぐ、家業であるトコブシの養殖と伊勢海老の卸業を継ぐことになります。迷いなく決断したのは、それが「亡き父との約束」だったからです。

しかし、両親を亡くし相談できる人もおらず、たった一人で養殖に明け暮れる日々は、若い陳さんには辛いものでした。同世代の友人は若い人生を謳歌している中で、「自分の人生は成功鎮だけで終わってしまうのか」と自問し、次第に外の世界に思いを馳せるようになったといいます。

そんな時、幼馴染を通して知り合ったのが日本人の友人です。もともとドラマや歌などで日本が好きだった陳さんですが、まったく会話ができずもどかしい気持ちに。外国語を学びたいと考えていたこともあり、日本へ留学することを決意します。

一年半の日本留学を終えて、台湾に戻った陳さんでしたが、2008年夏、トコブシがウイルス感染で全滅し、危機に直面します。他に何か養殖できないか考えていた時、「海ぶどうを養殖してみては?」と持ちかけたのは、沖縄からやってきたひとりの日本人観光客でした。

海ぶどうの生態をまだよく知らなかった陳さんは、資料をかき集めて猛勉強します。そして、栄養価が高く、美容や健康にも良いとされる海ぶどうにどんどん魅了されていきました。

その後2009年2月には海ぶどう養殖のため沖縄に研修へ。数日の短い滞在でしたが、得るものはたくさんあったといいます。ここで陳さんの第二の養殖人生が幕を開けたのです。

陳韋辰さん(写真:五味稚子)

肥料無添加で自然に近い形に

海ぶどうの養殖に重要な条件は、日差し・気温・きれいな海・海水の栄養分。沖縄と台東の環境は基本的には似ているのですが、台東では秋冬になると日差しや水温が不足し、生育が悪くなってしまいます。そのため、養殖開始から3〜4年間は、台東の気候に合わせて養殖方法の改良を重ね続けました。

そんな苦労の中でも陳さんは、「何より、生産者の愛情が大切」と、心を込めて海ぶどうを育てていきました。子育てをするような気持ちで、丹精込めて育てた海ぶどう。消費者から「美味しい」という反応が聞けた時の喜びはひとしおです。

丹精込めて育てた海ぶどう

また、海ぶどうの養殖では施肥を行うのが一般的ですが、陳さんの海ぶどうは施肥をせず無添加。できるだけ自然に近い形で育てています。「新鮮な海ぶどうと台東のきれいな海の水を丁寧にお客様の元へ届けたいから」という理由で、現状受注は直接注文のみだそう。

台湾の海ぶどう=成功鎮へ

成功鎮は、カジキやシイラが有名で、新鮮な魚を食べることができる場所です。そこに暮らす陳さんの、海ぶどうのおすすめの食べ方は、刺身と一緒に食べること。刺身の脂と海ぶどうのぷちぷちとした食感が合わさると、それぞれのおいしさを何倍にも引き出すのだとか。

おすすめの食べ方③ 新鮮な海鮮との相性はバツグン

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故郷・成功鎮を深く愛する陳さんは、たくさんの人に「台湾の海ぶどう=成功鎮」と思ってもらいたい、と考えているそう。「海ぶどうを通して、台湾の小さな漁村・成功鎮が世界中に名を知られる存在となるように」と、夢を語ってくれました。

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