山に囲まれた自然豊かな盆地に広がるまち、広島県東広島市志和。今でも茅葺きの民家が点在する農村風景が残ります。そんな志和に、古民家を改装した「ししゅうと暮らしのお店」ができました。

中に入ると、ぱっと目を引くインド刺繍の洋服。華やかな刺繍は、すべてインドの職人の手で施されたもの。細やかさに目を見張ります。店内にはカシミール、ベンガル、ラクノウの3つの地域の刺繍生地を使った洋服や小物を中心に、志和の産品や暮らしに役立つ雑貨なども並びます。月に1度、金曜日から週末にかけて開店していく予定です。

店を手掛けるのは、インド刺繍の洋服をつくる「itobanashi」。代表の伊達文香さんが学生時代に立ち上げた刺繍ブランドです。「ししゅうと暮らしのお店」は、伊達さんの故郷、奈良県五條市の事務所兼ショップ「刺繍と暮らしの研究所」に続いて2店舗目となります。

伊達文香さん

itobanashiのコンセプト

itobanashiの洋服はどのようにできているのでしょう。

提供:株式会社イトバナシ

インドの布にインドの職人が手刺繍を施した生地を、地域ごとの生活水準を加味し、独自のルールで価格を設定。現地の約2倍の価格で買いとっています。

例えばA4サイズの布の刺繡にかかる時間はベテランの職人でも約3時間。それが現地では50円から100円程度で売られているといいます。「物価が低いことを加味しても、労働の対価として低すぎる。かかった時間と技術に見合った金額を支払いたいという考えで、そうしています」と伊達さんは話します。

提供:株式会社イトバナシ

縫製は現在、日本が7割、インドが3割。百貨店で展開するクオリティのものを作るため最初はすべて日本で行っていましたが、インドでスキルのある職人と出会うことができ、インドでも縫製を行えるようになりました。

提供:株式会社イトバナシ

服のデザインや、刺繍の柄は伊達さんが考えます。まったく新しいものを考えるのではなく、地域ごとの伝統的な刺繍デザインを活かす洋服の形や、職人が縫いやすいよう文化に寄り添った模様を考えているといいます。

itobanashi 誕生のきっかけ

伊達さんは心理学を学ぶため、広島大学に進学しました。ファッションサークルに所属し、自分が作った服を着た友人たちが華やかにランウェイを歩くファッションショーが好きでした。「心理学を学んでいたから、ファッションショーは作り手にとっても自己肯定感や達成感が高まるなぁ、なんて思っていました」といいます。

2019年夏 コルカタにて 提供:株式会社イトバナシ

伊達さんは大学1年生の春休み、アルバイトで貯めた金で初めてインドへ行きます。旅行会社が企画する「スタディーツアー」で、ボランティアを経験する旅でした。その後、インドが好きな学生仲間と出会い、自分たちでスタディーツアーを企画し、何度も足を運ぶようになりました。

提供:株式会社イトバナシ

スタディーツアーの中で、自分と同じくらいの年齢の女性たちを支援しているNGO団体と出会います。貧しい地域から売られ、望まない売春を強要された女性たちが逃げ込めるシェルターを運営する団体でした。

そこで縫製の職業訓練を受ける女性たちが生み出すバッグやストールはかわいいものばかり。「作り手はいても、人手不足で売る人がいない」という課題を聞き、力になりたいと感じた伊達さん。「商品をプロモーションし、見てもらう場をつくることで、職業訓練を受ける女性たちの内面にいい変化が生めたら……」と、インドでのファッションショーを思い描くようになります。

その後伊達さんは、大学院生のときに半年間休学し、インドへ留学。NGO団体の協力のもと、シェルターで出会った女性たちと一緒にファッションショーを開催しました。「インドと日本の交流」というテーマを華やかに打ち出しながら、「実はこの衣装を手掛けたのは、人身売買という社会課題に関わる女性たちです。でもとってもかっこいいですよね」と伝えました。

提供:株式会社イトバナシ

そのファッションショーの準備中のある会話が、itobanashiのきっかけになりました。「かわいい刺繍だね」と声をかけると、その女性は幸せそうにこう話したのです。
「刺繍をしていると、ふるさとを思い出すの」

