高度経済成長期、東京。本に囲まれた日々が人生を変えた

育治さんにとっての転機は、上京に伴い住み込みで始めた製本所でのアルバイトでした。自ら製本を手がけた本を業者の倉庫に搬入し、そのスケールの大きさに「ここから全国に本が届けられるのか」と衝撃を受けたといい、並行して古本屋へも出入りするようになりました。

同時期には、自身の読書好きを決定づける名著『光る海』(石坂洋次郎・著)を読んで感銘を受け、大学は文学部へ。神保町に通って安価な古本を買い求め、現代小説などそれまでには触れたことのなかった文芸作品に親しみました。

かつては線路の向かいに長屋があり、いま以上に情緒があったそう

大学を卒業した育治さんは、故郷に戻って就職します。しかし、オイルショックのために2度の倒産という憂き目を見ることに。3社目は出張が多い仕事で高松を空ける時間が長くなったことから「若いし失敗は考えなかった」と、30歳を目前に起業を決断しました。

当時、高松市内の古本屋はわずか2軒。そこに商機と「やりたいこと」を見出したのです。もちろんこの決断の背景に、東京時代の経験があったことは言うまでもありません。

窓枠に切り取られた車体が美しい

1977年の開業当初は、育治さん自身の蔵書を商品にするところからのスタートでした。値つけは初めての経験だったものの、自らの足を使って市内の店を市場調査。地道に相場観を養っていきました。

店舗は現在よりはるかに手狭でしたが、貸本屋が人気を博していた時代です。母校・高松商業高校の目の前という立地も手伝い、「古本屋というだけで」たくさんのお客さんでにぎわいました。

育治さんの高校時代は、ちょうど「○○全集」が人気だったころ

人の縁にも恵まれました。かつての恩師に開店の連絡を入れると、たびたび店に顔を出すようになっただけでなく、買い入れ先まで紹介してくれたのです。

先行する2店舗もライバルの出現とも取れる状況ながら協力的で、開店にあたって必要な手続きを教えてくれたり、岡山で開かれる古書交換会を案内してくれたりと、サポートを惜しみませんでした。老舗の船出には、数々の「育ての親」との縁が関わっていたのです。

ショップカードにもみーちゃんのシルエットがあしらわれている

1986年には、それまで倉庫として使っていた現店舗に移転。内装はなんと自ら手がけ、店名も「東京文庫たかまつ」から「讃州堂書店」に一新、再出発を切りました。

育治さんによれば、ちょうどこのころが高松市内における古本屋の最盛期。出版不況の時代に入り、いまの営業の軸足は買い入れに移りました。目下の課題は在庫整理。商品のチェックや値つけなどに追われる、忙しい毎日を送っています。

縁ある職業という幸せを、これから先も

店を入ってすぐのところで大島弓子がピックアップされていた

年中無休で店を開ける讃州堂書店。ここ数年は価格をその場でインターネット検索し、より安い商品が見つかれば帰るお客さんも目立つといいます。ですが、そんな現状も育治さんは意に介しません。むしろ買い入れる本の数が増え、目当ての本の在庫を問われても即座に答えられないことの方が気がかりのようです。

「客の要望に応えるのが古本屋の仕事やけど、応えられんから」

「営業中」のプレートの居心地やいかに

店頭に在庫のない本は、ネット上で検索して注文を代行することも。一見、お人好しのようにも思えますが、そこに垣間見えるのは長年、古本屋を生活の糧にしてきたからこその矜持です。ではなぜ、育治さんはここまでひとつのことに熱中できるのでしょうか。その謎の答えは、こんな言葉に込められていました。

「人っていうのはな、鉄を扱うのが好きな人とか、土を扱うのが好きな人とか、いろいろおると思うんや。私はどうも紙を扱うのが好きみたいやな」

1冊1冊がていねいに扱われていることが分かる

特段の理由などなく、ただ紙に触れていれば落ち着く。解体寸前の個人宅に買い入れに出向き、ほこりまみれになっても、職業病ともいえる腰痛を起こしても苦にならないのは、古本屋という職業に縁があったということの何よりの証拠でしょう。もっとも腰痛については、50代に入って開店前に店の周囲を掃除するよう習慣づけて以降、縁がないそうですが。

奥さんとみーちゃん

まだまだ現役を貫く育治さんのもとには、うれしい知らせも届いています。というのも、大阪の大学に通うお孫さんが新型コロナウイルスの影響で帰省した際、店のTwitterを開始。現在は育治さんの奥さんがその運営を引き継ぎ、手探りながらに入荷情報などを投稿しており、どこかほっこりした気持ちにさせてもらえます。

また、この11月にはオンラインストアもオープン。お孫さんとみーちゃんが登場する、すてきなプロモーションムービーも完成しました。讃州堂書店は、あくまでも「これからの店」。今後の展開がますます楽しみです。

取材当日、残念ながら貼り紙は行方不明になっていた

さて、讃州堂書店といえば「UFO宇宙人」コーナーの謎にも触れておかなければなりません。店の一画に設けたもので、学術書からオカルト本まで玉石混淆の内容。高校時代の恩師から空飛ぶ円盤の話を聞いても「信じていなかった」と語る育治さんですが、それを覆す黄白色の発光体を目撃したことが、コーナー開設のきっかけになったといいます。

目の前をことでんが駆け抜ける店先は絶好の撮影スポット

書棚に添えられた目撃談募集の貼り紙を見て、お客さんから数多くの情報も寄せられました。ここでもご紹介したいところですが、最後の謎は、謎のまま。不思議なエピソードを聞きに、育治さんのもとを訪ねてみるのもおもしろいかもしれません。

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