街の中心部、車が行き交う交差点裏の小さなお稲荷さん

岡山駅東口から大通りを東に歩いて10分ほどにある柳川交差点。路面電車やバスが行き交う通りに面したビルの裏に、小さな稲荷があることを知っている人は少ないと思います。たまたまビルの建て替えで前面が更地になった時に、ちらりと覗く鳥居を見たのがきっかけで、その存在を知りました。

裏路地の奥にたたずむ稲荷(2008年10月撮影)

ビルの裏を通り抜ける細い路地に入ってみると、その先にあったのは素朴な佇まいの稲荷。何より面白いのは祠が載る台座です。コンクリートブロックを積み上げて作られた台座の上面には、レトロ洗面台によくあるようなパステルカラーの小タイルが市松模様状に貼られているのです。どう見ても稲荷社とはミスマッチなポップ調と手作り感!

レトロ洗面台のようなタイル張りの台座(2008年10月撮影)

ついに判ったお稲荷さんの正体

一体どういういわれの稲荷なのだろうと、ずっと気になりながらも知る手立てがなかったのですが、ようやくその謎が解けたのは、それから数年経った2014年でした。稲荷の世話をする女性に偶然出会えたからです。

その人は、当時稲荷の隣の建物で「居酒屋ロッヂ」を営んでいた前田久美子さん(74歳)。高齢の家主に替わって稲荷の世話をしておられるそうで、稲荷の詳しい経緯を知るという家主・金井勇さん(86歳)にすぐに取り次いでくれました。

金井さんによれば、この稲荷は戦前からある町内の守り神だそうです。この界隈は商店も多いので、商売繁盛のご利益のある稲荷神を最上稲荷(日本三大稲荷の一つ。岡山市北区高松稲荷)から勧請したと伝えられているとのこと。江戸時代にはこの辺りは武家地だったので、明治時代以降と考えられます。

この稲荷社には2柱の稲荷神が祀られている。「富吉稲荷」は商売繁盛、「浄光稲荷」は美にご利益があるそう。容姿も内面も美しくなれるという。(2014年撮影)

コンクリートブロックとレトロなタイルに秘められたエピソード

ところが、1945年の岡山空襲で一帯は被災し、この稲荷も破壊されてしまいました。しかも終戦後の復興計画で、柳川交差点がロータリー状に拡幅されることとなり、稲荷の元の敷地も失われました。それでも町内の人々は何とか稲荷を再建したいと模索していたところ、町内に民間企業の大きなビルが建つことが分かり、その企業と交渉して、敷地の鋭角状の隅を稲荷の再建場所として譲ってもらうことに成功したのです。

金井さんは当時、岡山一中(岡山県下トップの旧制中学校)の生徒でしたが、弁が立つということで年長者ばかりの交渉団に加えられたのだそう。当然ずっと年上の他のメンバーはもう他界されているので、金井さんは最後の貴重な生き証人というわけです。

ブロック塀とレンガ調の塀に囲まれた向こうが隣のビルの敷地。稲荷に提供された土地はその鋭角状の先端であることがわかる。(2014年11月撮影)

稲荷の再建費用や工事はその企業が持ってくれたとのことで、祠の土台がコンクリートブロックなのは、ブロック塀の余り資材を使ったから。そして上面を飾るレトロなタイルは、当時銭湯を営んでいた金井さんの両親が提供したものなのだとか。終戦後、焼け野原にいち早く創業したこの銭湯は大繁盛したそうですが、昭和40年頃には廃業し、しばらく残っていた建物も既に解体されています。今や稲荷のタイルだけがその名残です。

町内の熱意と隣ビルの厚意がこもった、手作り感あふれる稲荷台座。(2014年撮影)

愛称は「ロッヂ稲荷」

金井さん自身は昭和35年(1960年)に、稲荷のすぐ隣の自宅建物一階で「トリスバー・ロッヂ」を開業しました。まだまだこの種の店が珍しかった時代、バーは大いに人気を集めたとか。そんな店の隣の稲荷なので、人々はこの稲荷を「ロッヂ稲荷」と呼んだそうです。酔客がよく立小便をしたので、「ロッヂのしょんべん稲荷」なんて言う人も。

何だか昭和の人情喜劇にでも出てきそうな面白い話です。バーは既に閉業していましたが、2014年時点では店名を受け継ぐ「居酒屋ロッヂ」があったせいか、当時を彷彿とさせる雰囲気がまだ少し残っていました。

前田さんの営む「居酒屋ロッヂ」が在りし頃の路地(2014年11月撮影)

お稲荷さんを守る町内の連携プレー

その後、何度か金井さんや前田さんにはお会いしましたが、少し間が空いた2017年初頭、稲荷への路地入り口に見慣れない奉納のぼりが立っているのに気付きました。不思議に思いながら路地をたどると、何と、お稲荷さんが見違えるように華々しく整えられているではありませんか! 破損していた鳥居が再建され、明かりのついた提灯や絵馬掛けも設置されています。しかし、居酒屋ロッヂもろとも金井さんの家屋は無くなっていました。

賑やかに整備し直された稲荷(2017年1月撮影)

現在、この稲荷を中心になってお世話しているのは同町内でクリーニング店を営む木村靖さん(83)。金井さんが転居される際に後を頼まれたのがきっかけで、どうせなら楽しく盛り立てようと、現在のような形に整備したのだそうです。前田さんが世話をしていた頃から、稲荷のそばには野良猫が居ついていましたが、木村さんはそれらの猫に避妊手術を受けさせ、4~5匹を上限に増え過ぎないようこまめに管理してもおられます。

現在、稲荷の世話を担当する木村靖さん。

地域猫に会える稲荷として評判を呼び、町内外から猫好きのお参りも増えたとか。絵馬には猫の健康などを願う文面も見られます。本来のご利益とは異なりますが、「ニャンコの守り神」としても親しまれているようです。

稲荷に出入りする猫(2014年11月撮影)

再び存続の危機に

柳川交差点エリアは徐々に再開発が進み、交差点の北西角と南東角には近年相次いで高層ビルが建設されました。稲荷がある北東角も現在再開発計画が進行中で、ワンブロックの大通り沿いがそっくりその対象となっています。2021年には対象区域の住人の立ち退きが始まり、解体が着手される予定です。稲荷は再開発区域に入るかどうかの微妙な位置とのこと。木村さんが中心となって、何とか残してもらえないか交渉中だそうです。引っ越された前田さん・金井さんにも電話でお話を伺いましたが、やはり稲荷社の行く末を心配しておられました。

2017年時点ではのぼりだけだったが、その後、交差点に面する路地の入口にも簡易な鳥居が設置された。お稲荷さんの存在をささやかにアピール!

町内の方々の熱意で終戦時の危機を潜り抜け、街の変遷を見守り続けたお稲荷さんだけに、このたびの再開発も乗り越えて、末長く街を見守っていってほしいと願わずにはいられません。

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