刺繍はふるさとを慈しめる手仕事

「親から売り飛ばされて、故郷のことは消し去りたい過去なんじゃないかと思っていたけれど、そうじゃなかった。刺繍はふるさとを慈しめる手仕事なのだと気づきました。彼女のマインドを心から尊敬するとともに、手刺繍のパワーを感じました」と伊達さんは振り返ります。

提供:株式会社イトバナシ

インドの刺繍には地域の歴史や文化が反映されていると知り、各地で刺繍生地を買って帰国した伊達さん。進路を考えた結果、インドで手に入った刺繍生地で日本人向けに洋服を作り、販売することにしたのです。

提供:株式会社イトバナシ

個人事業として始めた当初は、代金を先にもらう受注生産方式。大学院を卒業後、東京で株式会社を設立し、起業の勉強を重ねました。「どんな伝え方でインド刺繍にびびっときてもらえるか」、全国のギャラリーを飛び回る日々だったといいます。

そして、次第に百貨店に声をかけてもらうように。衣類のほか雑貨や調理器具など、匠の技が集う百貨店のお客さんの中には、2~3万円の手刺繍のワンピースに「安い」と驚く人も少なくありません。itobanashiの洋服は作り手のストーリーとともに必要な人の手に渡り、新たな物語をカラフルに紡いでいきました。

提供:株式会社イトバナシ

インド刺繍の服作りと古民家再生は似ている

店頭に立ちインド刺繍について話しながら、自然と自分の故郷を見つめたくなった伊達さんは、2019年、東京から故郷である奈良県五條市へ事務所を移しました。

奈良県五條市「刺繍と暮らしの研究所」提供:株式会社イトバナシ

2020年春以降、コロナ禍で百貨店などが休業すると、ポップアップショップができなくなることがでてきました。「自分たちの意思で開けたり閉めたりできる場所」をつくることが大切と感じ、志和にアトリエ、五條にショップを2020年夏にオープン。そして2021年5月、ほれ込んだ元・醤油屋の建物を、2018年の西日本豪雨以降、手をつけられていなかった土石流をかき出すところから改装し、「ししゅうと暮らしのお店」としてオープンしたのです。

提供:株式会社イトバナシ

伊達さんは、「インド刺繍の服作りと古民家再生は似ている」と話します。

「インド刺繍から洋服を作るように、昔からあるいいものや知恵をよりよく使っていくと、日々の暮らしが豊かに、楽しいものになります。それは衣食住を通して同じで、この建物も、昔に建てた人のセンス、黄色い壁の色や梁の形にほれ込みました。大変だったけれど、こうしてお店が開けてよかった。刺繍も古民家再生もけして効率的ではないけれど、こういうことを大切にしていきたい」

ししゅうと暮らしのお店 床の間は試着室に

服づくりからハギレをなくす挑戦

itobanashiの活動を始めてからずっと悩みだったのが、ハギレの存在です。職人たちが一針一針手掛けた刺繍を捨てたくない。けれど、服や雑貨を作るうえでどうしても出てきてしまう……

そんな中で生まれたのが、新ブランド「HAREGI」プロジェクトです。「ハギレが晴れ着に生まれ変わる」というコンセプトで、これまでのハギレをTシャツに活用したのです。また、服づくり全体のゼロウェイスト(ゴミを出さない)を目指し、ほかのブランドのハギレをも減らせるプロジェクトにしようと、クラウドファンディングにもチャレンジしています。ゼロウェイストに関心を持つ人たちとの関係が生まれ、輪が広がり始めました。

「HAREGI」プロジェクト ハギレでTシャツをつくっている様子

「ハギレは毎日触れている私たちにとっては、ずっと心の中にあったけど、作り手以外には見えないもの。こんな風に主役になったハギレを見てもらうことで、みんなで考えるきっかけにもしていけたら」と伊達さん。

「HAREGI」プロジェクト ハギレでTシャツが完成

カラフルな刺繍が組み合わさった「HAREGI」Tシャツは、ひとつとして同じものがなく、楽しい気持ちに。伊達さんの話を聞きながら眺めていると、知恵次第で今あるものを輝かせることができると気づかされます。作り手も使い手も、そしてきっと社会もハッピーにするitobanashiの挑戦は、これからも続いていきます。

提供:株式会社イトバナシ

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