創業60年以上!地元に愛される"街の大衆中華" こだわりは「食財」を積極的に使うこと

「街中華(町中華)」という言葉を知っていますか?
「大衆中華」や「中華食堂」などと呼ばれる、庶民的な日本流の中華料理店のことです。
岡山県倉敷市の西部・玉島地区には、長年にわたり住民に愛されている「中国料理 廣珍 (こうちん、以下 廣珍)」という街の中華料理店があります。
スタンダードな中華料理から季節の限定料理、さらには紹興酒までいろいろなメニューがそろい、おいしい料理でお腹いっぱいになるのです。気軽に立ち寄れるので、子供から年配まで幅広い客が訪れます。
そんな玉島の地域に根付いた中華料理店・廣珍の魅力や歴史を紹介します。
廣珍は、倉敷市玉島地区中心部・清心町(せいしんちょう)商店街にある中華料理店です。1959年に創業した老舗で、地元・玉島で長年にわたり愛されています。
メニューは麺類から単品料理、点心、セット、デザート、アルコール類や宴会メニューまで幅広いラインナップ。
一番人気は、看板メニューの「大麺 (おおめん)」です。野菜を中心としたタップリの具材が載り、スープは塩風味のアッサリ味が特徴。とても食べごたえのある一品です。
廣珍を運営する株式会社 廣珍の代表取締役・堀 広司 (ほり ひろし)さんへインタビューしました。
──開業の経緯を知りたい。
堀 (敬称略)──
創業は、1959年11月です。創業者は、私の父です。私で二代目になります。
戦後の食糧難の時代を経験した父は、お腹いっぱい食べられることへの憧れがありました。そして父の父、つまり私の祖父のすすめで、岡山市・千日前商店街の、岡山で最初の中国料理店だった「廣珍軒」という店で働き、修業をしたんです。
そして廣珍軒から独立し、父の地元・玉島の現在の場所で「広東料理 廣珍」として創業しました。店名は修業先の店からいただいています。当時、ちょうど清心町商店街ができたころで、商店街の中にある飲食店としてにぎわいました。
──どんなお客さんが多い?
堀──
基本的に地元・玉島の方がほとんどです。7〜8割くらいは地元の方。
平日の昼は、お勤めの方のお昼ごはんとしての利用が多いです。休日はご家族連れが多いですね。
年齢層もお子様から御年配まで幅広いです。親子三代で来られるお客様もいますよ。
──玉島で長く営業しているが、時代の変化を感じるか。
堀──
もちろん、時代による変化はありますよ。
時代の移り変わりによって売り方や、やり方を変えながらやっています。
たとえば、最初は広東料理店として開業していますが、大衆中華の店として幅広く扱うように変わりました。
また自動車社会となったことで、郊外にも中華惣菜の店やラーメン店などを出しています。
あと、玉島には大衆的な和食店がありませんでしたので、和食版のファミリーレストランのような店として「あずまや 玉島店」も出しました。タンメンの専門店も出していますが、これは廣珍の一番人気の大麺を発展させたものです。
──店を運営するうえで、工夫したりこだわったりしていることは?
堀──
レギュラーメニューの味などのマイナーチェンジは、しょっちゅうおこなっていますね。
新メニューや季節メニューなどは、スタッフみんなで意見を出し合っています。調理担当だけではなく、ホール担当を含めたみんなでやっていますよ。新メニューの提案、改善策などの提案もみんなでしています。
最終的に、実際に店で出してみないとわからないんですよね。これはいけるだろうと思ったものがお客様の受けはよくなくて、逆に意外なものがお客様に好評なこともあるんですよ。
──ほかには?
堀──
あとは食材ですね。玉島のものを中心に地元産のものを積極的に使っています。
当店は、地元の食材を”食財”としているんですよ。
たとえば卵は玉島の鶏卵会社・のだ初のもので、ソースは豊島屋。
ラーメンやチャーシューの醤油ダレは、玉島味噌醤油という会社のものです。
ネギは市内にあるど根性ファームという会社が笠岡の農場で育てたものを使っています。
お米は、玉島にある小野ライスが育てた「にこまる」という品種です。
──最後に、今後の抱負や、やってみたいことを教えてほしい。
堀──
創業を100年を目指していきます。
ただ100年を目指すだけでなく、当店の経営理念を大事にしながらです。食事をしておいしいと思ってもらうのはもちろん、店に来て感動をしてもらえる店を目指すことを理念としています。
そのために、料理・接客・店の環境面など、あらゆる点でお客様に感動をしてもらえるようにがんばっています。
現在(取材時=2020年)で61年なので、経営理念を大切にしながらあと約40年続けていきたいです。
あとは玉島以外にも目を向け、需要がある地域には店を出していくことも、これからは必要だと感じていますね。