観光客のにぎわう尾道本通り商店街の一角に2021年、クラフトビール醸造所「尾道ブルワリー」がオープンしました。店内には造られたばかりのクラフトビールが味わえるスペースも併設されています。

開業させたのは会社員を辞めて尾道に移住してきたばかりの夫妻で、ビール造りはゼロから学んだのだとか。店の魅力を探ります。

その場で飲める醸造所「尾道ブルワリー」

モノクロームの旗と大きな黒い扉が目印です。

尾道ブルワリーは、尾道本通り商店街の一番奥、尾道通りに構える場所にあります。店を営むのは、2020年夏に千葉県から移住してきた、佐々木真人さんと真理さん夫妻。「地産のものを使ったクラフトビールで地域振興がしたい」という思いでゼロからビール造りを学び、2021年2月末に念願の店をオープンさせました。

奥には醸造施設、手前はクラフトビールがその場で飲めるカウンターがあり。

1894年築の古い土蔵をリノベーションして生まれ変わった店内は、ダークウッドでシックなデザインにまとめられて、落ち着いた雰囲気です。

「これぞ“自分たちのビール”と言える定番ビールです」
「ブルワリーオープンの初年度は、ゴールデンが透き通った色のエールを目標に掲げました」

佐々木さんからそんな話を聞き、ぜひにと注文したのが「しまなみゴールデンエール(ハーフ550円:税込)」です。“エールビール”とは上面発酵酵母で醸造されるビールのことで、フルーティーな飲みやすさが特徴。味が濃いビールとは違い、ペールエール(薄い色のエールビール)は雑味や濁りなくきれいに造るのが難しく、「ごまかしが効かない」のだそうです。

しまなみゴールデンエール(ハーフ550円:税込)

「しまなみゴールデンエール」の副原料には、尾道産のみかんが使われています。スッキリとしたどこかやさしい味わいの秘訣は柑橘によるものなのかもしれません。のどごしがとても爽やかで、ゴクゴク飲んでも罪悪感のない気持ちのいいエールでした。

ここからは、そんな尾道ブルワリーの佐々木真人さん・真理さん夫妻に、移住やビール造りへの思いについて話を聞きました。

地のものを使ったビール造りがしたい。会社員を辞めて尾道へ

──尾道に移住されるまではどちらにお住まいでしたか?

真人(敬称略)──
千葉県です。私も真理も関東を転々としつつも、ほとんどずっと千葉で育ちましたね。転勤があったので3年ほど関西に住んでいた時期もありましたが、自宅も千葉で購入しました。

──移住先は、ピンポイントで尾道を希望されていたんですか?

真人──
それが実は、最初は決めていませんでした。ビール醸造の前例があまりない地域がよかったので、それに当てはまる候補地を10か所にしぼり、東京・有楽町にある移住相談窓口に通いつつ一地域ずつ回っていました。

真理(敬称略)──
尾道も候補には入っていたんです。でも、とある地域のフェアに参加した帰りに偶然広島県フェアの告知を見つけて。

真人──
それを見ていなかったら、先に別の地域の窓口に行っていたかもしれません。広島県の地域コーディネーターの人がビール造りにものすごく興味を持ってくれて今に至ります。

──尾道に限らず、地のものを使ったビールが造りたいというコンセプトは同じだったんですか?

真理──
地域活性化に興味があったので、副原料に「地のものを使いたい」というのは最初から考えていましたね。

真人──
地のものといっても、果たして移住先の商材がビールに合うのかどうかは未知数でした。本当にたまたま、尾道だったから今いろいろなビールの構想がありますし、尾道のお店とのコラボレーションも実現できています。

──移住されるまでおふたりとも会社員だったそうですが、ジョブチェンジしてビール造りをしようと思ったのはいつ頃ですか?

真理──
ビール造りをしようと思ったのは2018年ごろ、夫婦で熊野古道を旅行したのがきっかけでした。旅先で出会った女性は東京からの移住者で、カフェの運営を通じて熊野野菜を盛り上げようと取り組んでいました。その女性の話を聞き、何歳になってもやりたいことを始めるには遅くないし、自分たちの手で何かをつくることで地域の活性化にも貢献できたら最高じゃない?と思ったことが今につながっていますね。ビールにしたのは、単純に私が好きだったからです!

──長年勤めてきた会社を辞めることについて、不安はありませんでしたか

真理──
会社勤めで真人がたびたび体調を崩している姿を見てきたので、私はずっと「働き方を変えられたらいいのにな」と思っていました。それは転職とかではなく、ふたりで喫茶店なりお団子屋さんなり、なんでもいいから自営業的なものができないかとイメージしていましたね。

また、私は旅行会社で旅行のパンフレット制作をしていて、料金や地名など絶対に間違えてはいけないような細かい数字や文字をずっとデスクでにらめっこしていることに、年齢的な限界を感じていた時期でした。そんな背景も後押しとなって、どこか好きな土地でビール造りがしたいという方向に舵を切れたのだと思います。

──退職、移住、新しい自営業……ご家族や周囲の反応はいかがでしたか?

真人──
もちろん驚かれましたが、息子をはじめ大勢の人に「がんばれ!」と送り出してもらいました。実は、私の親族にだけは難色を示されました。というのも、うちの親族は自営業の苦労を知っているんです。経営リスクについても現実的にわかっていたので、かなり心配はかけてしまいましたね。

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