大阪は天満橋の近くで、間もなく築50年を迎えようとしている雑居ビル。1階に老舗中華料理店が入るその建物に、まさか雑貨屋が入居しているとは、いったい誰が想像するでしょうか。

その店の名は、PiNS!(ピンズ)。2010年の開業当初は、店名通りロシアや北欧のピンバッジを中心とした品揃えでしたが、いまではいわゆる「昭和レトロ」のおもちゃや雑誌の付録、文房具なども豊富すぎるほど豊富にラインナップ。わずか6坪ほどのフロアは、さながら情報の洪水、ファンシーの山脈といった様相を呈しています。

雑居ビルの急な階段を上がり、ドアを開ければこの物量

店を営むのは、塚本浩介さん(36)。最近では実店舗の経営だけでなく、イベント企画や骨董市への出店など、外へ向けたアプローチにも積極的に取り組む店の主に、現在のPiNS!が形づくられるまでの過程や、雑貨を通して伝えたい思いを聞きました。

若くして亡くなった母への弔いが、雑貨屋開業だった

インタビューを意識してろくろを回すポーズを披露

「生まれが、終戦後の満州でして……」

塚本さんの話は、いつも斜め上のジョークから始まります。仕切り直しを挟んで話をうかがうと、そこに見えてきたのは、自らのやりたいことをとことん突き詰める、意外なほどに真摯な一面でした。

もともとはレコーディングエンジニアを目指し、音楽専門学校に学んだ塚本さん。しかし、ミキサー卓の前でサウンドチェックをしていると眠くなるという決定的な弱点が見つかり、新卒で就職したのは日本橋の電気街にある電子部品専門店でした。

2つの倉庫を持つが、それでも店内はすさまじい物量。ダンボールのなかには出店するイベントの雰囲気に合わせた商品が入っている

3年ほど勤めたころ、母の病状が悪化し、先がそう長くないことが判明。仕事を辞め、全盲の父に代わって介護に汗を流す日々を送りました。

その後、母の施設入所を機に始めたのが、もともと好きだったという雑貨のオンラインストアを制作するアルバイトです。いちからの立ち上げを経験し、「オレにもできるんちゃう」という感触をつかみかけていたころになって、母の死という現実に直面することになりました。

「息子を育てんのに一生懸命働いて、子育てして。60(歳)前やったんですね。手が空いて、こっからってときに」

多くのことをやり残したまま旅立った母の人生を回想した末に、塚本さんは「やりたいことはやれるうちに」と考えるようになったといいます。そこで、思いついたのが自らの手で雑貨屋をオープンさせることでした。

海外買いつけでは、必ず国際交流を持つ。現地の人おすすめのピロシキをパクリ

雑貨屋といっても、取り扱う商品は店によって千差万別。幼いころからレゴブロックに親しんできたこともあり、その発祥の地・デンマークに渡って商品を仕入れるところから、塚本さんの雑貨屋人生はスタートしました。

フィンランド、ロシア、エストニア――「北欧の雑貨、かわいいな」という純粋な感情から、副業のかたわら北欧諸国を渡り歩いた塚本さん。

台湾出張のひとコマ。カメラを向けられこの表情

ピンバッジや服飾雑貨など一つひとつの商品が小さいとはいえ、個人での仕入れは企業のそれとは違い発送の手間がかかり、決して楽ではありません。しかし、若くして亡くなった母の存在が背中を押してくれました。

「おっきな災害があったり、誰かが死んだりしたら、結局エモい感情を表現して終わるじゃないですか」

ただ感傷的になるのではなく、実際に行動することが、大切な人にとって最大の弔いになる。一見、ふざけているように見えるSNSの投稿にも、ピンチをチャンスに変えようとする前向きなスタンスが反映されているのです。