「堤中納言物語の『虫めづる姫君』よ」
倉敷市で幼稚園の園長をしていた貝原千恵子さんは、平安時代の物語に登場する虫好きの姫君に、自身を重ねて笑います。定年退職後、身近に生息する蝶や蛾などの昆虫や植物に親しみ、独自の目線で自然を楽しんでいます。

昆虫や自然を観察することから気づく、虫の世界の奥深さや生きものの知恵について、貝原さんに話を聞きました。

虫遊びに明け暮れた幼少期

戦前生まれの貝原さん。幼少期はアリやトンボなど生き物が遊び相手だったといいます。

「砂糖や塩、虫の死骸を並べて、毎日アリが一番好きな食べ物を調べる実験をしていました。シマミミズでフナを釣ったり、カエルを捕まえたり」。

朝から晩までイグサ織りの家業で忙しかった両親は、良い意味で放任主義だったと振り返ります。

ミックスのペペちゃんが貝原さんの相棒

「夕方になると空一面にアカトンボが飛び、夜になったら、わずかな灯りをたよりに集まる虫を捕まえていました。蚕がほしくて、ねだって飼ったこともあります」と、貝原さんは虫と遊んだ原風景を話します。誰かに教えられたわけでもなく、一人遊びの中から、おのずと虫への探究心を育んでいきました。

幼稚園の園長時代には、「虫の研究しようや」と誘いに来る子どもたちと一緒になって遊びました。調べても分からない虫が見つかると、博物館に持ち込み、分かるまで徹底的に調べ、身近な昆虫を観察する楽しさを伝えてきました。

畑のブロッコリーにいた幼虫の名前を専門書で調べる貝原さん。「わかるまで調べたい」とさまざまな特徴から名前を見つける作業に集中

自宅にやってくるさまざまな虫たち

貝原さんの自宅を訪ねると、変わった植物が育てられています。自宅裏の斜面に広がるのはウマノスズクサという、つる性の多年草。ジャコウアゲハの幼虫が食べるといいます。

「毒があるから他の虫は食べないけれど、ジャコウアゲハの幼虫は好んで食べます。毒を体内に取り入れて、外敵から身を守っているのでしょう」と貝原さんは話します。5月から11月初め頃まで、産卵のために成虫が優雅に飛んでいたといいます。

成虫は、天敵から隠すように葉の裏側に卵を産み付けます。ジャコウアゲハの成虫が卵を産む様子をじっくりと観察することができたそう

また畑には、山で見かけるアケビの木が。
「アケビの葉はアケビコノハという変わった形の蛾の幼虫が食べます。今年は3匹幼虫を見かけたけれど、体に金色の目玉模様があってビックリしますよ。こんな小さな木でも、どこからかやってくるのが不思議ですよね」

このアケビは、山にフィールドワークに出掛けた際、見つけた狸の糞から発芽していたというから驚き。「狸は何を食べているのだろう」という好奇心から、発芽していた小さな芽を持ち帰ったといいます。

「アケビのほかには赤い実をつけるヤマボウシも発芽しましたね。アケビといいヤマボウシといい、狸はグルメなんですね」

タヌキの糞から発芽していたアケビ。アケビコノハがどこからか飛んで来て産卵していくそう

ほかにも、秋の七草であるフジバカマを育てていて、「鬼滅の刃」にも登場した海を渡る蝶、アサギマダラが羽を休める姿も見られたそうです。

虫たちは尊敬に値する

「幼虫が特に好きです。蛾の一種であるキイロスズメの幼虫なんか、コロコロしていてかわいい」

食草といって、ナミアゲハはミカン科、アケビコノハはアケビ、と幼虫はそれぞれ食べる植物が異なります。成虫になると花の蜜を吸うため植物の葉は食べませんが、子孫を残すため、産卵するべき場所を本能で探り当てるといいます。

「人間は何十年も子育てをしますが、蝶や蛾の親はちゃんと子どもが困らないように卵を産んでいます。あとはちゃんと勝手に育ちます。虫たちは尊敬に値しますよ」と貝原さんは話します。

幼虫の糞から染色の実験も

貝原さんは、幼虫の糞を使った染め物にも挑戦しています。伊丹市昆虫館の糞染めを特集したテレビ番組に触発され、手紙を書いて昆虫館まで見学に行きました。そしてスタッフから直接糞染めの手順を解説してもらい、約7か月間かけてひとりで糞染めを行いました。糞は蚕をはじめ、オオスカシバ、キイロスズメ、アケビコノハ、イチジクヒトリモドキ、セスジスズメなど、その数16種類。

まとめた資料の一部。十数種類の糞染めの結果をまとめて、倉敷市立自然史博物館・友の会で発表しました

「糞はそれぞれ最低でも150グラム必要。たくさん糞がいるので、幼虫を何匹もつかまえて育てますが、朝から晩までモリモリ食べるので餌がたくさんいります。非常に手間がかかりますよ」と貝原さん。同時に数種類の餌の調達を行いながら、糞を集め、ケースも清潔に保ち、つきっきりで世話をしたと話します。

染色の手順は、乾燥させた糞をぐつぐつと煮て、一度糞をこしとり、ちりめんなど絹の布を入れます。無媒染のほか、酢酸アルミ媒染、酢酸銅媒染、木酢酸鉄媒染の3種類の媒染で染めました。例えば、ナガイモが食草であるキイロスズメの場合、無媒染はベージュ色ですが、酢酸アルミ媒染は薄い桃色、酢酸銅媒染は浅緑色、木酢酸鉄媒染はウグイス色と、日本的な淡い美しい色に仕上がりました。

キイロスズメの幼虫の糞染め。左から無媒染、酢酸アルミ媒染、酢酸銅媒染、木酢酸鉄媒染で美しく染められた布

草や葉を食べる幼虫の糞は、いわば植物と同じ。糞を使うと草木染めで必要な細かく刻む過程を省くことができ、合理的だといいます。また、幼虫ごとに食草が異なり、染まる色もそれぞれ微妙に変化するので、仕上がりの意外性を楽しめます。

ソメイヨシノに大発生していた蛾の仲間、モンクロシャチホコの糞からは薄い柿渋色の風呂敷ができました。ソメイヨシノの葉を食べる幼虫であるため、面白いことに布からはなんと“桜餅の匂い”が。「おいしそうな匂いでしょう」と貝原さんは話します。

今でも桜餅のおいしそうな匂いがする、モンクロシャチホコの幼虫の糞染め

「春の七草の鉢植え」を準備中

倉敷市立自然史博物館の友の会会員でもある貝原さんは、30年近く同館に展示する「春の七草の鉢植え」を準備してきました。

「散歩しながら、生息している場所の目星をつけたり、最近見かけなくなってきたホトケノザやハハコグサは庭で育てて、準備を進めています」

最近は見かけなくなりつつある「ハハコグサ」と「ホトケノザ」は庭で大事に育てている

2022年も、貝原さんの「春の七草鉢植え」が1月5日から20日ごろまで、倉敷市立自然史博物館で展示される予定です。

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