四国4県に点在する弘法大師空海ゆかりの寺、四国八十八ヶ所霊場。その寺を巡拝する四国遍路は有名ですが、香川県小豆島には小豆島独自の八十八ヶ所霊場があります。そんな小豆島で、卒業シーズンに行われているのが卒業遍路です。卒業遍路とは、その年に島の中学または高校を卒業する子どもたちと一緒に、小豆島八十八ヶ所霊場のうちのいくつかの寺を歩いて参拝するもの。2015年から始まりました。最初は数人の参加だったものが、コロナ前は多い時で40人近くの参加があったといいます。

「先輩から参加してよかったと聞いた」「友人に誘われた」など、卒業遍路に参加する理由はさまざまです。

3月16日に行われた2022年の卒業遍路。同じ中学からの参加者が多くクラス会のように和気あいあいとした雰囲気で始まりました。険しい山道になると口数も少なくなっていく中で、「がんばれ」「もうちょっと」とお互い声をかけながら一歩一歩進んでいきます。

お遍路の作法やお経の唱え方もはじめて教わる子どもたちばかり。

植松さんと島本さんは、それぞれ親に勧められて参加しました。ふたりとも普段から登山やアウトドアが好きな親と一緒に山に登っているそうですが、卒業遍路の感想を聞くと「普段の山登りとは全然違う、こんなにキツいとは思わなかった」とのこと。整備された登山道とは違い、歩きにくい場所も多い小豆島の山岳霊場。白装束を着て杖を持って、いつもと違う場所を歩いたことで、知らなかった島の一面を見ることができたのではないでしょうか。

小豆島八十八ヶ所霊場と歩き遍路

卒業遍路の主催者である大林慈空さんは話します。

小豆島霊場第2番札所 碁石山の堂守、大林慈空さん。

「多くの高校生が大学進学を機に島を出ます。また、高校から島外の学校に通う子どももいます。彼らが島を離れる前に、ふるさとに息づくお遍路という文化を体験してもらいたい。そして島外に出たとき、自分のふるさとである小豆島はこんな場所なのだと、自分自身の言葉で伝えらえるようになってほしいという思いから卒業遍路を始めました」

繰り返し聞いた「島には何もない」という言葉

大林さんは大阪出身。30歳までは会社員として働いていましたが、祖父の寺を継ぐため2009年に小豆島へと移りました。それから自らの足で小豆島八十八ヶ所霊場を歩いたことで、歩き遍路でしかわからない島の魅力や課題に気づいたと言います。

歩き遍路でしか見られない景色があります。

「小豆島って、“島”とひと言で言っても南側と北側でまったく景色が違うし、集落や田畑の風景も地域ごとに違うんです。でも、島で生まれ育った子どもでも自分たちの住む地域以外のことは意外と知らない。島の人はお年寄りも子どももよく『島には何にもない』と言いますが、私は本当にそうなのかなって思うんです」

大林さんは学生時代、小豆島出身の友人が「島には何にもない」と話すのを聞いていました。また、小豆島に移住してからも「こんな何もないところによく来たな」と言われたそう。なかには「島には何もないから島を出た自分の子どもにも『帰ってこなくていい』と言っている」と話す人も。

山から下りて視界が開けると、迎えてくれるのは穏やかな瀬戸内海。

「何もない何もないと言われて育つと、子どもたちも『ああ、島って何もないんだな』と思いますよね。そして、大きくなって島の外に出たときに『僕のふるさとって何にもないんだよ』と話し、“何もない島”に戻るという選択肢がなくなる。この仕組みを何とか変えたいと思ったんです」

大林さんは言います。「卒業遍路は、お参りさせてもらう札所のお寺をはじめたくさんの人の協力で実施しています。事前の下見やお供えの花の準備、当日の救護や伴走スタッフなどにも力を借りています。小さな活動ですが、細々とでも続けていくことが大切だと思っています」

病気や高齢などを理由に参拝できない人に代わってお参りすることを“代参”と言います。卒業遍路では代参として、高齢者施設の利用者が作った折り紙の蓮の花をお供えしています。

コロナ以降、島外からのお遍路さんが減って遍路道が荒れていましたが、今回卒業遍路で歩く道は事前に小豆島霊場会によって清掃・整備されました。

島で生まれ育ったからこそ持っている“何もない島”というイメージ。それを少しでも払拭し、“ふるさとへの誇り”に変えていくために、これからも卒業遍路は続いていきます。

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