「書道家シンガーソングライター」として活動する新進気鋭のアーティスト、Tomochika890(友近やっくん)。友近さんは歌を歌いながら、床にある大きな紙に全身で書を書く書道パフォーマンスで観客を盛り上げる。
現在、全国の福祉施設での「笑顔届ける施設ライブ」や、学校での講演会など幅広く活動する友近さんに、この活動を続ける理由や、書道家シンガーソングライターとなった経緯を聞いた。

音楽がそばにあった

友近さんが音楽を好きになったのは中学生のとき。中学3年間、J-POPに熱中。「オリコンランキングトップ10のCDをレンタルしてカセットにダビング」という流れを、3年間毎週続けた。

高校生になると音楽ではなく、テニスに没頭する。高校3年生で母親をガンで亡くすと、いつも応援してくれた母のためにと、地元愛媛の県大会で優勝を飾った。

大学でもテニスを続けていたが、その頃メジャーデビューした「ゆず」に影響を受け、音楽にも再び興味が湧く。友近さんは学園祭のステージで歌ったり、路上ライブにも挑戦したりなど、大学時代はテニスにも音楽にも夢中になった。

IT企業から音楽の道へ

大学卒業後、友近さんは東京のパソコンスクールに就職するも、入社半年でパソコンスクールが閉鎖。退職を余儀なくされた。

音楽の道に挑戦してみようと考えた友近さんは、数社の音楽事務所のオーディションを受ける。合格通知は来たが、高額なレッスン費に一歩が踏み出せず音楽の道を諦めた。

その後友近さんはITベンチャーの会社に転職し、忙しい日々を送っていく。

「はじめの数年は順調でしたが、別の部署に異動後は仕事がうまくいかなくて。プライベートの悩みもあって、ひたすらメンタルが落ちていきましたね」

そんなとき偶然見たテレビで、馬場俊英(ばばとしひで)さんの「スタートライン」が流れた。それを聴いた友近さんは号泣。しかしその後スッキリして、心が前向きになったという。

「当時の僕が共感できる歌でしたね。本当に心を打たれました。元気を与えられる音楽ってすごいなと思いましたよ」

また音楽をやりたいと考えた友近さんは、押し入れからギターを出し毎日少しでも音楽に触れるように。すると音楽が支えとなったのか、仕事に再び勢いが戻る。友近さんが担当した仕事が売り上げを伸ばし、社内で表彰を受けるまでに。

仕事で成果を納めた友近さんは、音楽に向かう決心がつく。29歳で会社を退職した友近さんは、ついに音楽の道のスタートラインに立った。

書道家シンガーソングライターの誕生

友近さんは脱サラ後なんと1ヶ月で初めてのCDをリリース。サラリーマンの経験を生かし、自身のCDデビューの企画書を、音楽事務所に持ち込んだことがきっかけだった。

地元愛媛のテレビ局に特集されるなど、友近さんの音楽活動は徐々に知られるようになる。ところが大好きな音楽をやっているのに、自分の思いが伝わり切らないと感じていた。

「父に相談してみたら、『歌と一緒に書道をやってみたらどうだ?』と言われたんですよ」

50年以上書道家として活動する父からの、驚くべき一言だった。試しにイベントで歌を流しながら書を書いてみると、今までよりお客さんの反応がよかった。

うれしさはあったものの、その様子が取り上げられた記事には「歌える書道家」の文字。

「歌をメインにしたい思いが強かったんです。それならまず歌うことが大切で、書道をパフォーマンスにしていこうと考えました」

実際にやってみると、「これだ」という手応えを感じたそう。友近さんが歌いながら書き上げる書は、歌詞に合わせて道から夢などに字が変化する。耳と目、両方から楽しめる面白さが好評だ。

笑顔届ける施設ライブ

やっと自分らしいやり方が見えてきたところで、東日本大震災が起こる。震災から3か月後、友近さんは気仙沼に向かい避難所で歌を届けた。

「被災者の方が『歌を届けてくれてありがとう』と言ってくださって、うれしかったですね。それがきっかけで、自分から歌を届けに行くようになりました」

「試しに自分で運転をして、日本中の福祉施設を回りながら歌を届けました。訪問先の方々が笑顔で喜んでくださって。「これをやっていきたい!」と心の底から思いましたね」

1年かけて日本一周しながら、全都道府県の福祉施設に歌を届ける「笑顔届ける施設ライブ」は、すでに日本8周目を終えている。新型コロナの影響があったものの、2021年はオンラインで日本一周を達成した。

「『笑顔届ける施設ライブ』は日本10周が目標です。あとはフランスのジャパンエキスポで、僕の歌と書道パフォーマンスを披露することが夢ですね」

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