「今年で田んぼやめるんじゃぁ」

そうつぶやくのは今年で84歳になる永井岩男さん。地元では岩ちゃんと呼ばれ、親しまれる存在です。

美作市上山で耕作されてきた棚田

話の舞台は岡山県美作市上山地区にある棚田。 1000年以上続いてきた県内でも屈指の棚田です。昔からこの上山棚田は米どころとして周辺地域の間でも有名で、戦中、戦後の食糧難の頃は上山に行けば米が食べられるということで嫁ぎ先に選ばれることも多かったようです。

空から見た「上山棚田」

1970年代中頃まで、美作市上山(旧英田町上山)では棚田を中心にした昔ながらの生活が営まれ、棚田の集落に独特の伝統や文化が受け継がれていました。 そして高度成長期以降、世の中が機械の力によりどんどん便利になる中で農業の分野でも大型機械を入れ生産の効率化が進められました。

しかし棚田ではその不利な地形から大型機械を入れて作業をすることができません。また、昔ながらの手作業の労力は甚大です。そこに深刻な高齢化と後継者不足、合わせて減反政策が始まり、先人たちが守り続けてきた8,300枚あったといわれている千枚田はあっという間に荒れ果てていきました。

谷側を見下ろすと、何十年も耕作放棄されている棚田が続く。

岩ちゃんはこの上山棚田で生まれ育ち、物心ついた頃から田んぼの手伝いをしていました。

そして、近年の厳しい棚田の状況を自分の人生の大部分として経験してきました。 そんな岩ちゃんが山奥に所有する田んぼを今年でやめることを決意したのです。

成人し、仕事に出始めてからも夜明けから2時間ほど田んぼをして出勤。勤め終わると帰宅してまた2時間ほど田んぼ。 仕事を定年退職されるまで40年以上はそういった日々で、休む間もなく働いていたそうです。 退職後は自分の生き甲斐として、田んぼを守り続けてこられました。

「20代の頃は嫁より何より道が欲しかったんじゃぁ」と家の前が牛も通れないほどの畦道しかなかった過去を振り返る。

田んぼをやめる理由

お話しを伺っていてもまだまだ現役、というご様子。「田んぼをやめる理由はなぜか?」と伺うと

「(子供はいても)後を継ぐものがいないのと、年齢的に突然管理が出来なくなり人様に迷惑をかけるようなことにしたくない」ということでした。

稲刈りを終えて間もない田んぼを覗かせて頂くと、既にヒノキやブナ科の苗木が植えられていました。

まだ残る稲株の間に近隣の山から移植された檜の苗。

「なにもせず放棄地にすると必ず生えてくるセイタカアワダチソウ。3年も放っておけば笹や葛まみれになって景観が悪りぃじゃろう。そんで、材になる檜や椎茸の原木に使えるブナの木を植えたんじゃ」と、岩ちゃんは語ります。

田んぼのまわりを見渡すと岩ちゃんがずっと守られてきたこの場所は、すでに耕作が放棄された農地や山に囲まれ、野生鳥獣の恰好の餌食のような雰囲気。
ここを何十年も維持されてきたかと思うと、棚田への愛情と意地が伝わってきます。

取材の帰り際にお礼を伝えると、岩ちゃんは「1日でも長生きします!」と、満面の笑み。

その最後の一言はあまりにも深く、そして清らか。そこには田舎で暮らす全ての理由と、プライドが存在しているかのようでした。今回お話をいただいた山際の田んぼはやめるそうですが、家の周りの田んぼ数枚はまだ続けられるとのことで、できる限り頑張っていただきたいものです。

話を聞く前は、この取材を通して田舎(中山間地域)での生活や棚田を守っていく何か答えの様な糸口を求めていた自分がいました。しかしそれは安易な思いでした。何十年経っても考え続け、行動し続け、時代という圧倒的なチカラを前に睨めっこをしながら日々を送っていく。
今を“生きる”事こそが、過去や未来を語れる唯一の手段な様な気がしました。

NPO法人英田上山棚田団 蟻正敏雅

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