なんとも色鮮やかな蒸しパンの数々。白味噌ジャスミン、抹茶きんとき、きんかんココア、いちごみるくなどなど。1個税込み100円。作っているのは香川県高松市にある日本料理店「味どころ 撰(せん)」の店主、西岡勝己さん。店は高松の繁華街から少し離れた一角にある。若い層から高齢層までファンが多く、夜は6,000円程度から、ランチなら1,000円前後でていねいな和食がいただける。

ふだんの西岡さん。仕込みは出汁を引くところから始まる。

それがなぜ蒸しパンを? 新型コロナの影響で、それまではなかった惣菜のテイクアウトや持ち帰り弁当も手がけるようになり、ただでさえ忙しいはずなのに。なぜ? 昭和のおやつ「蒸しパン」なのか? 

朝9時前後。ランチの仕込みの前に、まず蒸しパンを作る。1回に蒸すのは10個程度で「1日に作れるのは150個が限界」だという。

きっかけは実家で見つけたホットケーキミックス粉

西岡さんは高松沖の女木島(めぎじま)の出身。人口146人(令和3年3月)の小さな島の住民は、今ではその多くが高齢者だ。実家には80歳になる父親がひとりで暮らしている。4年前に母親が他界。以来、西岡さんは父親のために週に数回食料品を船に載せて送り、毎週末、実家に帰って温かい料理を作っている。

西岡勝己さん。会社員時代に割烹でアルバイトを始め、22歳で退職、高松の割烹に就職。その後、京都の料亭で約8年間修行したのち「味どころ 撰」を開業。店を開いて21年目になる。

きっかけは「ホットケーキが焦げたところから始まったんです」と、笑いながら思い返す西岡さん。父親に料理を作るようになったある日。台所の戸棚を開けるとホットケーキミックス粉が出てきたという。「ああ、母親が親父に作っていたんだな」と、袋に書いてあるとおりにホットケーキを作ってみた。

「そしたら、親父がものすごく喜んで食べるんです。そのうち、毎週実家でホットケーキを焼くようになる(笑)。で、あるとき、ちょっと油断してホットケーキを焦がしてしまったんです。で、『だったら蒸す?』となったわけです」

ふだんは魚を焼いたり天ぷらを揚げる厨房で、毎朝蒸し器が湯気をあげるようになった。

そこから先は料理人としての本領発揮。本人いわく「負けず嫌いの性格が出て」どうしたらもっとおいしい蒸しパンになるのか、追求が始まったという。そのころには「ちゃんと作って、親父だけじゃなくてディサービスや施設に入っているお年寄りにも食べてもらいたい」と思うようになっていた。

ただの蒸しパンじゃつまらない

さすがにそこはプロの料理人。ただの蒸しパンじゃ飽き足らない。
「表面が弾けるように割れたほうがおいしそうだ、とか、あれを混ぜたら、これをトッピングしたら……と、いろいろやってみたくなるわけですよ」

できあがったばかりの蒸しパンが、次々に並べられる。

ところが、バリエーションを増やせば増やすほど、壁にぶつかる。何かを混ぜたりトッピングしたりすることによって、膨らみ方が変わったり、同じように表面が割れなかったり。トマトジュースなど酸味のあるものを入れれば生地が酸性に傾き、膨らまない。

そこで活かされたのが、料理人になる前、薬品会社勤務時代の経験値だった。「さすがにpH(ペーハー)計は買いませんでしたが、リトマス試験紙は買いましたよ(笑)。失敗する無駄な時間を繰り返すくらいなら、このほうが予測値で成功に近づける」と。日本中探しても、厨房にリトマス試験紙がある日本料理店はおそらくここだけだろう。

いつもは白の割烹白衣だが、蒸しパンを作るときはやさしいエプロン姿。

子どもじゃなくてお年寄りのおやつ

「ぼくのターゲットは目の前のお年寄りなんです。うちの父もそうですけど、島でひとり暮らしの人、寂しい思いをしている高齢者がいますよね。我々50代はそういう人たちに向き合っていかなきゃいけないと思うんです」

だから、10種類の蒸しパンには「高齢者のための」工夫としかけがたくさんつまっている。
「最初はドライフルーツとナッツが入っている1種類でいいかな、と思ったけど、別のものを作ってみたら、あれもこれもとやってみたくなって」。

たとえば「白味噌ジャスミン」には、生地に白味噌とジャスミン茶、きな粉を混ぜ、トッピングに天津甘栗、甘納豆、そして粉山椒をわずかに振っている。そう、五感を刺激する蒸しパンなのだ。
「うなぎに山椒なら、まぁ当たり前だけど、蒸しパンでこの香りに出会ったら『あれ? 何の香りだっけ?』ってなるでしょ? お年寄りに会話が生まれるんですよね」
今ではSNSや口コミで、近くのデイサービス施設や女木島からも定期的に注文が入るようになったという。

「どれにする?」「これ、何がのってるん?」「カレー味? へー、うまいなぁ」。会話がはずむ、ランチ後の光景。

蒸しパンは予約注文が基本だが、店内ではランチ時に販売しているので昼食後に食べることもできる。イメージは「お年寄りの3時のおやつ」だが、もちろん、若い人や子どもにも人気だ。

「おいしいとか、おいしくないってことよりも、楽しんで笑ってもらえたら……。それが一番うれしいですね」。
日本料理店から生まれた蒸しパンは、高齢者を笑顔にする究極のおやつだった。

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