「周りの人にたくさん支えられ、ここまで生きてこられました」
そう語るのは、FtMのトランスジェンダーの岡田祐哉さん。FtMとは「Female to Male」の頭文字を取ったもので、女性の性を割り当てられて生まれながらも、男性として生きることを望む人を指す。そんな岡田さんに、自らの性との向き合い方を見つけるまでの悩みや葛藤について話を聞いた。

名前を呼ばれるたびに苦しかった

「小さいときから、女子より男子といるほうが『一緒』って感じがしていました。でも女子のカテゴリーに入れられてしまう自分に、いつも違和感がありましたね」

岡田さんは幼い頃に通った教会で、神様がアダムとイブ(男と女)をつくったと聖書から知る。「神様は完璧なものしかつくらないはず」と岡田さんは考えたが、女性の自分が完璧とは思えなかった。

「『自分は神様の失敗作なんだ』と、罪の意識がずっと大きかったですね」

朝起きたら男性になっていることを何度も願ったが、叶わない。「僕は女の子だ」と考えようとしても実感は湧かない。名前を呼ばれるたびに、「あぁ、僕は女の子なんだ」と女性として生きる苦しさを感じ続け、岡田さんは10歳で自殺も考える。しかしどうすることもできず、たどり着いたのは自分を「女の子にさせる実験」だった。

「女性として大人になった20歳の自分に、そこからどう生きていくか判断してもらおうと思ったんです」

生きる希望をくれた友人

それまでボーイッシュな見た目だった岡田さんは、実験を始めてから髪を伸ばし、一気に女性らしい装いに切り替えた。「突然の変化に親も戸惑っていましたね」と、岡田さんは笑いながら語る。

「中学生のとき、母親とテレビを見ていたら、性同一性障害の特集番組をやっていたことがあったんです。後ろから母親に『あんたは違うよね』と聞かれて、『うん』しか答えられませんでした。母親の顔を見れなかったですね」

その後、岡田さんは19歳で男性と付き合ってみるも、やはり女性として恋愛はできないとわかったそう。「女の子にさせる実験」は、成功しなかった。中身が男性とわかっていながら、女性に見られる努力をしてきたのは自分。しかし女性のまま生きていくことはもう辛い。女性として認識される世界から、自分はいなくなったほうがいいだろうかと、岡田さんは悩みつづけた。そんな岡田さんを救ってくれたのは友人たちの存在だった。

「エイリアンを描くことにハマっていたときがあって、気づいたら自分が『エイリアン』って呼ばれるまでになっていたんです。性別を感じない呼び名だったから、そう呼んでくれる友人といるときは性別を意識しないでいられたんですよね」

また、ある友人と教会で讃美歌を歌っていたときのこと。「その歌声の美しさに、感動のあまり泣いてしまって。『この世にある美しいものを、まだ見たり聞いたりしたい。生きていたい』と思いましたね」友人たちから生きる希望をもらった岡田さんは、自分が男性であると打ち明けることを決める。

「乗り越える」ではなく「乗りこなす」

岡田さんは、友人から家族にまでカミングアウトをしていった。みな、岡田さんの思いを温かく受け入れてくれたという。カミングアウト後、岡田さんに初めての彼女もできる。もちろん岡田さんのトランスジェンダーを受け入れてくれた彼女で、岡田さんにとっての自信につながった。

しかし、男性と見られていながら、自分が女性であると伝えなければいけない場面もあった。

「男性ではなく女性とわかった瞬間に、仕事をクビにされたことがありました。『男性』を証明できるものを持っていないという理由でした。『ちゃんとしてから来てください』と言われましたね」

岡田さんは29歳で、性同一性障害の診断を受ける。その診断書によって正式に「祐哉」と改名し、今では男性として堂々と生活できるようになった。

「どうしてこんな風に生まれたんだろうって、これまで何度も考えました。周りは僕が納得できるようにいろいろな言葉を掛けてくれたけれど、どれも納得できなかったんです。いくら望んでも、男性の体が手に入らないことはわかっています。でも、自分が幸せを感じられるものをたくさん見つけて生きていこうって考えるようになりました」

岡田さんは、自分らしく働きたいと庭師を志した。今後はさらなるスキルアップを目指し京都で修行を積んでいくそうだ。

「僕の性同一性障害は消えない。でもその事実を抱えながら、幸せに生きる方法は見つけました。消えない事実を『乗り越える』って難しいし、しんどいから『乗りこなす』でいいんだって今は思っています」

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