ログハウスの「セルフビルド」 “家族の器”を“家族で作る” 名古屋から瀬戸内の島に移住した夫婦と4人の男児が挑戦中!

ログハウス作りに挑戦中の兄弟
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ログハウス作りに挑戦中の兄弟
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瀬戸内海の小豆島に移住した家族が今、自分たちが住むログハウスの手作り、いわゆるセルフビルドに挑んでいます。
新型コロナウイルスの影響で本業が制約を受ける時代を逆にチャンスと捉え、建設関係の仕事をしているわけでもないのに家を建てるという行動に踏み出した家族にその思いを聞きました。
香川県高松市の高松港からフェリーに乗って1時間。瀬戸内海の小豆島。
土庄港から車で15分ほどの土庄町肥土山(ひとやま)に、その場所はありました。ここで今、ある家族がログハウス作りに挑んでいます。
ログハウスと聞いてちょっとした小屋を思い浮かべるかもしれませんが、田んぼに囲まれた一角に、遠くから見てもかなり大きな存在感を放っていました。2階建てで延べ床面積150平米のボリューム。近づくと木のいい香りが漂ってきます。
自ら建設に挑戦しているのは、移動式の「ピザはるや」を営む城石春生さん(40)と、自称「肝っ玉になれない母ちゃん」・起業家の果純さん(36)。そして長男(11)、次男(9)、三男(5)、四男(1)のにぎやかな6人家族。城石さんは2011年、次男を妊娠中に名古屋市から小豆島へ移住しました。
(城石果純さん)
「自然の中で家族で育っていくことへの憧れが昔からあって、『移住したい』という思いとセットで『子どもと一緒に建てた家で暮らしたい』という好奇心があったんです」
果純さんは移住前からログハウスのセルフビルドを紹介するブログを読むのが趣味でした。夫の春生さんは「無理でしょ」と及び腰だったものの、移住してからは必要に駆られてユンボや中型免許などを取得し、DIYも得意に。
移住から9年目を迎えた昨春、「あと1年で長男が中学校に進学。早く建てないと、ログハウスに住んだ思い出を重ねる時間がなくなってしまう」と実現に乗り出しました。
手始めは、家族みんなで間取りを構想。子どもたちも自由に考えます。4兄弟の夢はなんといっても漫画に囲まれる部屋!
岡山県のログハウスメーカーと契約を決め、半年かけて約15トンもの木材がフィンランドから島に運ばれてきました。
木材はすでにフィンランドでカットされていて、1つ1つ番号が張られています。
組み立て設計図を見ながらそれらをプラモデルのように積み上げ、木材のダボを打ち込んでいくんです。
子どもたちも木材にまたがって、一生懸命に金づちを振り下ろしますが、打率の低さが微笑ましい。
作業は2日目からピンチの連続となりました。四男が気管支炎で入院。家庭も大変ながらログハウス作りでも…同じような窓枠の木材を取り違えたまま積んでしまったのです。
積むのも大変ですが、一度積んで固定してしまった木材を外すのは一苦労。そんなとき、力になってくれるのが島のプロバスケットボールチームの選手たち。仕事として助っ人に入ってくれています。
30キロほどある木材を担いで足場をつたって運ぶ力仕事は夫の春生さんや助っ人が中心に。これから屋根を張って、室内の作業になったら私も活躍すると果純さんは意気込みます。
城石果純さんは名古屋市出身。教育熱心な両親に育てられ、大学卒業後はリクルートに就職しました。職場で出会った春生さんと結婚。長男を出産後、自然の中で子どもを育てたいという思いから瀬戸内への移住を考えました。
広島県、岡山県、山口県、愛媛県、香川県をぐるっと巡りましたが、フェリーで島に渡るという当時の夫婦にとって非日常の体験に感動。小豆島を”家族で生きる場所”に決めたのです。
会社で培ったキャリアを生かして、島で人材育成の研修などを主に行う会社「DaRETO」を起業。ところが、新型コロナウイルスの影響で研修などが思うようにできなくなりました。さらに春生さんの移動販売も観光客激減で厳しい状態に。
それが逆に「今ならログハウス作りに注力できる」と思い立つことができたそうです。
「人生の舵は自分で取る。自分の軸で人生を生きる」というモットーを掲げる果純さん。
その言葉の通り「生きていく場所」を小豆島に自ら決め、島の人たちの協力も受けながら、 “家族の器”となるログハウスを家族の手で作っています。
取材後、すでに屋根の垂木と野地板を張るところまで作業は進んでいて、2021年の春から夏ごろの完成を目指しています。