「最後の晩餐」とはよく聞くフレーズですが、実際に自分が最後に食べたいものを真剣に考えたり家族や身近な人と話したりしたことがある人は、意外と多くはないのではないでしょうか。「若くて健康で元気なうちからそういうことを身近な人と共有してほしい」と話すのは、言語聴覚士の石井晶子さん。これまで18年間、病院で高齢者の嚥下(えんげ=飲み込み)障害のリハビリを担当するなかで、誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)の患者に多く接してきました。

病院に行ってからでは遅い

誤嚥性肺炎とは、食べ物や唾液などを飲み込む際に食道ではなく気管の方に入ってしまい、そこに含まれる細菌が肺の中で増殖し炎症を起こしてしまうこと。高齢になると咀嚼するための筋肉や飲み込む筋肉が落ちて反射も鈍くなるため誤嚥が起こりやすく、また体力や免疫力が弱っていると肺炎を発症するリスクも高まってしまいます。

「高齢で体力も落ちた状態で誤嚥性肺炎になると、ものが食べられなくなってさらに体力が落ちてしまう。それからリハビリをしても、残念ですがすべての人が再び食べられるようになるとは限りません。点滴や胃ろうという治療が選択され、リハビリ期間を終えて自宅や介護施設へと移っていく方をたくさん見てきて、ずっとやるせない気持ちがあったんです」

「目で認知して、歯で噛んで、舌や頬の筋肉を上手に使って飲み込みやすいようにまとめて、飲み込む。“食べる”って、実はとても複雑なことをしてるんですよ」

長年の勤務のなかで石井さんが感じたのは「病院に来てからでは遅い」ということ。誤嚥性肺炎になる前に、自分や家族がその兆候に気付いてケアすることで防げるケースもある、ということでした。「肺炎って、過去には日本人の死因第3位(※)になったこともあるほど多い病気なのに、予防法を知っているとか実践しているという人はほとんどいないですよね。もっとみんなが正しい知識を持っていたら、最後までちゃんと自分の好きなものを食べて、その人らしい人生を送れる人が増えると思うんです」
※2016年厚生労働省人口動態統計

「肺炎になって入院してはじめてそこで嚥下について教えられても、高齢だと理解するのも難しいし、そこから食生活を変えるのも難しいんです」

人生の終末期をその人らしく

「健康なうちは、食べられるのが当たり前かもしれません。でももしかしたらこの先、食べられなくなったり食べにくくなる日が来るかもしれない。そのときに『これだけは好きだから食べたい』というものを周りの人も知っておいてほしいなと思うんです」

病院勤務時代の石井さん

病院のリハビリに通う患者さんが自分の意思をうまく伝えられない場合、石井さんは患者さんの家族に本人の好きな食べ物を聞いていました。ところが「とくに何が好きとか聞いたことがない」、「何でも文句を言わずに食べていたからわからない」という答えが多かったと言います。

「家族や身近な人と、ぜひそういう話をしてほしいと思います。まだアハハと笑って冗談で済ませられる、若くて健康なうちに。好きな食べ物の話だけでなく、自分が何を大切にしているか、どんなことをしたいか、逆にしたくないか。そういう価値観を誰かに伝えておくことが、いざ人生の終末期を迎えたときに、その人らしくいられるかどうかに関わってくると思うんです」

誤嚥性肺炎になる人を少しでも減らしたい

誤嚥性肺炎は、咀嚼したり飲み込んだりする力が弱くなったり、体力や免疫力が落ちることでなりやすい病気です。その兆候としては、食事のときにむせる、食べるものが変化する(厚切り肉が好きだったのに薄切りを食べるようになったなど)など些細なこと。その些細な兆候に気付いてきちんと対処することが大切だと石井さんは言います。

「ちゃんと噛むために健康な歯を保つこと、顎や喉の筋肉が落ちないようにすること。間違って気管に入ってしまっても、筋肉があればゴホンとやって吐き出せます。それと、口のなかをきれいにしておくだけでも、肺炎のリスクは軽減されるんです」

親指とあごでグッと押し合うようにするだけでも、喉の筋肉が鍛えられるそう

誤嚥性肺炎になって病院に行くことになる前に、誤嚥に対する知識を持って、みんなが自分で気を付けられるようになってほしい。そう考えた石井さんは、2022年秋、長年勤めた病院を辞めて起業。今後は嚥下や人生の終末期をどう迎えるかということについての講演を中心に活動していく予定です。

「自分が起業するなんて、1年前には夢にも思っていませんでした。病院に勤務しながらでも自分にできることはないかと思って本を読んだりして調べるうちに、香川県がやっているビジネスコンペやビジネス関連の講座を知り、ちょっとやってみようかくらいの気持ちで応募したり受講したりして。そうしたら少しずつ周りの環境が変わっていって、瀬戸内チャレンジャーアワード2022に出たら準グランプリをいただいて。いろいろ経験するうちに、やっぱり病院で働きながらではなくちゃんとこれに専念してやっていきたいと思うようになって、退職を決意しました」

瀬戸内チャレンジャーアワード2022で準グランプリを獲得(写真提供:Setouchi-i-Base)

石井さんが立ち上げた会社の名前は「えんで」。人生の結び(END)をより良い(e)ものにする活動を、ということで「ENDe」という名前に。ロゴにスプーンの絵が描かれていますが、現在、飲み込み練習用のスープも作っているそうです。

「“えんで”としての活動はまだまだこれから。個人向けの講演だけでなく、ケアマネージャーや介護士さんなど高齢者と身近に接している人たちに対しても私の専門知識を役立ててもらうための講習をしたいし、逆に私も現場の人たちからいろんな意見を聞きたい。それらを少しずつ積み重ねながら、“えんで”がめざす形を模索していきたいです」

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