白鳥雄介さんは、鈴井貴之さんや大泉洋さんらが所属する北海道の芸能事務所で俳優としてデビュー。数年所属の後に事務所を退所し、上京。現在は「笑ゥせぇるすまん」THE STAGE、舞台「アクダマドライブ」などの脚本を手がけるほか、俳優、舞台ユニット主宰などさまざまな活動を行っている。
そんな白鳥さんだが、高校時代は同級生とお笑い芸人を志していたという。一体どうやって現在のポジションにたどり着いたのだろうか。

「区切り」のつもりで受けたオーディション

白鳥さんがお笑いコンビを組んだのは中学の同級生。当時は、何度目かのお笑いブームの真っ最中だった。高校2年生の時には「M-1甲子園」(現:ハイスクールマンザイ)にも出場し、2年連続決勝大会に進出。しかし、大学1年生の時に相方と疎遠になり、解散。お笑いから離れることになる。

そして時は経ち、白鳥さんは大学4年生。そのころには教師を志していたのだが、心の中には「芸能」に対する心残りがあった。

そんな時に俳優・タレントの鈴井貴之さんのプロジェクト「OOPARTS」のオーディションの話を耳にする。

「区切りをつけるためにオーディションを受けました。中途半端に芸能活動辞めちゃったので、落ちてすっぱり辞めようと思ったんです。……だけど、気が付いたら最終まで残ってしまって、そのあと合宿とワークショップに連れていかれました」

しかしこの時、白鳥さんにとって青天の霹靂ともいえる事態が発生していた。

「オーディションの公募の幅が広かったんで、ローカルタレントになって、夕方のニュース番組のリポーターとかラジオパーソナリティとかやってみたいなって思ってたんです。でも、審査が進むにつれて、これ俳優のオーディションだな!? って気づいたんですよね(笑)」

インタビュー中の白鳥さん

思いがけない展開に飲まれながらも、白鳥さんは「やるからには負けたくない」という思いでワークショップに臨み、合格。鈴井さんが会長兼タレントとして所属し、大泉洋さんらも在籍する事務所に身を置くことになった。

「芸人時代に劇団×お笑い芸人でコントをやるって企画に参加したことがあって、芝居も面白そうだなと思ってたんですよね。なので、そんなに躊躇はなかったです」

師匠「鈴井貴之」の存在

白鳥さんは、事務所所属時代に鈴井さんらと『鈴井貴之 ラジヲの時間』というラジオ番組のパーソナリティをつとめていた。パーソナリティをつとめていたのは2013年4月〜2016年3月までの約3年間だが、その中には奮闘するが故のトラブルもあった。

鈴井さんとのエピソードは数え切れないほどあるそうだ

「マンネリみたいな、型が落ち着いてきちゃった時期があったんですよね。それで、鈴井さんにも打開策を考えるように言われました」

そして「マンネリ打開策」として、白鳥さんはある日の収録で「とにかくどんなことにも嚙みつこう」という策に出たのだが……それが大きなトラブルの原因となってしまった。

「収録中、鈴井さんから『ラジオも足で稼ごうよ、ロケしようよ』という提案があったんです。『俺は水曜どうでしょう(北海道の人気ローカルバラエティ)で世界中回ってるし、全国を深夜バスで回ってるぞ』という話だったんですが……そこで嚙みついた結果、激昂されてしまいました。当然ですよね。水曜どうでしょうは鈴井さんの根幹の1つですから」

その後一旦収録が止まり、白鳥さんはしっかりと鈴井さんのお叱りを受けたそうだ。

「僕が間違ってたんですけど、鈴井さんは“彼は彼なりに頑張ってたんだと思います”って収録で言ってくださったんですよね。ちゃんと見てくださってるんだなって思いました」

鈴井さんには他にも「礼儀とパッション」を教わったという。

また、当時3人体制で放送していたラジオ番組についても「トークの面白さは、3人いるんだから、2対1になる。議論が起こる瞬間を作り出すっていうのは大事だから、そこは神経とがらせなさい」と教わったことを語ってくれた。

「俳優を辞めるつもりはない」

事務所を退所後も俳優として活動していた白鳥さんが、脚本を書き始めたきっかけは何だったのだろうか。

「元々芸人のころにネタ作りをしてて、作って発表するのは好きでした。事務所にいるころに自分で脚本を書きたいなという思いが生まれて、事務所をやめたあとすぐに1本書きました。それが楽しくて、脚本家もいいなと思ったんです」

白鳥さんは、現在では2.5次元舞台などさまざまな舞台の脚本を手がけている。

2019年には舞台ユニット「Stokes/Park」を旗揚げ。その後も白鳥さんが脚本や演出として携わった作品の上演が予定されていた。しかし、昨今のコロナ禍で数々の公演が中止となってしまい、その中で活動範囲を「演劇」のみに絞ることに危機感を感じていた。

「最近は映像関係のお仕事をいただくこともあったので、軸足は演劇に置きつつも、映像で得たことを演劇に還元できたらいいなと思ってます。Stokes/Parkと外部の脚本とか演出のお仕事を密接に組み合わせて、いい仕事に恵まれていたいなっていうのが大きな目標ですね」

脚本家などの活動はしつつも、俳優を辞めるつもりはないそうだ。

「できれば俳優は続けていきたいんですよね。演劇を続けていくからには。新しい仕事を求められながら結果を残し、いろんな方に作品を見てもらい……っていうのを続けていきたいですね」

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