坂の街にたたずむ謎のお寺

岡山駅から東へ走る路面電車の終着駅、東山。その周辺にある常住寺を知ったのは、20年以上前の1998年のこと。東山電停付近から南へ向かい、山手に登る坂道の途中で偶然見かけました。石段を上って、「天台宗常住寺」と記された山門の中を覗いてみると、意外にも立派な造りの本堂が・・・。きれいに整備された境内からは、岡山の中心市街地が眼下に一望できるという絶好の立地です。人知れずこんな素敵なお寺があることに、驚きました。

1998年当時の常住寺 本堂。アナログカメラでたった1枚だけ撮った写真。

荒れゆくお寺

ところが、10年ほど経って再訪すると、何だか様子がおかしい。石段には立ち入り禁止のロープが張られ、境内は草木ぼうぼうです。雑草をかき分けて何とか本堂に近づけば、屋根瓦はずれて波打ち、正面の格子戸は障子が破れ放題という有様。

2009年当時の常住寺。屋根瓦が乱れ、境内は雑草だらけ。歩き廻るのも難しく危険を感じた。

その後も、現地を訪ねるたびに荒廃は進んでおり、やがて本堂の戸や壁には大穴が・・・。一方、不思議なことに、時々境内の草が刈られていたり、本堂屋根にトタンの保護覆いがかけられたり、防犯灯が設置されたり、と誰かがケアしているらしい様子もうかがわれます。一体どうなっているの?!

2014年当時の常住寺。戸が大きく破れている。屋根にはトタンの保護覆い。

破れ寺の正体

一般的な史跡ガイドには載っておらず、調べるのに苦労しましたが、金剛山常住寺円務院は岡山藩主池田家の祈祷寺として岡山城内にあったのが、明治・大正期に移転を重ね最終的にここに来た、ということがやっと判りました。常住寺所蔵の仏像や書画は岡山県立博物館が預かっており、時々展示もされています。

手水鉢。常住寺(金剛山円務院)が岡山城内に創建された当時の年号が刻まれている。石灯籠も同様。寶永五年=1708年。

が、そんな由緒正しきお寺がなぜ荒れたまま放置されているのか、と不思議に思い、ある時、同博物館で尋ねてみました。学芸員の説明によると、常住寺の建物は、本堂や石造物は移築されているらしいとはいえ、本来の建設地からは再三移転している点などを挙げ、文化財行政上の保護や調査の対象としてはきわめて低い順位にならざるを得ない、ということでした。 

本堂軒下の彫刻群(木鼻、蟇股、虹梁など)。手の込んだ細工が施されている。

驚きの急展開

そうはいっても、お殿さま専用のプライベート祈祷寺ともいうべき華麗なる来歴のお寺がこのまま朽ちていくのは残念過ぎる、と心を痛めていたところ、20161月に驚くべきニュースが飛び込んできました。天台宗岡山教区が常住寺の復興に乗り出したというのです。岡山県出身の天台宗高僧であり、平和運動家・教育者としても知られた葉上照澄大阿闍梨(はがみしょうちょうだいあじゃり・19031989年)がかつて長年常住寺の住職を務めていたことから、葉上師の顕彰のために整備・復興をめざすとのこと。

復興事業が始まり、本堂内に残されていた物品の整理をする作業員。2016年1月撮影。

復興の担い手は地域の人々

以来、折にふれて現地に足を運び、復興の様子を見せてもらっています。活動を主導するのは、教区代表の永宗幸信さん(倉敷市の本性院住職)をはじめとする天台宗関係者ですが、ご高齢の地域住民たちが張り切って参加しているのが何より印象的です。

実は、常住寺がそれまで荒廃していく中でも様々なケアがなされていたのは、地域の人のおかげだったのです。無住の常住寺に何か不具合があると、当時管理を担当していた金山寺(岡山市北区金山寺)に地域住民が通報し、金山寺がすぐさま対処するという連携プレーで何とかしのいでいたというわけです。町内に廃墟のような場所があるのは防犯上もよろしくないので、常に気に掛けていたとのこと。一時はそんなだったお寺が復興に向けて整備されていくのを、皆さんとても喜んでおられます。

本堂前に植えられたアヤメ(2020年5月撮影)。復興事業が始まってからは、季節折々の花や紅葉が楽しめる。

ご近所の縁

常住寺はもともと藩主池田家の祈祷寺だったため、檀家はありません。廃藩置県後は池田家との縁も絶たれています。現在、常住寺の復興を手伝っている一般の人々は、もちろん檀家ではなく、必ずしも天台宗信者というわけでもなくて、あくまでボランティアなのです。

毎月6日の護摩供開催日には、常連の地域住民たちが中心となって、境内や仮護摩堂の掃除や片付け、供え花の用意、お茶菓子の準備や接待といったルーティンワークが手際よく進められていきます。

仮護摩堂で、護摩供の後片付けをする地域の人々。

常住寺は、護摩供開催日の他、団体の見学・参拝の予約の入った日、工事や作業のある日、広報活動のトークライブ配信日以外は、基本お坊さんはおらず無人なのですが、そのような時でも、近所の常連さんが境内の掃除や見守りなどをしてくれています。時には飛び込みの見学者に対応することもあるそうです。

こういう突然の来訪者は比較的若い世代が多いのですが、先日は、子どもの頃にこの辺りの山道で遊んだという男性二人組に、90代の常連さんが、今は藪に埋もれた境内裏の小道を示して、土地の生活者ならではの詳しい説明をしておられました。

周囲の街もだんだん元気に

復興着手から5年経ち、本堂の応急処置、石垣の補修、葉上師の顕彰碑や新たなお堂「三千仏堂」建立など、常住寺の整備は着々と進んでいます。

三千仏堂。常住寺の復興事業の一環として境内に建てられた新たなお堂。外観も内部もモダンな造りで、ミニ演奏会の会場になることも。

面白いことに、この復興ムードは周囲の街にも伝染しているように感じます。この界隈は昭和期後半のやや古い民家が建ち並ぶ住宅街で、住民は高齢化しており、空き家も目立ちます。細い坂道が多く車を入れにくいこともあって世代交代がさほど進まず、寂れつつありました。それが、偶然かもしれませんが、ここ数年、民家が新しく建て替わったり、新たな分譲地が造成されたり、とにわかに活気づいているのです。常住寺前の坂道も、地域の人々の陳情が実って拡幅が決定したと聞きました。

そんな明るい話題が、常住寺に集う人々の気持ちをより明るくしているように見えます。お寺が、特定の宗教を越えて、地域の憩いの場、身近な癒しスポットになっているかのようです。様々な場面で心の孤立が心配されることも多い昨今だけに、このような動きがもっと幅広い世代に広がっていくといいな、と感じました。

 

境内の桜が春の華やぎに色を添える。2019年4月撮影。